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2024年7月21日日曜日

建築現象の全的把握を目指して: 吉武計画学の過去・現在・未来?, 建築雑誌、2003

 建築現象の全的把握を目指して:

吉武計画学の過去・現在・未来?

 

布野修司(京都大学大学院)

 

吉武計画学とはいったい何か、その成果は如何に継承され、また、今後どう展開しようとしているのか。ありきたりの追悼文ではなく、その総括を、というのが編集部の依頼である。筆者は、東京大学吉武研究室最後の大学院生であった。ともにその学の成立を担った青木正夫・鈴木成文両先生以下綺羅星のごとく並ぶ諸先輩ではなく指名をうけたのは世代的に距離があるからである。また、ともに建築計画学の成立に大きな役割を果たした西山(夘三)スクールの拠点であった京都大学に奉職していることもある。とてもその任にあらずとは思うけれど、吉武計画学の継承発展は日々のテーマである。その総括をめぐっては筆者も編集に携わった『建築計画学の軌跡』(東京大学建築計画研究室編、1988年)があり、それ以上の新たな資料を得たわけではないが、以下は、いずれ書かれるべき吉武泰水論のためのメモである。

吉武計画学がスローガンとしたのは「使われ方の研究」である。ベースには西山夘三の「住まい方の研究」がある。西山の住宅調査の手法を不特定多数の利用する公共的空間に拡大しようとしたのが吉武計画学である。使用者(労働者)の立場に立って、という視点は戦後民主主義の流れに沿ったものであった。

第2に、吉武計画学を特徴づけるとされるのは「施設縦割り研究」である。また、「標準設計」である。吉武計画学の成立を中心で支えた研究会LV(エル・ブイ)のごく初期に、住宅、学校、病院、図書館といった公共施設毎に情報を集め、それぞれに集中する専門家を育てる方針が出されている。「標準設計」は、「型計画」の帰着でもあるが、戦後復興のために要請される公共建築建設の需要に応えるためにとられた研究戦略であった。また、各施設について多くの専門家が育つことによって一大スクールが形成されることとなった。

第3に、吉武計画学には「平面計画論」というベースがある。つけ加えるとするともうひとつ「生活と空間の対応」に着目し平面を重視した。素朴機能主義といってもいいが、その平面計画論には、人体にたとえて、骨格として建築構造、循環系としての環境工学に対して、その他の隙間を支える空間の論理を組立てたいという、すなわち建築計画という分野を学として成立させたいという意図があった。吉武先生の学位論文は知られるように規模計画論である。数理に明るいという資質もあるが、まずは論理化しやすい規模算定が選択されたのであった。しかし、その最初の調査が銭湯の利用客に関する調査であったことは記憶されていい。

以上のような吉武計画学の成果はやがて「建築設計資料集成」という形でまとめられる。体系化以前の段階では、フール・プルーフ(チェックリスト)にとどまるのもやむを得ない、というのがその立場であった。

吉武計画学の展開に対して批判が出される。ひとつは「作家主義」か「調査主義」か、という問いに要約されるが、創造の論理に展開しうるのかという丹下研究室による批判である。また、あくまでも「設計」に結びつく研究であることを主張する吉武研究室に対して、性急に設計に結びつける以前に、縦割り研究には地域計画が抜けているという西山研究室の批判である。そして、研究室内部からの空間論の提出である。さらに、吉武計画学には建築を組み立てる建築構法さらには建築生産に関わる論理展開が欠けている。いずれも調査、研究、設計、計画の全体性に関わる吉武計画学の限界の指摘である。筆者が研究室に在籍した1970年代初頭に既に、上記のような限界は明らかであった。オープンスクールの出現や様々な複合施設の登場に対して縦割り研究や制度を前提にしての使われ方研究の限界は充分意識されていた。

まず確認したいのは、戦後の出発点で行われた調査が、銭湯調査を含めて今日でいう都市調査を含んでいることである。都市のあり方を明らかにする中で公共施設のあり方が探られようとしたのであって、逆ではない。縦割り、標準設計、資料収集は時代の産物であり、少なくとも最終目的ではなかった。

また、当初から求められたのは単なるチェックリストではなく、空間と人間の深い次元における関わりである。読まされたのは専ら文化人類学や精神分析、現存在分析に関する書物であった。読書会を組織するように命じられたのだが、わずかな人数の会に毎週熱心に出席された。後に夢の分析に繋がる関心は既にあり、文学作品による空間分析もわれわれに既に課されていた。建築に関わる諸現象の本質をどう捕まえるかという関心は当初から一貫していたという強い印象がある。

調査はどうやるんですか?といういかにもうぶな質問に、「とにかく一日中現場にいなさい、そして気のついたことは何でもメモしなさい。あらゆるデータは捨てては駄目です」、という言葉が今でも耳に残っている。 

 

京都大学大学院助教授。生活空間設計学専攻。主な論文・著作物に、『カンポンの世界』,パルコ出版,1991:『住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論』,朝日新聞社,1997年:『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』,建築資料研究社,2000年:『布野修司建築論集Ⅰ~Ⅲ』,彰国社,1998年:『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学、学位請求論文),1987  日本建築学会賞受賞(1991)』など。

 

2024年7月19日金曜日

住いを考えるこの一冊, 『CEL』,大阪ガス,200607

 CEL77号 私の一冊:新しい居住スタイル

 布野修司

  『51C」 家族を容れるハコの戦後と現在』、平凡社、鈴木成文・上野千鶴子・山本理顕他、2004108

  新しい居住スタイルに関する(意識に関する)一冊を、と言われて、すぐさま浮かんでくる本がない。本が書かれ、マニュアルが売れる事態が起こっているとすれば、もはや「新しい」段階は終わっているのではないか、などと思う。シェア・ハウスとか、コレクティブ・ハウスとか、カンガルー・ハウスとか、団塊世代の田舎暮らしとか、カルト集団の共同生活とか、外国人の共同アパートとか、風車やソーラーバッテリーのついたエコ・ハウスとか、オフィスをコンヴァージョンした住まいとか、思い浮かべてみると、興味があるのは、新しい居住スタイルよりも、その容器の方である。すなわち、住居形式、居住空間の型の問題である。

住居という容器はそもそも保守的なものだと思う。しばしば、新しい居住スタイルを生み出す阻害要因ともなる。この間、日本の居住スタイルを規定してきたのは、nLDKという居住形式である。あるいはnLDK家族ともいうべき近代家族(核家族)のかたちである。新しい居住スタイルが広範に生まれてきているとすれば、nLDK家族モデルが崩れてきているということになるが、果たしてそうか。

こうした問題を「51C」(公営住宅1951年のC型)にまで遡って議論するのが本書である。いささか理屈っぽいかもしれないが、新しい居住スタイルを考えるテキストとしては、上野千鶴子、山本理顕を軸とする議論が最良だと思う。山本には、他に『住居論』『私たちが住みたい都市』などがある。

 理想の住まいはと聞かれれば、「ホテルのような住まい」と答える。完全サーヴィス付きの住宅である。しかし、一生遊んで暮らせる資産家でなければそんな居住スタイルは無理である。また、住まいの本質でもない、と思う。介護の問題にしても何にしても、サーヴィスされるものとサーヴィスするものとの関係、集まって住むかたちが新しい居住スタイルに関わっているのだと思う。

 




 

2024年7月18日木曜日

布野修司: 廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,1998年5月10日(日本図書館協会選定図書)

 布野修司: 廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集,彰国社,1998510(日本図書館協会選定図書)



『建築雑誌』1500号、百家争鳴、『室内』、2003年4月

 



AFシンポ「アジアの建築文化と日本の未来」,雑木林の世界64,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199412

 AFシンポ「アジアの建築文化と日本の未来」,雑木林の世界64,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199412





四面楚歌の建築家はどこへ向かうべき,居酒屋ジャーナル1,建築ジャーナルNo.1104,200606

居酒屋ジャーナル

四面楚歌の建築家はどこへ向かうべきか

 

耐震計算書偽造事件、ダンピング続出の設計入札、PFIの台頭…。現在、建築界や建築家を取り巻く状況は依然厳しい。

そこで今号から関西在住の建築家と識者4人に、本音で建築について議論を重ねてもらった。


――昨年から建築界にさまざまな不祥事が起っています。特に耐震構造計算書偽造事件は深刻な問題ですが、どのようにとらえていますか。

 

姉歯事件後、やるべきこと

 

布野 建築界にとって大変なダメージだと思っています。この事件を受けて日本建築家協会(JIA)や建築士会、そして国交省が、資格の見直しや倫理教育を改める方向で対処しようとしています。しかし、それだけで解決できません。モラルの問題はそもそも論外。しかし、それでも問題は起きます。その責任は、建築家個人が背負えるものではなく、社会的に担保するような保険制度をつくるべきです。

――保険で責任を担保するなら、確認申請は不要になりませんか。

布野 許可制にしたらいいのですが、審査の能力がないことが今回明らかになった。確認の時に、施主(建設者)も、設計者も、施工者も、利用者(購買者)も保険に加入する。

松隈 私は最近、建築設計から離れていますが、設計事務所の立場から見れば、民間に審査機構が移って、随分と建築申請が楽になったのでは。

永田 日本ERIでもそうですが、民間会社では2週間で許可を下す。他社と競争するから「早い」のでしょうが、これでいいのかという不安がつきまとう。昔だったら、構造上複雑な設計は構造設計者自らが行政の窓口に行き、安全性への配慮を技術的に説明しました。そうしたことが若い行政官の学習の場ともなったのです。だから許可が降りるまで、1カ月なんてすぐ経過しました。今は、設計事務書の経歴を見ただけで、「この業績なら大丈夫」と推測で判をついているとしか思えない。

布野 民間の検査に比べて確かに建築主事の審査は時間がかかった。しかも偽装見抜けなかったわけです。

 今回の事件で、「検査機関は行政も民間も信用できない」、ということが広く世間に認知されたことが逆にチャンスと言えます。「悪徳建築家に遭遇するかもしれないので、保険をかけよう」となる。

横内 偽造事件は、検査機関にとって想定外だったと思いますね。構造計算が適正値かを調べるのではなく、全体が建築基準法に適合しているかを検査するのが主な業務でしょうから。

 今後は、構造とそれ以外の集団規定の項目を分けて、2段階でチェックするなど、厳しくする必要がありますね。

布野 耐震上危険な構造計算を入力可能な大臣認定ソフトも疑問ですが、欠陥のある図面に従って施工してしまう現場もおかしい。つまりそれをチェックできる構造設計者が不在なんです。だから今、構造設計者が社会的な地位を求めるのは当然のことだと思います。

 また構造設計者である姉歯氏は当然罪はあるが、結局その元請の設計事務所が罪を負うことを、世間は分かっていない。

永田 時にその設計事務所の責任をないがしろにする現場に遭遇します。私のところもマンションを何十棟とやっていますが、そこで事件が起きた。構造設計は長年付き合いのある構造設計事務所で、施工は大手ゼネコン。しかし、私の知らないところで、ゼネコンは構造設計を下請けの設計事務所にやらせていた。私の名前を勝手に使って、コストの低い構造設計への変更を申請していたわけです。それに気づいて関係者に抗議し、設計の責任は私にあることを改めて確認してもらいました。実際、姉歯氏のケースは建築界にはよく起こり得るのてはないか。

 

「私たちは悪くない」とJIA

 

――学生はこの事件について、どんな受け取り方をしていますか?

布野 推薦入試の面接時に、18歳の生徒が「あんなの許せません!」と怒っていた。この子たちの方がよっぽど健全ですよ。

松隈 残念なのは、業界全体に対する信頼が失われているときに、どうやってそれを回復するかということが考えられていないことです。

布野 JIA会長は「JIAの建築家は不正をするような団体と違いますよ」と、東京の銀座でビラを配っていた、聞きます。ちょっと違う。問題は仕組みでしょう。このことは建築家職能の問題ともつながります。別の問題ですが、PFIの出現によって建築家の存在自体が抹殺されていきますよ。

 

PFIが建築家を抹殺する

 

布野 5年ほど前から、国が発注する公共建築の仕事はほとんどがPFIです。この方式は簡単に言えば総合評価による競争入札によって民間の事業者を選定します。一定以上の規模の建物はWTOが要求しています。そして、建設のみならず、SPC (特別目的会社) 30年間、維持管理も含めて、運営するわけです。自治体は事業を丸投げでき、こんな楽なことはない。怖いのは、安いのが質の評価で逆転されること。

横内 事業主は経営計画までできなければならない。

布野 地元の設計事務所や工務店などの小さな所はほとんど対応できない。組織設計事務所でも大変でしょう。

横内 いずれにしても、建築業界が非常に企業化していますね。「フリーアーキテクト」が主流の時代でなくなってきていることは、現場でひしひしと感じています。

――自治体はリスクを負いたくない。だから大事業は資本のあるところに任せたいという傾向はどんどん強まっていく…。

布野 もちろんそういうこともありますが、道路やダムなど、公共事業の予算が余り、事業が滞っている側面もある。

松隈 建設投資の出口を探しているような状態ですね。

 

景観法は建設予算のはけ口か

 

――景観法の施行も、建設投資が背景にあるのではと邪推してしまいます。

松隈 ダムや高速道路を建設することは市民からの反対が多い。しかし、景観のために電柱を地下に入れることには予算が通るという理屈で、資本投下され始めている。

布野 私自身は、景観法に対する是非はまだ決めかねています。可能性はあると思う。しかし景観整備は利害が絡むから、あまり思い切ったことができない。合意形成のよい方法がないのです。

 最近、私は宇治市で景観問題に取り組んでいますが、私も会長を務める宇治市都市計画審議会で、都市計画法による高さ規制を見直す方針を出しました。世界遺産である平等院から見渡せる一帯が対象で、その一帯に建設されるマンションの高さ規制になるわけです。これは全国でも画期的なことだと思う。

横内 結局のところ、景観問題は権力がないとできないんじゃなですか。

布野 都市計画は基本的にそうです。

横内 今の行政はいい意味で権力を失い、民衆をまとめきれないという感じを受けます。景観法を自治体が主導してうまく使えば、積極的な取り組みがいくらでもできると思う。でも全然腰が上がらない。

布野 「住民参加」と集まってワークショップをわいわいやったからといって、物事は決まるわけでもない。やはりその間に、オーガナイザーとしての専門家が必要。それは「建築家」ではなくて、「タウンアーキテクト」なんですよ。

(以下、次号に続く)

 

<プロフィール>

プロフィールダミー>

布野修司

滋賀県立大学環境学科教授

ふの・しゅうじ|1939年島根県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。京都大学教授を経て、2006年より滋賀県立大学教授。主な著書に『布野修司建築論集』『戦後建築論ノート』など

 

永田祐三

永田北野建築研究所代表

ながた・ゆうぞう|1941年大阪府生まれ。1965年京都工芸繊維大学建築工芸学科卒業。竹中工務店勤務後、1985年永田北野建築研究所設立。1993年村野藤吾賞受賞(ホテル川久)

 

松隈洋

京都工芸繊維大学助教授

まつくま・ひろし|1957年兵庫県生まれ。1980年京都大学工学部建築学科卒業。前川國男建築事務所勤務後、2000年より京都工芸繊維大学助教授。著書に『近代建築を記憶する』など

 

横内敏人

横内敏人建築設計事務所代表

よこうち・としひと|1954年山梨県生まれ。1978年東京芸術大学建築科卒業。前川國男建築事務所勤務後、1991年横内敏人建築設計事務所設立。三方町縄文博物館設計競技1

 

<案内>

「居酒屋ジャーナル」参加者の募集

あなたも4名の常連とともに、建築界に物申しませんか? 参加ご希望の方は以下の連絡先まで。 

居酒屋ジャーナル担当:〒541-0047 大阪市中央区淡路町1-3-7キタデビル

建築ジャーナル大阪編集部 TEL06-4707-1385 

FAX06-4707-1386

E-mail  oosaka@kj-web.or.jp

 

 

 





 

2024年7月17日水曜日

「タウンアーキテクト」が選定方法を決め,審査すればよい, 建築ジャーナルNo.1104,200606

 04  審査員の問題

「タウンアーキテクト」が選定方法を決め、審査すればよい

インタビュー・布野修司|滋賀県立大学大学院環境学科教授

コンペの審査員の多くは建築家だ。審査は建築の専門家でなければ不可能だが、選定案が市民に受け入れられない場合もある。その場合の責任もとれない。これらの問題を解決するには、コンペの改善にとどまらない、まちと建築家とのかかわりを根本的に変えるシステムが必要だ。

 

本文178     


コンペの大きな問題の一つは、やはり「審査員」でしょう。審査員は、自分の見識の全てをかけて選定に望むはずです。しかし、その案が必ずしも利用者である住民に受け入れられる訳ではありません。また竣工後、使い勝手が悪く、メンテナンス費用が多くかかることがあります。その時、改修の責任を負うのは発注者の自治体です。審査員に「何でこんなものを選んだのか」と問いつめても、彼らは知らんぷりをせざるを得ない。選定後の責任を負いませんし、それに伴う費用も支払われていないからです。

 さらに審査員は、自治体と提案者である建築家との調整役も担っていません。一方で建築家はコンペで選定された自分の案を絶対視し、設計変更に応じない傾向があります。その時、調整者の不在で、トラブルとなるケースが多々あります。

 これらの問題を解消するために、私は、審査後に審査員をそのまま「建設検討委員会」に移行すべきだと主張しています。設計変更の調整をし、一方で選定時の案の趣旨を守っているかをチェックするなど、少なくとも竣工までは見守るべきです。しかしこうした委員会はあまり実現していません。 

 近年のコンペを見ていると、審査員の顔ぶれに対して、「露骨だな」と思うことがあります。同じ建築家同士が、ときに審査員となり、ときに受賞者となります。まるでコンペが仕事を取り合う互助会システムのようにさえ見えてしまいます。これでは審査員に対する社会的な信用は得られにくのではないでしょうか。では、私のような利害関係のない大学教授など学識経験者が務めればいいかというと、必ず公平な判断ができるわけではない。教え子の建築家を優先して選定する可能性もあるからです。

 

コンペは「公開が基本」

 

私は、公共建築でのコンペにおいて、「公開が基本」だと考えています。10年程前、島根県を中心に実施された公開ヒヤリング方式コンペの審査員を務めたとき、それを実感しました。かかわったのは、「加茂町文化センター(ラメール)」(設計:渡辺豊和)、「悠邑ふるさと会館」(設計:新居千秋)、「メティオプラザ」(設計:高松伸)などです。当時はまだ公開審査が珍しく、これらのコンペは話題となりました。

 審査では、審査員も選定される建築家たちも同じ壇上に上がります。そこでの質疑応答は、会場の市民にすべてオープンにされます。だから、ライバルである建築家同士は、いい加減なことを発言できません。ここでは、従来のコンペが行っている密室に建築家を呼び込んで決定する際の不透明さがないのです。

 しかしこうした公開ヒヤリング型はもちろん、公開コンペ自体が減少しているのが実状です。コストや労力の負担が大きさに、自治体は尻込みしてしまうのでしょう。

 

プロのコーディネーターが必要

 

今後、公共建築のつくられ方は、二極化していくでしょう。一つの方向は、PFIです。自治体としてはPFI事業者がつくるSPC(特別目的会社)に全部ゆだねる方が楽なわけです。ただし、これは文化性の高い建築はつくり得ません。

 もう一つは、ワークショップ形式といった住民参加型のものですが、その実施はとても難しい。最近、話題となった群馬県・邑楽町新庁舎の住民参加型コンペでは、山本理顕氏の案が選定されました。しかし町長か変わった途端に廃案となりました。地方政治の渦中に巻き込まれたわけです。住民参加型は良い方法ですが、自治体、審査員、建築家、住民などの関係が不明瞭なまま実施されるので、頓挫する可能性も高いのです。この手法には、プロフェッショナルなコーディネーターが必要です。それは住民の多様な意見をまとめ、決定する存在です。 

 ところで、コンペに限りませんが、住民の意見を統一し、質の高い建築がつくりやすいまちの規模があるようです。人口で1~3万人、「市」とならない程度がいい。そこの首長が見識を持った建築家であれば、なおよい。役所の職員も意欲を持ち、何か面白いことをしたいという機運が生まれやすいでしょう。

 

タウンアーキテクトの可能性

 

以前から私は、先に言ったコーディネーターに代わる「タウンアーキテクト」制を提唱しています。直訳すれば「まちの建築家」ですが、「まちづくりを担う建築の専門家」を意味します。必ずしも建築家である必要はありません。欧米では副市長として建築市長を置くことに近いのかもしれない。

 この「タウンアーキテクト」の発想の原型には、「建築主事」があります。たが、彼らは基本的には建築確認業務に従事する法の取締役にすぎない。「建築主事」が不得意なデザイン指導に関して、地域の建築家が手伝う形では、「建築コミッショナー」制が試みられています。「熊本アートポリス」「クリエイティプ・タウン岡山」などで実施されています。ただし、これらも限られた公共建築の設計者選定の仕組みにすぎません。むしろ「タウンアーキテクト」に近いのは、「都市計画審査会」「建築審議会」「景観審議会」といった審議会です。しかし、審議会システムが単に形式的な手続き機関に堕落する可能性が常にあります。

 そこで私のイメージする「タウンアーキテクト」ですが、一定の権限と報酬を与えられ、まちづくりの視点から建築を計画します。首長の任期とは関係なく、仕事を継続できる。一人ではなくとも委員会制にして順繰りに担当させてもいい。またその選び方は、公募か、首長が指名してもよい。

 そして個々の建築の設計者選定法はこの「タウンアーキテクト」に判断させるのです。ある時はコンペ、ある時はPFI、随意契約と、規模や内容、経済状況を検討して、適切な方法を選択します。そしてコンペの場合なら、審査員を務め、案の選定後の施工、竣工後と、トータルな過程で意見を出し、責任を持ち続けます。変なものをつくれば、市民によってリコールされていい。また中立的であるため、その人が建築家である場合は、任期中は対象のまちの建築設計業務を禁じます。

 かつてこのシステムを確立しようと奔走しましたが、既成の制度や権益に抵触するのか建築団体から抗議を受け、つぶされました。そこで、独自に試みているのが「京都コミュニティ・デザインリーグ」です。京都を拠点に置く大学・専門学校などの建築言系・デザイン系の研究室が、京都のある地区を担当し、建築プロジェクトの提案を行っていくというものです。

 また最近では、「コミュニティ・アーキテクト」制の構想を立ち上げようとしています。これは建築に限らず、環境、経済、文化など広い視点でまちを診断し、本当に必要な事業を提案していくというものです。

 現在の建築界には、新しい方法論が必要なことは確かです。「タウンアーキテクト」や「住民参加型コンペ」にしろ、新しい試みにより一つずつ良い建築をつくり出していけば、そこかから突破口が開かれるのではないでしょうか。

 

<プロフィール>

ふの・しゅうじ|1949年島根県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。京都大学教授を経て、2006年より滋賀県立大学大学院教授。主な著書に『世界住居誌』『布野修司建築論集』『曼陀羅都市』『戦後建築論ノート』など多数。日本建築学会アジア建築交流委員会委員長、島根県環境デザイン検討委員会委員、宇治市都市計画審議会会長