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2021年11月15日月曜日

07 ビルの谷間の町家-木造建築,消えゆく運命,スペ-スspace,読売新聞家庭欄,読売新聞社,19931020

スペ-スspace16回 読売新聞家庭欄1992020519931229 151992020519920325 2111993~19931229

 

07  ビルの谷間の町家-木造建築,消えゆく運命スペ-スspace読売新聞家庭欄読売新聞社19931020

 

 ビルの谷間に埋もれた町屋、こんな光景があちこちにある。京都でも、東京や大阪でも同じである。

 この光景をみてどう思うか、見解は二つに分かれよう。ある人は、残された町屋をみっともないと思う。両隣のように後退して建て替えたら町並みはきれいになるのにと。また、ある人は思う。伝統的な町屋の町並みが失われて行くのは悲しい。町並みを壊したのは現代建築の方だと。

  この二つの見解のどちらに組みするか、これは日本の町の行方に関わる大問題だ。しかし、それ以前の問題がある。伝統を重んじてきた京都でも木造の町屋は早晩消えざるを得ない運命にあるのだから。どういうことか。

 いかに町屋を残したくても、税金のために土地を手放さざるを得なくなるということがある。地価に見合った有効利用が望ましいということがある。しかし、経済原理だけで町ができるわけではない。町屋を残したい、木の文化を保存したいと思う人は少なくないであろう。

 問題は、残したくても、建て替えようとすると木造では許可されないという防火上の法的問題があるのである。両隣をビルで挟まれて他に延焼のおそれがない状況でも木造による建て替えは一般的には許されない。

 町屋は町屋なりに、うだつを設けるとか、軒高を低くして厨子(中)二階にするとか、虫篭(むしこ)窓にして開口部を少なくするとか、漆喰壁を用いるとか、様々な防災的工夫をしてきたのである。何よりも、火の用心に気をつけてきた。今日だって様々な工夫で木造の町屋は建ち得る筈だ。

 しかし、戦後バラックの時代に木造はとにかく駄目ということでやってきた。戦災や震災で痛い目にあってきた経験からである。

 木造は駄目ということだから木の文化が廃れるのは当然だ。美しい木造の町屋が建ち並ぶ条件なくして日本の町の行方を占うのはフェアではないと思うのだが。


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