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2021年11月17日水曜日

09 壁面劇場-自分の家だから自己表現,スペ-スspace,読売新聞家庭欄,読売新聞社,19931103

 スペ-スspace16回 読売新聞家庭欄1992020519931229 151992020519920325 2111993~19931229

 09  壁面劇場-自分の家だから自己表現スペ-スspace読売新聞家庭欄読売新聞社19931103

壁面一杯に描かれたスーパーグラフィックは、タイのビルディング・トゥゲザー(一緒に建てよう)というグループの作品である。全体はいくつかのクラスター(房)で構成されているのであるが、各棟の妻壁にそれぞれ思い思いの絵がアーチストによって描かれている。とても楽しい。

 実は、この団地が珍しいのは壁面の絵だけではない。団地の建設そのものも手作りなのだ。居住者自身が、夜間やウイークエンドにブロックをみんなで積んで創った団地である。専門家や職人の力も借りたのであるが随分と立派である。みんなで作り上げたから愛着があるのであろう。壁の絵も自分たちのものだというひとつの表現である。

 日本では、こうしたスーパーグラフィックの表現は余り好まれない。護岸用のコンクリートの壁や工事現場の塀にところどころ試みられているがヨーロッパなどに比べればあまりパットしない。生地(きじ)のままが日本人に合う。

 タイの人々は自宅の壁によく絵を描く。この団地でもパンダの絵を上手に描いた例を見かけた。インドネシアの人たちもそうだ。思い思いに絵を描くのがむしろ普通のようにみえる。

 日本で集合住宅の壁にひとりだけペンキを塗ったりすれば大問題である。区分所有法や建築協定の規定に違反することになる。しかし、自分の壁に自由に絵を描いていいということになったらどうだろう。

 おそらく見解は真二つに分かれる。醜悪になるに決まっている、我慢できないとなるか、面白いかも知れない、個々の表現が集まって全体として面白い表現になるかも知れないとなるか。

 日本では、身近な環境に個々人が自己表現する場所が極めて少ない。また、日本人は必ずしもそれを好まないし、得意でもない。もう少し、自由な表現がなされてもいいのではないか。積極的に集まって住む意味が見直される機会になるような気がするのであるが。



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