『建築雑誌』編集長日誌 布野修司
2002年6月
World Cup漬けの一ヶ月
2002年6月1日
京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)年に一度の京都CTスキャン、断面調査の日。昨年は八坂神社から松尾大社まで四条通りまで歩いた。今年は第2回目。鴨川沿いに南北縦断を試みる。出発点は高野川と賀茂川が合流する下鴨神社で終点は鴨川と桂川が合流する羽束師橋である。題して「鴨川蛇行大南下」。こうした抜群のネーミングは大抵運営委員長の渡辺菊真による。今年の実行委員長は米津孝祐(京都大学)君である。
2002.6.01(土)
第2回京都断面調査
─京都CTスキャン─
「鴨川蛇行大南下」
概要は以下の通りだ。
■日時;6月1日(土)9:30〜
■集合場所;鴨川デルタ(賀茂川と高野川合流ポイント=鴨川開始点)
■主旨;
京都を人体に見立てて、CTスキャンするかのように、京都盆地帯状断面を機械的踏査する。これにより普段払拭できない先入観、固定観念としての「京都イメージ」を除去することを目指す。
学区などのコミュニティ単位に基づいた持続的調査からは想定できなかった、思いがけない「もうひとつの京都像」が浮かび上がるであろう。
■調査
Ⅰ..調査エリア
鴨川および、鴨川を中心軸としそれを挟む東西周辺街路を南下する。鴨川デルタ(賀茂川高野川合流点=鴨川開始点)を始点とし、羽束師橋(鴨川桂川合流点=鴨川終点)を終点とする。
Ⅱ..調査方法—2つの京都断面行進隊—
以下のような2つの隊列を結成する。
東岸蛇行南下隊=鴨川東岸および東側街路を南下
西岸蛇行南下隊=鴨川西岸および西側街路を南下
Ⅲ..調査項目
ⅰ「京都」を問う-京都観測発見隊-
①「京都」を感じるポイント
②「京都」とは関係なく、各自が興味をおぼえたポイント
③とにかく不快に感じたポイント
④気分の複合を感じるポイント
※4色ボールペンを使い、ベースマップに①→赤、②→青、③→黒、と塗り分ける。気分の複合を感じる場合は緑色で「①+②」、「①+ ②+③」のように記述する。
ⅱ「京都」をシラミ潰す-単一要素観測専門隊-
都市の単一要素(祠・自販機・公衆電話・植栽・浮浪者住居等)の位置を執拗に地図上に記入することを専門とする。当然写真撮影 も行う。
Ⅳ..調査携帯品
①カメラ
②4色ボールペン
③ベースマップおよび調査シート(画板もつける)
全行程は20㎞を超える。事務局長として自由行動とさせてもらう。テーマは鴨川にかかる橋である。また、橋の下である。蛇行でなく、土手に沿って真っ直ぐ歩いた。ほぼ全ての橋の下にホームレスの諸君がいた。いささか早く着きそうだったので最後の橋の下では一時間半しゃべった。近藤さんという、彼は、生い立ちから、ホームレスの生活について事細かに教えてくれた。鶏を飼っていて、河原を利用した菜園もある。何故か貨物車両が置いてあって倉庫になっている。廃品回収が主な仕事だという。そうだとは思っていたのであるが、ホームレスの間にはネットワークがあり、そのネットワークを組織する人(オルガナイザー)がいるのであった。
2002年6月4日
ワールドカップ、日本-ベルギー戦。いよいよ日本登場である。手に汗握る展開。2-2で分ける。勝ち点1。歴史的快挙の大騒ぎが解せない。勝てた試合であった。
藤田委員から「木質構造デザインの可能性」表紙用の文章(案)と表紙のコンセプトが送られてくる。
□
木質構造の新展開
在来木造構法に加えて,木材の二次加工品を用いた木質パネル構法・集成材構造,北米の在来構法である枠組壁工法(通称ツーバイフォー工法)などを含めて木質構造という.これは,わが国の在来木造構法のみを対象としていた木構造を包含する概念として1970年頃に提唱された.1987年の法改正で大断面木造建築が可能となり,木質構造デザインの可能性は大きく広がった.
そして,1995年兵庫県南部地震の甚大な被害を経て,木質構造を取り巻く環境はどのように変化したのであろうか.木質構造に関する最近の展開を,木造住宅・木質構造と免震・大規模木造・木質系材料・生産組織という視点から紹介する.
□
木構造の再評価
木質構造という言葉が提唱された背景には,第二次世界大戦以降,建築構造の分野だけでなく建築界全体から見向きもされなくなった木構造から脱皮し,新しい未来に向けた構造としての印象を打ち出そうという意図があったと考えられる.その結果,木質構造は木構造を包含するという本来の意図とは反して,古い在来の木構造はマイナーな構造種類として軽視されてきたことは否めない.しかし近年は,既存建築物の再利用を促進する社会的な動向・実験データの整備・コンピュータなど解析技術の進歩などにより木構造の再評価が行われ始めている.在来構法・伝統木造・古建築・文化財建造物など,従来はその工学的な評価が難しいとされてきた木構造の構造性能評価に関する最近の試みを紹介する.
木質構造デザインの可能性 :表紙のコンセプト
木質構造と木構造,新旧両面の検討を通じて分かることは,最新の木質構造は旧来の木構造の優れた部分を取り入れようとしており,逆に古い木構造には最新の技術が導入されている.木質構造デザインの可能性は,現代に生きる過去の木構造から得られる知見をいかに内包していくかが鍵になるのではないであろうか.
接合部を中心として新旧の色々な図と写真を添付しました.
新旧の対比が当初の意図ですが,最終的には両者の融合が重要ではないかと思います.
上記のようなコンセプトで,図を適宜組み合わせていただければと思います.
また、野口委員より11月号目次最終案が送られて来た。いい原稿を待ちたい。
「建築の寿命」目次構成(最終案)
1. 建築の寿命に対する考え方 (2ページ)
執筆者:友澤史紀(北海道大学大学院工学研究科・教授) 承諾済み
2. 建築の寿命に対する海外の考え方 (2ページ)
執筆者:Mr. Martin Cook(BRE・Principal Consultant) 承諾済み
3. 建築の寿命に対する建築主・設計者・施工者の意識 (2ページ)
執筆者:大久保孝昭(建築研究所) 承諾済み
4. 建築の限界状態
(1) 構造上の限界
a. 木造 (2ページ)
執筆者:佐藤雅俊(東京大学大学院農学系研究科・助教授) 承諾済み
b. 鉄骨造 (2ページ)
執筆者:大井謙一(東京大学生産技術研究所・助教授) 承諾済み
c. 鉄筋コンクリート造 (2ページ)
執筆者:壁谷沢寿海(東京大学地震研究所・教授) 承諾済み
(2) 機能・用途上の限界 (2ページ)
執筆者:真鍋恒博(東京理科大学工学部・教授) 承諾済み
(3) 設備上の限界 (2ページ)
執筆者:高草木明(NTT建築総合研究所・FM技術部長) 承諾済み
(4) 経済上の限界 (2ページ)
執筆者:吉田倬郎(工学院大学工学部・教授) 承諾済み
5. 寿命・余命の設計・推定
(1) 建築物の耐久設計 (2ページ)
執筆者:本橋健司(建築研究所) 承諾済み
(2) 建築寿命の推定 (2ページ)
執筆者:小松幸夫(早稲田大学理工学部・教授) 承諾済み
(3) システム・製品寿命の設計・推定 (2ページ)
執筆者:加藤 悟(東京大学大学院工学系研究科・助手) 承諾済み
6. 建築の寿命診断
(1) 診断の役割 (2ページ)
執筆者:馬場明生(山口大学工学部・教授) 承諾済み
(2) 住宅再生のための診断・評価 (2ページ)
執筆者:高城亮一(積水ハウス総合住宅研究所・部長) 承諾済み
(3) 診断・モニタリング技術 (2ページ)
執筆者:桝田佳寛(宇都宮大学工学部・教授) 承諾済み
(4) 診断資格者 (2ページ)
執筆者:吉田正良(BELCA・専務理事) 承諾済み
7. 建築の寿命と保存 (2ページ)
執筆者:後藤 治(工学院大学工学部・助教授) 承諾済み
8. 建築の寿命と損害保険の役割 (2ページ)
執筆者:小林 誠(インターリスク総研・主席研究員) 承諾済み
9. 資源環境問題と建築の寿命 (2ページ)
執筆者:水谷 広(日本大学生物資源科学部・教授) 承諾済み
10.建築寿命における建築ゲノム論 (2ページ)
執筆者:野口貴文(東京大学大学院工学系研究科・助教授) 承諾済み
2002年6月5日
6月号の表紙、扉について大崎幹事から意見。
特集の目的に関わることは,扉に書かれるので,表紙はそれと重複しないほうが良いと思います。3月号では,単に表紙の説明文としました。
藤田委員から即座の反応。
ただいま電話で小野寺さんからも,大崎先生と同じご意見を頂きました.ご相談した結果,方針を以下のように変更することにしました.
・表紙の写真を渡辺先生の牧野富太郎記念館の内観写真にする.
・表紙の文章は,これに合わせて修正する.
・扉の写真は,木造実験(温故知新的なもの・藤田が持っている組物の実験)にする.
・扉の文章はそのまま.
よろしくお願いします.
木質構造デザインの可能性
表紙の文章(案)
□木材のめり込み
木材の繊維に直交方向の圧縮のこと.狭義には木材繊維に直交方向の部分圧縮を示すが,全面圧縮を含めてめり込みということもある.割裂,直交異方性,クリープなどとともに,木質構造を設計する上で問題となる材料的な特徴の一つである.
□継手仕口
伝統的な接合部(継手仕口)は,木材のめり込みが主要な変形の要素であり,剛性は低いが靭性のある架構を形成する.しかし,その多様性と複雑さから定量的な評価方法の確立が困難であり,通常の構造解析ではピン接合として扱われることが多い.
□面格子の応用例
木材のめり込み現象を,実験結果に基づいて理論的に定式化することにより面格子を構造耐力要素として扱った事例(特集P*参照).これからの木質構造は現代に生きる過去の木構造から得られる知見をいかに内包していくかが鍵になるのではないであろうか.
扉の文章
「木質構造」という言葉が公に用いられた最も早い例は1971年に刊行された杉山英男(東京大学名誉教授)による「木構造」文1の序文であるといわれる文2.しかし,建築学会がこの言葉を公に使用するのは,その23年後の1994年である注1.これは,戦後から続いた「木造の暗黒時代」からようやく脱して,木質構造としての新たな一歩を踏み出した時代でもある.現在,「木構造」から「木質構造」へとその捉え方を新しくしてから数年が経過したが,はたして建築構造の一分野としてその評価は定まっているのであろうか.
「木質構造」と「木構造」という新旧両面の検討を通じてこれからの木質構造デザインの可能性を探ることが本特集の趣旨である.木をより美しく,より安全に,建築の構造材料として使い続けていくには何が必要なのか考える契機となれば幸いである.
注1 1994年度には「木構造運営委員会」が「木質構造運営委員会」に改称され,1995年には「木構造設計規準・同解説」が「木質構造設計規準・同解説」と改訂出版された.
文1 杉山英男「木構造」建築構造学大系22,彰国社,1971年3月
文2 坂本功:「『木質構造』の由来と意味に関する考察」,日本建築学会大会学術講演梗概集,1994年9月
2002年6月7日
理事会。新理事を加えた懇親会。学会長、学会の活動方針を確認する。この一年の活動成果は17日の学会長インタビューで確認することになる。
2002年6月8日
建築批評で活躍した、また、スクォッターという建築書店を運営してきた大島哲蔵が亡くなったという連絡がある。水曜日頃、大阪の自宅で椅子にもたれたまま死んだという。無念。彼とは同い年で、一緒に仕事をしたことはなかったけれど、シンポジウムなどで、何度か議論したなかだ。ご冥福を祈る。合掌。
2002年6月9日
結婚式で上京。東洋大学時代の教え子、八巻秀房君が長い春に終止符を打った。逝く人もいれば、新たな人生の門出を迎える人もいる。人生かくの如しだ。
八巻君は卒業と同時に住宅消費者連盟という団体に入り、10年程前に、大野建築アトリエにいた山中文彦さんと家づくりネットワークを立ち上げた。卒業以来、一貫して住宅づくりネットワークに関わり続けている。昨年は金山杉を用いた住まいづくりで林野庁長官賞を受けた。えらいもんだ、と請われるままに挨拶した。
20:30からは日本-ロシア戦。稲本の一点で勝つ。ひとりでTV観戦もなかなかいい。
2002年6月10日
17:00より、学会で、9月号「建築年報2002」のための「建築デザインの総括座談会-2001年度の動向を中心に」に参加、司会する。参加をお願いしたのは、平良敬一氏・渡辺豊和氏・山本理顕氏の三人。
豊和さんは、この一年記憶に残る建築がない、と嘆きながら、一時間以上も前に来て、『作品選集』、『新建築』のバックナンバーをぺらぺらとめくって予習である。平良さんは『造景』の編集に携わられているから、建築の動きは把握されている筈である。残念なことに『造景』は終刊するとか。編集の神様も思うようにならないことはある。僕はたまたまこの二年、作品賞の委員をしたから、およそ、主だった建築作品はわかっているつもりではあった。
今や脂がのりきっている理顕さんに口火をきってもらう。「建築は閉じている。社会に対して開いていない」「こうして作品と言っても、業界内の話でしょう」「いま、社会はものすごく動いている気がします」といった口火に、平良、渡辺の両氏はいささか乗らない。
「強いて挙げるとすると、伊東豊雄の仙台メディアテークかな。あとはみんな同じに見えてしまう」というのが豊和さん。
「僕は、ヴァナキュラリズムというか、地域と建築家の関係に興味を絞っているからね」と平良さん。
「社会と建築と言うけれど、建築家であれば空間で勝負すべきですよ。この間、建築家は新しい空間を提示してないんですよ。それが問題だ」
始めて知ったけれど、若い建築家たちの間に「非主体宣言」が蔓延しているという。
話はまあまあであったけれど、固有名詞が出てこない。ゲラの段階で入れてもらおう。
2002年6月12日
イングランドーナイジェリア戦。研究室のインドネシアからの留学生のバンバン・フェリアントが偶然チケットを手に入れ、4人で大阪、長居競技場へ。もう生きているうちには、ワールドカップなど日本に来ないのだから、素直に喜ぶ。
驚いたのはイングランド・ファンが多いこと。みんなが白と赤のイングランドのユニフォームである。ナイジェリアの緑はほんの一画を占めているに過ぎない。ナイジェリアは予選敗退が決まっているから仕方がないかと思うけれど、「ベッカム、ベッカム」ばかりでは困る。といいながら、ベッカムが登場すると、僕も何枚もシャッターを切る。50歩、100歩のミーハーであることには変わりない。完全にワールド・カップ・フィーヴァーの渦中にある。
試合は凡戦であった。イングランドの引き分けねらいが見え見えで冴えたプレーは少なかった。マン・オブ・ザ・マッチはナイジェリアのオコチャであった。彼のプレーはさすがに魅せた。
とは言え、スタジアムに行かなければわからないこともある。
① 何故、選手が髪型に拘るのか。目立たないといけないからである。ナイジェリアの選手などスタンドからだと皆同じに見える。ベッカムは遠くからでもベッカム・ヘアーでわかるのである。
② TV観戦だと、一体フォアードは何をして居るんだと時々思うけれど、彼らはボールが来なくても走り回っている。大変な重労働である。
③ サポーターの応援(イングランド)は実に自発的でしかも統制がとれている。5パターンぐらい応援の型があって、全てのサポーターがタイミングを知っている。重厚で深さを感じさせる応援である。
0-0の引き分け。アルゼンチンがスェーデンに負けたという情報はすぐに伝わってきた。イングランドは二位通過である。2位通過の方が夜、新潟でやれるからいい、という声も聞こえてきた。
イングランド・サポーターは満足でフーリガンと化す気配は全くない。騒動を恐れて店を閉めていた長居競技場の周辺は拍子抜けである。人混みを避けて、しばらく、長居競技場周辺で過ごす。するとそこには見慣れた青いビニールテント。競技場に隣接して、ワールドカップとは全く無縁の世界もあるのであった。
帰ると、小野寺さんからメール。浅川先生の韓国からのメールの転送である。この浅川先生、完全にサッカーに嵌ってしまっている。前回のフランスのワールドカップにもはるばる出掛けて、チケット問題で見られなかったという。
布野先生
ワールドカップと編集委員会が重なりそうとのことです。浅川先生には、もし日程がずれたら委員会に参加くださいと伝えました。現在、韓国で観戦中です。建築学会 小野寺
Original Messageはこうだ。
日時 : 2002年 6月 11日 火曜日 午前 01:50
件名 : えらいことです!
小野寺さま
えらいことです。
出発直前、W杯の日程を再確認していたところ、日本がH組1位で予選リーグを突破した場合、 その試合は、6月18日 15:30~(宮城スタジアム) でして、まさに委員会とドンピシャ!
あくまで客観的にみても、現状では日本がH組1位となる可能性はきわめて高い。 この場合、どうしますか? 委員会のみんなでTVをみて、試合が終わり次第 ミーティング(酒あり!)なんてことなら、出席できますが、 試合がみれないなら、わたしは出席できません。
ちなみに、日本がH組2位の場合、試合は 17日の20:30~で問題ありませんが・・・
ちなみに、いま、かなりに細かく勝敗表を検討したんですが、 ベスト4はドイツ、スペイン、ブラジル、と・・・ スウエーデンもしくは日本となる可能性大であります。
浅川先生がサッカー・フリークであることは昔から知っている。奈良国立文化財研究所の裏口にはサッカーシューズ用の靴箱があるのをご存じか。奈文研にはサッカーチームがあって、昼休みにはサッカーをやるのが日課なのだ。
何を隠そう。僕もかつてはサッカー少年であった。10年近く前に、浅川チームと試合をしたことがある。2度とも我が方が負けた。遙かに平均年齢が若いのにも関わらずだ。我がチーム名は、フノーゲルズという。いかにも弱そうで名前が悪い。最近復活したことは先月書いた。
山根委員からメール。8月号の編集では大活躍である。大助かりだ。急遽レバノンに出張だったらしい。
-Foreign Eyes 執筆者の推薦-
先日レバノンを訪れる機会があり、建築家で1981-90に東大生産研(原研)に留学されていたNadim Karam氏を推薦いたします。現地で会う機会があり、記事を紹介したところ、是非執筆したいと、本人には内諾を得ています。現在も東大寺でのアートプロジェクトなど、日本でのプロジェクトを進めていて年に1度は来日しているとのこと。小嶋さんはじめ、特に原研出身の建築家たちともご懇意とうかがいました。
小嶋一浩委員から即反応。
小嶋です。
NADIM さんはよく知っています。今年も3月に東京で会いました。彼はベイルートでは建築学部のディーンであると同時に、世界各地でアーティストとして活動しています。昨年はロンドン、今年はプラハ、東京、オーストラリアでプロジェクトを進めていると聞きました。日本に留学してきていたときには、ストライプハウス美術館やスパイラルで個展をやった実績があります。そういうわけで私からも推薦いたします。よろしくお願いいたします。
世間は狭いということか。
都立大学の藤田香織委員からメール。6月号あがる。少しずつ発行日が早まる。ご苦労様でした。
6月号の表紙・扉・鼎談のチェック等が先週で終わり,今週から印刷に入りました。もう後は出来上がりを待つのみになりました.不慣れなもので,ご迷惑ばかりおかけしてしまい申し訳ありませんでした.
企画立案から,表紙の細部にいたるまで,丁寧にご指導頂きまして,本当にどうもありがとうございました。最後の方は随分,押してしまい申し訳ありませんでした。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます.
オランダからシンポジウム参加の催促。
Dear Professor Shuji Funo,
In april you wrote to the International Institute for Asian Studies that you would
like to have a second to consider your participation in the conference on
mega-urbanization in Asia (Leiden, 12-14 December 2002). We are now drawing up
the final programme. Could you, please, inform us about your decision whether
or not to join the conference. You may like to know that we are still applying
for grants so that we can reimburse at least a part of the travel costs of the
participants. Unfortunately, I cannot yet tell you to what extent we will
succeed. At this stage, however, it is important for us to know who are
interested in principle. Although we regret when financial constraints will
later impede your participation, we would fully understand if you withdraw when
financial support does not materialize. Again, we can only apply for the
possible grants when we have a complete list of participants.
Yours sincerely,
Freek Colombijn
ワールドカップでそれどこじゃない返事。すると、われわれも、勝敗に関係なく毎試合楽しんでますと返事がきた。前回4強のオランダは今回出場していない。
2002年6月13日
北澤委員から11月号「都市の行方」(仮)についてメール。
前回の編集委員会を受けて,再度見直しをしているところです.(いまごろやっていてと怒られそうですが)。前回の企画で人選をしているところですが,
1,対談は,磯崎先生と伊藤先生の二人でどうかと考えています.
建築家,都市計画家としての御二人から,これまで,どう建築家が都市に関わり,都市計画家はどう建築を見てきたか.時代をおいながら,相互の都市への考えを聞きます.
そして,これからの都市・農村を含めた生活空間の展望を相互に議論しあうという設定です.
2,その対談の材料ともなるのが,これまで,どちらかというと建築(あるいはそれに近い領域)から,都市への空間的な提案,考え方,計画,プロジェクトなどを整理していきます.図が中心となる.
3,空間的な提案
ここでは,30代から50代前半くらいのメンバーで,自らの構想する都市(農村)空間を提示してもらいます.スケッチ(あるいは写真)により,具体的な空間をイメージできるものを添付してもらいます.
2002年6月14日
日本-チュニジア戦。自宅でTV観戦。長居競技場だから、空間が身近だ。あそこはこうだ、ああだと騒いで顰蹙を買う。
後半、市川と森島投入のトルシエ采配見事。2-0で日本勝つ。勝ち点7、見事予選突破である。
すると大崎委員からメール。
大崎です。18日の編集委員会の日はサッカーの日本戦になりましたが,どこかで見られますか?
15日の試合は夜ではなくて15時半からですね。最後の15分でも見られればいいという感じでしょうか。
こんなことなら2位になってくれたほうが良かったのに...
さてさて困った。
小野寺さんからもメール。
遅くなりましたが、6月17日(月)12:00~、会長インタビューのレジメです。布野先生のご興味と、話の成り行きで進めてくださって結構です。全部触れていただく必要はありませんが、大事と思われるところはゴシックにしました。
サッカー、圧勝で良かったです。しかし、決勝トーナメント、編集委員会とばっちり重なります。
松山さんからも「委員会、本当にやるの?」と電話あり。ちょっと心配です。出席の連絡はそこそこ頂いていますが、ちょっと心配です。
どうしよう。
2002年6月16日
日曜日。考えに考えた末。次のようなメールを編集委員に送った。
建築雑誌編集委員各位
18日は、日本vsトルコ戦と重なるとんでもない日程となりました。13:00頃から五月雨的に委員会を行いますので、出席頂ける委員は可能な限り少しでも早くご参加下さい。15:30には学会で観戦可能だと思われます。
浅川先生から早速返事。
それでは18日、参戦させていただきます。トルコは手強いチーム。ベルギー、ロシアより上で、イタリア、スペインよりちょい下ぐらいの戦力だと、踏んでおります。
ことによると、トルシェ・ジャパンの最終戦かも???
トム委員Thomas C. Daniell から、Does
this mean the meeting will start at 13:00h on 6/18?
Thank you Tom
2002年6月17日
2002年9月号特集「建築年報2002」の仙田満会長インタビューのために上京。僕自身は、理事会でおよその話を聞いているのであるが、メリハリをつけて読者に伝えたいと思う。
新幹線の中ではスポーツ紙二紙。いつも買うのはスポーツ・ニッポン。何故かスポーツ・ニッポンだけ関西では120円と安い。ということを皆さんご存じないのではないか。昨日のスゥーデン・セネガル戦、スペイン・アイルランド戦の余韻に浸る。2つともいい試合であった。
インタビューは12:00から。今日は「未来を拓く研究と技術開発に関する懸賞論文」の表彰式が14:00からでそれまでの時間を食事の時間を含めて会長から頂いた。手元には、「建築年報2002」の目次案と小野寺さんが用意して下さったインタビューメモ。さらに「会長就任の挨拶」「年頭の挨拶」と昨年の「会長インタビュー」。今年から「建築年報」が通常号に組み入れられたこと、研究レビューを新たに設けたことをまず説明する。
会長就任一年を振り返って、成し得たこと、残されたことをそれぞれお話頂きたいと、口火を切る。仙田会長の発言は思ったより具体的かつストレートであった。
成果として挙げられたのは、①地球環境・建築憲章の普及について、入門篇の発行、②司法支援建築会議の充実、③建築学会のわかりやすい意見表明について、デザイン化、④建築博物館の実現、⑤建築発注システムの評価、⑥京都市景観の再生に関する提言である。こう書くと、提言や啓蒙だけのように思えるかもしれないが、少しずつは形になってきたことが力説された。
残された課題として挙げられたのは、①継続教育の具体化、②まちづくり支援建築会議、③教育支援建築会議、④設計教育特別調査委員会の設置、⑤アジア重視の国際化、アジア建築賞の創出、などである。
サイト・スペシャルズ・フォーラム事務局で米国vsメキシコ戦。2-0米国勝利。
2002年6月18日
午前中、「女性と建築展」を見る。こぢんまりとしているが密度はある。特集のテーマになるのではと直感。戦後というか日本最初の女性建築家の会ポドコの機関誌『podoko』が並べられているのに感激。
第12回編集委員会。2時間早く、13時から開始。昨日、福和先生よりメール。
当初より、15時からの予定をしており、講義などのため、16時にしか間に合いません。防災特集についての審議をお願いする必要があります。如何致しましょう?
PS: やはりサッカーも大事だと思いますが、直前に、時間変更は少し困ります。もともと見たくてもサッカーを見る余裕の無い生活をしている人たちも居るはずですので。
実に申し訳ない。サッカーどころではない、のは実は編集部の小野寺さん、片寄さんも同じ。心苦しい。
しかし、もうどうしようもないので、決定できるところから審議を進める。
まずは刷り上がったばかりの6月号を眺める。密度のある小特集だと思う。担当の藤田さんは特に満足そうであった。
意外にというか、気がせいたというべきか、スムースに審議は進んだ。メインは2003年1月号。脇田委員から案が提出された。
建築雑誌2003年1月号特集企画案(40p)
公共建築の設計入札と設計者選定(案)
入札が設計という行為に対して大きな問題をはらんでいるということは、これまでにも議論されてきた。様々な団体から、設計入札に反対する意見が出されてきており、入札の問題はある程度整理されていると考えられる。しかしこういった議論を積み重ねるだけでは、状況は変わっていかないのも現実である。
今回の企画では、日本建築学会のジャーナルが、入札反対を支持するということを鮮明に打ち出すことが目的の一つに据えられる。
しかしそれだけでは現状はかわらない。入札を支えている自治体あるいは地域のシステムを丹念に検証する必要がある。さらに、入札に頼らないシステムを具体的に描き出す必要がある。きちんと退路を断つような綿密な作業が必要とされる。
前例主義を偏重する自治体体質に対して、設計入札を根絶するだけの緻密な論理構築を行うとともに、先進的自治体で試みられている、入札に変わる新しい設計者選定方式を示す必要がある。
設計者選定のプロブレマティーク ・・・2p
座談会 公共建築の設計者選定を巡って ・・・6p
設計入札なき社会にするために
国際的視野からみた日本の設計者選定システム ・・・2p
建築家の職能からみる ・・・2p
発注者意識の改善へ向けて・市民の動き ・・・2p
設計者選定の現状
地方自治体の設計者選定の現状 横浜、神戸、?? ・・・4p
設計者選定方式の検討 特命、コンペ、プロポーザル ・・・2p
地方自治体 首長アンケート ・・・4p
計画プロセスのマネージメントと設計者選定方式の今後
資質評価方式 課題と展望 ・・・2p
コミッショナーシステムの今後 熊本アートポリスの検証 ・・・2p
計画プロセスへの市民参加 設計者選定と市民参加の連動 ・・・2p
地域の建築家による良質な公共建築の計画へむけて ・・・2p
公共建築の計画プロセス事例 ・・・8p
1.国際的視野からみた日本の設計者選定システム
国際社会の中で、日本の設計入札システムがいかに特殊なものであるのかを明らかにする。具体的には、アメリカでの設計者選定の実態や、国際建築家連合UIAの設計者選定に対する考え方を示す。
2.建築家の職能からみる、発注者意識の改善へ向けて、市民の動き
設計入札は廃止されるべきものであるということを論ずる。論点の整理。決定版。
JIAでの議論や「入札をしない建築家の会」「公共建築を良くする市民の会」「設計入札はよくないと考える市民の会」などの議論をまとめる。
3.地方自治体の設計者選定の現状、地方自治体首長アンケート
一つの自治体の中で、設計の発注をどのように使い分けているのかの実態を把握する。先進的な手法を試みることも大切だが、設計発注全体の底上げはさらに重要である。
ここで提案しているアンケートは、実態を把握するための調査のためだけではなく、かかわりの手段として位置づけている。アンケートの結果を各自治体に返す作業の中で、各自治体の設計者選定システムがどのように評価されるのかを知らしめるきっかけとしたい。
「設計者選定の現状」では、先進的な事例(入札を行っていない横浜市や神戸市など)を取り上げるだけではなく、アンケートの結果をもとに、一般的な自治体もとりあげ、その改善点等を検討するなどの方法をとりたい。
4.設計者選定方式の検討
現在、入札以外の方式として定着している、特命、コンペ、プロポーザル方式について、それぞれの抱える問題点、今後のあり方等を論じる。
5.計画プロセスのマネージメントと設計者選定の今後
設計者選定だけでなく、設計計画プロセスのマネージメントの今後のあり方を検討する。
昨年度、横須賀市の横須賀市美術館の設計候補者選定の際に適用された資質評価方式について、その検証を行う。
また、公共建築への市民参加を、一連の設計・計画プロセスへ組み込むあり方について、具体的な手法を検討する。参加を担保するシステムづくり、参加とデザインのレベルの問題等。
6.公共建築の計画プロセス事例
設計者選定方式を含めた公共建築の計画プロセスの様々な事例を資料として紹介する。公開性の高いコンペの方式や市民参加の仕組みを組み込んだコンペの方式等。
編集委員会でのディスカッションはおよそ以下のようであった。
●設計入札に反対の姿勢を打ち出す
学会長も設計入札反対の姿勢を打ち出している。2001年8月24日の朝日新聞「私の視点」で「入札制度 公共施設設計は技術力で」という投稿をしている(なぜか以下のアドレスで読めます。http://www.loveriver.net/opinion/senda)。
設計入札反対の論理構築が必要。国際的な位置づけも大切だが、わかりやすい論理が必要。次回、設計入札に反対する理由について議論することとした。
●設計計画プロセスまで広げて扱う
設計入札の問題は、設計入札の問題に留まらない。設計計画プロセス全体に関わってくることでもあるので、市民参加や地域の建築家の問題等にも幅を広げて扱う。ただ、設計計画の範囲で議論するものとし、施工業者の選定等は扱わない。
●アンケートはする
市町村の首長は、入札以外の方法があることを考えたこともない人が多いのではないか。アンケートを送るだけでも、意識変化のきっかけをつくることができる。
市町村数は、市671、東京特別区23、町村2557、全てあわせると3251。どこまでするのかは検討が必要。
送付回収のスケジュールを考えるとアンケート案の作成も急務。
●資料収集
建築学会、ならびに建築雑誌における設計入札に関する資料収集は小野寺さんにお願い
国土交通省関連の資料収集に関しては、伊藤さんにお願い。
●執筆者について
座談会 学会長、家協会会長等
執筆 坪内氏(鹿島)、瀬口哲夫氏(名古屋市立大)等
●その他
国土交通省の管轄は、営繕部だということであるが、今出ている雑誌「公共建築」(公共建築協会)に国土交通省大臣官房庁営繕部建築課長補佐吉野裕宏氏による「公共建築の設計者選定」という記事が掲載されています。QBSの問題点とプロポーザルの今後のあり方が論じられている。
JIAの議論については、HP(http://web.jia.or.jp/jia/index2.htm)にいろいろ情報があります。設計入札に関しては、「入札にかわる設計者選定方式の提言」(1999.8)がまとまっている。
試合開始15:30前には北澤先生の11月号、福和先生の3月号を残して暫時休憩。実は、2月号の1500号特集について、浅川先生と僕が案を出したのであるが、二人ともサッカーが気になって、あまり議論が進まなかったというのが真相。
編集委員会風景初公開 これより2時間休憩に入ります。2002年6月18日 15:20
談話室のTVの前に編集委員会が陣取る。三々五々人が集まって談話室は一杯になる。浅川先生はなんと応援ラッパを持参である。
宮城競技場。雨。嫌な予感。先発メンバーの発表。浅川先生と顔を見合わせ、思わず「先発をいじっちゃいけないのに」。最初のコーナーキック。嫌な予感。案の定入れられる。
以後、大騒ぎしながら応援したけど0-1で日本はトルコに破れる。
皆気落ちしながら編集委員会再開。
11月号、3月号について18:30まで。結局、通常の倍近く議論したのであった。
例によって、懇親会。盛り上がらず。当然、編集マターよりサッカーについての反省。トルシエ采配。スタンドの白いビニール合羽はなんだ・・・・・。韓国戦が始まると、お開きになった。しばらくサッカーはない。日本のワールドカップはとりあえず終わったのであった。
京都に帰って、韓国が2:1でイタリアを破ったことを知る。やるかも・・・。
2002年6月22日
韓国PK戦でスペインを破る。すばらしい。しかし、この試合、明らかにミスジャッジ。
2002年6月24日
研究室出身の森田一弥君の個展最終日。サッカー漬けで見逃すところ。京都大学近くの日本イタリア会館。題して「誇大妄想建築」。森田君は修士を終えて、左官修行をした変わり種だが、建築表現の意欲はますます強まりつつあるようだ。研究室の柳沢究、山田脇太などと組んでコンペに応募、賞金も稼いでいる。
野口委員からメール
先日の編集委員会で、福和先生から企画案が出されました「巨大地震を前にした防災
技術の現状と課題」ですが、地震発生後の都市耐火に関しても、記事が必要な感じがいたします。阪神淡路大震災の折も、古木造家屋密集地域の火災が問題となりました。先日、建築研究所を訪れる機会があり、建築雑誌の企画の話をしましたところ、是非、建築研究所の防火グループで記事を書かせて欲しいということでしたので、ご考慮いただけませんでしょうか?
2002年6月25日
準決勝。さしもの韓国もドイツに破れる。
大崎先生からメール。大崎先生からはほとんど毎日のようにメールがある。
京都大学の大崎です
建築雑誌のソフト紹介につきまして,残りをそろそろ決めてしまおうと思います。未定分は11回ですが,次のような予定でいかがでしょうか。名前は担当者あるいは執筆者の案です。
ご意見をいただきますようお願いします。
気象: 岩下
骨組の解析(振動,非線形など2回): 八坂
環境系(光と音響で2回): 石田
施工CAD: 八坂
Web関係: 羽山あるいは八坂
画像処理: どなたかお願いできないでしょうか
ポストプロセッサ(OpenGL, VRMLなどの簡単なもの)
数式処理: 大崎
データマイニング: 大崎
2002年6月26日
八坂委員から大崎幹事への回答。
お世話様です。ソフト紹介ですが、・解析関係2回分担当は少々きついのですが分担できないでしょうか.
・施工CADは鉄骨関係でいくつか高度なものがあるので執筆者も含めて検討します。
・WEB関係になるかもしれませんが、最近現場・設計事務所・ゼネコン管理部門(主張所、支店、本社等)・協力会社等を含めたグループウェアの商品がいくつか出ています。この関係でどなたか執筆できる方がいないかあたってみます。
京都大学の研究室を船越先生と門内先生が突然お見えになる。京都市長に、学会長とともに提言を手渡した、その足で寄ったとのこと。是非、『建築雑誌』で取りあげて欲しいとのこと。特別委員会は最優先活動である。とりあげるのになんの問題もない。その場で小野寺さんにメール。頁を割けるかどうか検討していただく。日程的には問題なさそうだ。あとは頁数である。
『建築雑誌』の特集もありうると返事する。実際、来年は開幕府400周年だから「江戸と京都」なんて特集はどうだ、という話題は出ているのである。
短い時間、編集について意見交換。元編集長の船越先生も最近随分贅沢になったなどとおっしゃる。相当切りつめている事情を説明して納得していただく。
ブラジル、トルコを撃退。
2002年6月28日
黒野委員よりメール
「建築博物館がほしい」の2003年からの連載方針について、私案をお送りします。
ご意見を聞かせいただければ幸いです。
「建築博物館がほしい」2003年1月号からの連載方針について
方針
1. 12作品を編集委員会の責任で選ぶ。選択基準は重要性と掲載可能性の高さ。
2. 選んだ作品に対して、関係した人の話を聞きに行く(設計者に限定しない)。
現状写真の撮影許可と、図面や竣工写真の転載許可を得る。
3. 編集委員会で写真と資料とヒアリングを編集する。
理由
・人を選ぶ場合には、選び方がむづかしい(依頼の難しさ、横並びになる可能性など)。
・権威ある人の場合、一つの作品を挙げてもらえるとは限らない。
それでもお話を聞いたからには掲載しなければならない。
・アンケートの結果をお見せしても資料を提供してもらえるとは限らない。
手順
1.編集委員が紹介したい作品候補を挙げる。編集委員へのアンケートを行う。
2.編集委員会の議論のなかで12に絞る。
例・代々木オリンピックプール(丹下健三、東京)
夕刻より、第54回アジア都市建築研究会。山口潔子女史の「フィリピンの都市計画と住宅」。
2002年6月29日
3位決定戦。韓国トルコに敗退。韓国は明らかに疲れていた。
11月号特集について、布野研究室の案が出る。
都市空間のスケッチの系譜のためのメモ 20020701 布野研究室
特集の中での位置付け
特集では、縮小都市化の現象を軸に「パラダイム転換後の都市空間」を改めてヴィジュアルに提示することに主眼がおかれている、その布石として、これまでの「都市空間のスケッチの系譜」を対比的に示すことを求められている。つまり、過去に示された都市像と、その背景となった時代背景や思想の流れが、いかにして現在の都市へとつながっているのかが浮かび上がってくるような系譜図である必要があろう。
また、この系譜図に基づき磯崎新—伊藤滋対談が行われる予定であるので、2人の対談を活性化させる(あるいは当時の状況を対談の中に引き出させる)内容がほしい。
○ ページ構成
6/18付企画案では関東関西でそれぞれ6ページづつにわけて全12ページとなっていたが、見開き2ページで10年分の系譜がわかるレイアウトとし、40’S〜90’Sの60年分で全12ページとすることを提案する。これは都市のスケッチを示す場合、その提案者である建築家がその立脚する場所に依らず各地に対して提案を行っていること、また、関東関西という地域に限定されず、日本全国あるいは海外などに対しても提案をおこなっていることをふまえると、地域での区分をすることよりも、時代による区分の方が系譜図としてまとまりのあるものとなると考えるからである。
見開き2ページの誌面の構成としては、誌面のヴィジュアル面を強化することを考え、上段にはスケッチを並べることとし、系譜図を下段にレイアウトする。系譜図は横軸に時間軸を縦軸にはプロジェクトの主体(施主)を軸としてとり、年代を経るごとにそれら都市プロジェクトの主体が変化していく様相をヴィジュアルに示すことを試みる。また、それら計画が発案され普及していく様子を文字の大きさや項目数により表現する。また最下段には政治・経済・文化の欄を設け各事象と都市計画との関連性を示すことを試みる。
2002年6月30日
ブラジル、ドイツを破って優勝。ロナウド2得点。
長くて短い一月が終わる。公私含めて激動のひと月であった。
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