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2023年5月24日水曜日

「象設計集団」北へ,周縁から40,産経新聞文化欄,産経新聞,19900528

 「象設計集団」北へ,周縁から40,産経新聞文化欄,産経新聞,19900528


40 「象設計集団」北へ行く         布野修司

 

 「象設計集団」が本拠地を東京から北海道の十勝平野へ移した。「象設計集団」といえば、今帰仁公民館(七五年)、名護市庁舎(八一年)など、七〇年代における沖縄の仕事で知られる。もちろん、その後、各地ですぐれた作品をつくり続けてきているのであるが、地域空間の古層を掘り起こしながら独特の表現を生み出した沖縄の一連の作品は今なお強烈である。しかし、その「象設計集団」が、何故、今、北海道なのか。

 細かいいきさつは知らない。「象設計集団」にしてみれば、「常に現場にむかうだけ」ということだろう。「象設計集団」は、もともと、チーム・ズー(動物園)と総称し、各地に「いるか」とか「龍」とか「ガルーダ」とかいうネットワークの拠点を持っているのである。本拠地はどこにあってもいい、本拠地はあらゆる地域にありうる、ということなのだ。

 中央にいて各地の建築を手掛けるというスタイルをとる建築家は数多い。というより、著名な建築家は全てそうだろう。一方で、地域に拘り続ける建築家も無くはないけれど数は少ない。建築界にも中央集権的構造は根強い。仕事の流れにしても、情報の流れにしても、中央が地方に対して優位にたつ、そんな構造は揺らいでいないのだ。そうした中で、東京を離れる「象設計集団」の姿勢は、大きなものを建築界に突きつけていると言えはしないか。

 東京は忙しすぎる、じっくり考えてじっくり造る時間が無い、経費もかかる、いっそ雄大な自然のなかで仕事をしよう、きっかけはただ単にそういうことであったのかもしれない。仕事がきっかけとなっただけかもしれない。「象設計集団」ほどの実績とパワーがあってはじめてなしえることかもしれない。しかし、地域に拘りながら南から北へ日本列島を駆け上がるその軌跡には何か新しい建築家集団のイメージがある。ネットワークは海外にも広がっている。「象設計集団」の今後にますます期待が膨らんでくる。



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