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2023年5月21日日曜日

ローコストの美学,周縁から39,産経新聞文化欄,産経新聞,19900521 

 ローコストの美学,周縁から39,産経新聞文化欄,産経新聞,19900521 

 39(死語となった)ローコスト        布野修司

 

 地価狂乱もさることながら、建築費の値上がりもひどい。職人さんが足りず、建設期間が延びる。建設ブームで資材も足りない。値上がりも当然なのであるが、東京都区内で坪(三・三平方㍍)単価が百万円を超えると聞くと唖然としてしまう。そして、さらに驚くのはこの建築費の値上がりがそう異常なこととは思われていないことである。建築の価格を下げる努力をすることが無意味なほど土地の価格が高く、建築に少々お金をかけてもたいしたことはないという感覚がかなり広まっているのである。

 できるだけ安く、できるだけ質の高い建築をというのは、戦後建築家の指針であった。しかし、ローコストというのは今やテーマになりえないようにも思える。プレファブ住宅を見てみると、その事情がわかりやすい。ローコスト住宅というと、かえって売れないのである。豊かなイメージだけがそこでは求められているのだ。

 しかし、ローコストといっても、ただ単に安ければ安い方がいい、というわけではないだろう。安かろう悪かろうでは敢えてローコストをうたう意味はない。建築というのは、ただお金さえかければいいということはないのである。建築の評価が坪単価によってなされるのは馬鹿げたことだ。

 ローコストというのは、必ずしもコストの問題ではない。ひとつの美学であった。豊かにものを付加していこうというのではなく、余計なものをできるだけそぎ落とそうとする、「レス・イズ・モア」(少なければ少ないほどいい)というモダニズムの美学がそうである。そうするために、かえってお金がかかったりする。一方、その禁欲的な美学を批判し、過剰なデザインを競うのが、ポストモダンの建築である。

 だがしかし、単にデザインの問題としてではなく、もう少し、素朴にローコストということを考えてみる必要があるのではないか。思想も美学もなく、漫然とお金を使うのは愚かなことだと思う。





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