「ふるさと創生」のこと,周縁から34,産経新聞文化欄,産経新聞,19900409
34 ふるさと一億円 布野修司
ふるさと出雲で、町づくりについて話す機会を得た。ふるさとで話すのはやりにくいけれど、ふるさとに対しては愛着もあり、それ故、期待もある。いまをときめく岩国哲人市長の出雲である。国際派市長の誕生で、出雲は活気にみちていた。トップダウンのリーダーシップにとまどいはあるにせよ、なにかが生み出されるそんな予感がしたのである。
ところで、ふるさとというと、一億円である。各自治体で一億円はどう使われているのか。日本一のすべり台をつくろうとか、なかなかユニークなものがある。兵庫県津名町の金塊を買うというのは随分と話題になった。もちろん、実にかしこい、というのと、露骨でアイディアの貧困以外のなにものでもない、というのと、賛否両論があった。
しかし、総じて言うと、一億円の使い方はワンパターンである。利子をプールして顕彰制度をつくるとか、奨学金制度をつくるというのは、金塊を買うのとそう違いはないのではないか。アイディアを探しに海外に視察にいくというのはあまりに物見遊山ではないか。最も多かったのは、アイディアが出なくてアイディアを募集するというものであった。
ふるさと創生、町おこしに村おこし、ということで日本全国で地域活性化の試みが展開されているのであるが、不思議なのは、地域の独自性をうたいながら、全国似たようなことが行われていることである。
住まいや町をみてもよくわかる。これはこの地域の伝統的な住まいです、地域に独特の住まいです、といいながら、全国一律、同じように、入母屋(いりもや)屋根の御殿風の家が建てられていく。どういうことだろう。ワンパターンの発想に問題がありはしないか。
それぞれに固有な、地域毎に独自の町があればいい。ふるさとというのは、どこにもない、独自の町であって欲しい、そんな話をしてきたのだけれど。
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