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2023年5月4日木曜日

便宜的なコンペ,周縁から31,産経新聞文化欄,産経新聞,19900319 

 便宜的なコンペ,周縁から31,産経新聞文化欄,産経新聞,19900319 

31 便宜的なコンペ                    布野修司

 

 つい先頃、ある市のある公共建築の設計者を選定するためにコンペ(設計競技)が行われた。審査員を引き受けたのだが、各地で同じようなコンペが無数に行われていると思うと絶望的な気分になってくる。

  屈辱的なのは、僕がこれしかないという作品案が多数決で敗れたことであった。しかし、その結果を云々しようとは思わない。その点は、自らの意見を説得力をもって展開できなかった僕の批評家としての能力を恥じるしかない。全面的に押せる案がなく、発言に迫力が欠けたことも事実である。問題は、どの案でも一緒だと平気で言うような、建築を理解しない審査員が多かったということだけにあるわけではない。何十億円という公共建築の設計が実にイージーに決定されていくプロセスと仕組みに今さらのように驚くのだ。

 コンペといっても色々ある。一定の資格があれば誰でも参加できる公開コンペの場合、審査のプロセスを公表し記録する基本的なルールが日本でも確立しつつある。だが、それには手間と時間と金がかかる。そこでよく行われるのが、何人かの設計者を指名する指名コンペである。

 この指名コンペが実に問題が多い。最もひどいのは、実際には設計者を決めているのに見かけの公平さを装うためだけに行われる「疑似コンペ」である。今回のコンペがそうだというのでは決してない。ただ、どのように指名が行われるかは、ほとんどの場合不透明なことが多いのだ。さらにひどいのは設計料の入札で決めてしまうというのもある。

 審査員として、そのプログラムの設定に関われないこと、プログラムにふさわしい建築家の選定について予め意見を言えないことは致命的である。審査員の構成以外にも、指名料が安い、予算年度との絡みから驚くほど設計期間が短い、など問題が多すぎる。

 審査だけでも、数時間の議論で終わりにせず、なぜ、もっとじっくり時間をかけないのか。もう昔から言われてきたことだけど、コンペの問題を真剣に考えないと日本の公共建築は決してよくなるまい。



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