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2023年2月15日水曜日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117:講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

講演:「地域再生と持続的発展:Community Development and Sustainability」,AIA(アメリカ建築家協会)日本支部主催,テンプル大学日本校・国士舘大学アジア研究センター共催,国際シンポジウム「都市再生:環境サステナビリティと経済発展: Urban regeneration and and Economic Development」,新生銀行本店,2007年11月17日

Community Based Development & Sustainability, An International Symposium Urban Regeneration and Economic Development, 20071117

































都市再生と経済発展

 地域再生と持続的発展

カンポンKampungに学ぶこと

布野修司

 


 
カンポンkampungとは、インドネシア(マレーシア)語で「ムラ」という意味である。カンポンガンというと「イナカモン」というニュアンスである。都市の居住地なのにカンポンという。このカンポン、実は、英語のコンパウンドcompound(囲い地)の語源なのである。カンポンのあり方を紹介する中でアジアの都市の共生原理と持続的発展を考えたい。 

 

自己紹介

・建築計画→地域生活空間計画→環境建築学/カンポン調査(東南アジアの都市と住居に関する研究)/アジア都市建築研究・植民都市研究

・タウンアーキテクト論 →近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座

    日本建築学会 建築計画委員会委員長 英文論文集委員会委員長 

    元理事 『建築雑誌』編集委員長 前アジア建築交流委員会委員長

        島根県景観審議会委員

        宇治市都市計画審議会会長 景観審議会委員

 主要著作

   [1]:戦後建築論ノート,相模書房,1981615(日本図書館協会選定図書)

   [2]:スラムとウサギ小屋,青土社,1985128

   [3]:住宅戦争,彰国社,19891210

   [4]:カンポンの世界,パルコ出版,1991725

   [5]:戦後建築の終焉,れんが書房新社,1995830

   [6]:住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論,朝日新聞社,19971025

   [7]:廃墟とバラック・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅰ,彰国社,1998510(日本図書館協会選定図書)

   [8]:都市と劇場・・・都市計画という幻想,布野修司建築論集Ⅱ,彰国社,1998610(日本図書館協会選定図書

   [9]:国家・様式・テクノロジー・・・建築のアジア,布野修司建築論集Ⅲ,彰国社,1998710(日本図書館協会選定図書)

   [10]裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説、建築資料研究社,2000310

   [11]曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容,京都大学学術出版会,2006225

 

 

Ⅰ カンポンの世界

カンポンの語源については、ポルトガルのcampanha, campo(キャンプの意)の転訛、フランス語のcampagne(田舎countryの意)の転訛という説もあるが、マレー語のカンポンがその由来であるというのがOEDであり、その元になっているのが、ユールとバーネルのインド英語の語彙集である。Yule, H. and Burnel, A.C., “Hobson-Jobson: A Glossary of Colloquial Anglo-Indian Works and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical, Geographical and Discursive, Delhi: Munshiram Manoharalal, 1903(1968)”

 

アジアの居住問題

人口問題、食糧問題、資源問題、居住問題

発展途上国の都市化の特質

  発展途上国の都市化  都市化の水準と速度

  過剰都市化とプライメート・シティ ランクサイズルール

都市化の構造的重層性

    植民都市 

    複合社会

    二重構造

    都市村落 

都市化理論と発展途上国

都市化の類型

 カンポンの特性

1.多様性

2.全体性

3.複合制

4.高度サービス社会 屋台文化

5.相互扶助システム

6.伝統文化の保持

7.プロセスとしての住居

8.権利関係の重層性

 カンポンに学ぶこと

   Urban Involution

   Shared Poverty(貧困の共有) Work Sharing

 カンポン・ハウジング・システム

カンポン固有の原理の維持/参加/スモール・スケール・プロジェクト

段階的アプローチ/プロトタイプのデザイン/レンタル・ルームのデザイン/集合の原理の発見/ビルディング・システムの開発/地域産材の利用/ワークショップの設立/土地の共有化/ころがし方式/コーポラティブ・ハウジング/アリサンの活用/維持管理システム/ガイド・ライン ビルディング・コード

 

 

Ⅱ アジア都市の伝統

アジア都市の伝統としての都市遺産を見直す必要があるだろう。今日の「世界」が「世界」として成立したのは,すなわち,「世界史」が誕生するのは,「西欧世界」によるいわゆる「地理上の発見」以降ではない。ユーラシア世界の全体をひとつのネットワークで繋いだのはモンゴル帝国である。火薬にしても,上記のように,もともと中国で「発明」され,イスラーム経由でヨーロッパにもたらされたのである。モンゴル帝国が広大なネットワークをユーラシアに張り巡らせる13世紀末になると,東南アジアでは,サンスクリット語を基礎とするインド起源の文化は衰え,上座部仏教を信奉するタイ族が有力となる。サンスクリット文明の衰退に決定的であったのはクビライ・カーン率いる大元ウルスの侵攻である。東南アジアにおける「タイの世紀」の表は「モンゴルの世紀」である。

こうして,ヒンドゥー都市(インド都城)の系譜が浮かび上がるだろう。それを,チャクラヌガラ(あるいはマンダレー)という実在の都市に因んで「曼荼羅都市」と名づけた(『曼荼羅都市―ヒンドゥー都市の空間理念とその変容―』、2006年、京都大学学術出版会)。

それでは,他の伝統はどうか。インド都城と対比しうる伝統として中国都城の伝統がある。大元ウルスが,『周礼』孝工記をもとにして中国古来の都城理念に則って計画設計したのが大都(→北京)である。中国都城の理念が,朝鮮半島,日本,ベトナムなど周辺地域に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。日本の都城は,その輸入によって成立したのである。この中国都城の系譜を,ほとんど唯一,理念をそのまま実現したかに思われる大都に因んで,「大元都市」の系譜と仮に呼ぼう。「大元」とは,『易経』の「大いなる哉,乾元」からとったと言われる。「乾元」とは,天や宇宙,もしくはその原理を指す。

ユーラシア大陸を大きく見渡すと,こうして,都城の空間構造を宇宙の構造に見立てる二つの都市の伝統に対して,都市形態にコスモロジーカルな秩序を見いだせない地域がある。西アジアを中心とするいわゆるイスラーム圏である。少なくとも,もうひとつの都市の伝統,イスラーム都市の伝統を取り出しておく必要がある。具体的に焦点とすべきは,「ムガル(インド・イスラーム)都市」である。イスラーム都市の原理とヒンドゥー都市の原理はどのようにぶつかりあったのかが大きな手掛かりとなるからである。ムガルとはモンゴルの転訛である。ここでもモンゴルが絡む。モンゴル帝国は,その版図拡大の過程で,どのような都市の伝統に出会ったのか,13世紀の都市がテーマとなる。

 

Ⅲ 地域の生態系に基づく都市システム

 

 エコハウス・エコタウン

パッシブ・クーリング 冷房なしで居住性向 ミニマム熱取得/マキシマム放熱/ストック型構法長(スケルトン インフィル) リニューアブル材料 リサイクル材料(地域産出材料)/創エネルギー    自立志向型システム(Autonomous House)/PV(循環ポンプ、ファン、共用電力)   天井輻射冷房/水 自立志向型給水・汚水処理システム  補助的ソーラー給湯

ごみ処理 コンポスト 土壌浄化法 合併浄化槽

 

大屋根 日射の遮蔽二重屋根 イジュク(椰子の繊維)利用

ポーラスな空間構成 通風 換気 廃熱 昼光利用照明 湿気対策 ピロティ

夜間換気 冷却 蓄冷 散水 緑化 蓄冷 井水循環 スケルトン インフィル 混構造 コレクティブ・ハウジング 中水 合併浄化槽外構 風の道 

 

 アジアに限らず世界中で問われるのは地球環境全体の問題である。エネルギー問題、資源問題、環境問題は、これからの都市と建築の方向を大きく規定することになる。とにかく、遺産は遺産として大事にしろ、というのが筆者の意見である。スクラップ・アンド・ビルドの時代ではない。

 かつて、アジアの都市や建築は、それぞれの地域の生態系に基づいて固有のあり方をしていた。メソポタミア文明、インダス文明、中国文明の大きな影響が地域にインパクトを与え、仏教建築、イスラーム建築、ヒンドゥー建築といった地域を超えた建築文化の系譜が地域を相互に結びつけてきたが、地域の生態系の枠組みは維持されてきたように見える。インダスの古代諸都市が滅亡したのは、森林伐採による生態系の大きな変化が原因であるという説がある。地球環境全体を考える時、かつての都市や建築のあり方に戻ることはありえないにしても、それに学ぶことはできる。世界中を同じような建築が覆うのではなく、一定の地域的まとまりを考える必要がある。国民国家の国境にとらわれず、地域の文化、生態、環境を踏まえてまとまりを考える世界単位論の展開がひとつのヒントである。建築や都市の物理的形態の問題としては、どの範囲でエネルギーや資源の循環系を考えるかがテーマとなる。

 ひとつには地域計画レヴェルの問題がある。各国でニュータウン建設が進められているが、可能な限り、自立的な循環システムが求められる。20世紀において最も影響力をもった都市計画理念は田園都市である。アジアでも、田園都市計画はいくつか試みられてきた。しかし、田園都市も西欧諸国と同様、田園郊外を実現するにとどまった。というより、田園郊外を飲み込むほどの都市の爆発的膨張があった。大都市をどう再編するかはここでも大問題である。どの程度の規模において自立循環的なシステムが可能かは今後の問題であるけれど、ひとつの指針は、一個一個の建築においても循環的システムが必要ということである。

 アジアにおいて大きな焦点になるのは中国、インドという超人口大国である。また、熱帯地域に都市人口が爆発的に増えることである。極めてわかりやすいのは、熱帯地域で冷房が一般的になったら、地球環境全体はどうなるか、ということがある。基本的に冷房の必要のないヨーロッパの国々では、暖房の効率化を考えればいいのであるが、熱帯では大問題である。米国や日本のような先進諸国では、自由に空調を使い、熱帯地域はこれまで通りでいい、というわけにはいかない。事実、アイスリンクをもつショッピング・センターなどが東南アジアの大都市ではつくられている。

しかし地球環境問題の重要性から、熱帯地域でも様々な建築システムの提案がなされつつある。いわゆるエコ・アーキテクチャーである。スラバヤ・エコ・ハウスもその試みのひとつである。自然光の利用、通風の工夫、緑化など当然の配慮に加えて、二重屋根の採用、椰子の繊維を断熱材に使うなどの地域産財利用、太陽電池、風力発電、井水利用の輻射冷房、雨水利用などがそこで考えられている。マレーシアのケン・ヤンなどは、冷房を使わない超高層ビルを設計している。現代の建築技術を如何に自然と調和させるかは、アジアに限らず、全世界共通の課題である。


日本のまちづくりをめぐる基本的問題

◇集住の論理    住宅=町づくりの視点の欠如 建築と都市の分離   型の不在 都市型住宅

◇歴史の論理     

  スクラップ・アンド・ビルドの論理 スペキュレーションとメタボリズム 価格の支配 住テクの論理 社会資本としての住宅・建築・都市

◇異質なものの共存原理 

  イメージの画一性 入母屋御殿 勾配屋根

 多様性の中の貧困 

◇地域の論理 

 大都市圏と地方 エコロジー

◇自然と身体の論理

  人工環境化 土 水 火 木

  建てることの意味

◇生活の論理

 住宅生産の工業化 住宅と土地の分離

  物の過剰 家族関係の希薄化

 住宅問題の階層化 社会的弱者の住宅問題

◇グローバルな視野の欠如

 発展途上国の住宅問題

◇体系性の欠如(住宅都市政策)

 










 

2023年2月14日火曜日

80年代とは何だったのか、雑木林の世界77,199601

 80年代とは何だったのか、雑木林の世界77,199601

雑木林の世界77 

80年代とは何だったのか

布野修司

 

 第3回かしも木匠塾が開かれた(一九九五年一一月二五日 岐阜県加子母村 雑木林の世界     参照)。今回は、エコ・ミュージアム構想、森林研修センターの全体計画、バンガローの設計案を持ち寄って、地域のまちづくりを考えるのがテーマであった。東洋大学、千葉大学、芝浦工業大学、京都造形大学、大阪芸術大学、京都大学の学生たちがそれぞれの案を模型やパネルにして参加し、村の人々の意見を求めた。「木匠塾」とは一体何か、何をやろうとしているのか、地域にとってどんなメリットがあるのか、どういう交流が考えられるのか等々、素朴かつ本質的な疑問も出され、議論は前二回以上に白熱したものとなった。村の事情も具体的に説明され、いくつかの困難な事情も明らかになった。相互の理解は深められたと思う。議論は積み重ねるものである。イヴェント的関係から、より粘り強い関係への一歩が踏み出されようとしている、そんな感想をもった。学生たちの大半は、村営のバンガローに泊まり込み、一晩、特にバンガローの設計についてお互いの案の相互批評を行い、実現への夢を膨らませることになった。学生主体にプロジェクトを運営できたらユニークなものができるのではないか、と思い始めている。

 

 昨年暮れ、相次いで、インタージャンルにテーマをつなぐシンポジウムに出席する機会があった。ひとつは、BESETO(ベセト)演劇祭のシンポジウムで「リアルとは何か・・・同時代の表現をめぐって」と題されたシンポジウムである。もうひとつは、「一九八〇年代の表現領域ーーー八〇年代とはなんだったのか?」と題された武蔵野美術大学の「武蔵野美術」創刊一〇〇号記念シンポジウムと銘打たれたものである。ベセトとは北京(       )、ソウル(     )、東京(     )の頭文字を連ねたもので、東アジアの三つの首都の演劇関係者が集う第二回目のお祭りが東京のグローブ座を中心に開かれたものである。日本側実行委員長は鈴木忠志氏で、僕が出席したシンポジウムのコーディネーターは菅隆行氏、パネラーは、佐伯隆幸(フランス近代演劇)、小森陽一(日本近代文学)、高橋康也(英文学)の諸氏であった。武蔵野美術大学の方は、司会が高島直之(美術評論)、パネラーは、柏木博(デザイン評論)、島田雅彦(作家)、上野俊也(政治思想)の諸氏であった。何故、筆者が演劇なのかというと、その昔、少しだけ、芝居のプロデュースをしたことがあるからである。これでも、シェイクスピア学会のシンポジウムに出たこともあるのである。

 二つのシンポジウムに共通していたのが、「八〇年代の表現とは何か」というテーマである。建築表現における八〇年代とは何か、改めて考えさせられることになった。また、他のジャンルと比較しながら問いつめられることになった。

  二つのシンポジウムを機会にいくつかの作品を思い起こしてみた。

1980 生闘学舎

1981 名護市庁舎

1982 新高輪プリンス

1983 つくばセンタービル ARK 国立能楽堂 土門拳記念館

1984 TIMES シルバーハット 伊豆の長八 釧路湿原展望資料館 眉山ホール 球磨洞森林館

1985 盈進学園 SPIRAL

1986 RISE ノマド 六甲の教会 ヤマトインターナショナル

1987 ROTUNDA 東京工大 龍神村 キリンPLAZA 

1988 水の教会 下町唐座 ノアの箱船          飯田市美術博物館

1989 TEPIA 幕張メッセ 藤沢市湘南台文化センター 光の教会 ホテル・イル・パラッゾ  スーパー・ドライホール 兵庫県立こども館

1990 青山製図専門学校 水戸芸術館 コイズミ・ライティング・シアター 国際花と緑の博物館 東京武道館 東京芸術劇場 熊本北警察署

1991 ネクサスワールド 再春館 センチュリー・タワー 八代市美術館 東京都新都庁舎  保田窪団地

1992 ハウステンボス

 建築家の名がすらすら浮かべば相当の通というところであるが、いくつか気がつくことがあるであろうか。

 ひとつは外国人建築家の作品が目立つということだ。日本建築もボーダレスの時代になった。日本人建築家の海外での仕事も一気に増えたのである。もうひとつは「建築の解体」(近代建築批判以降の)世代の活躍が目立つことだ。近代建築批判をスローガンに七〇年代にデビューした建築家たちは八〇年代を通じて次々にエスタブリッシュされていくことになる。要するに「ポストモダンの建築」の時代が八〇年代である。

 建築の八〇年代は何であったのかという問いは、ポストモダンの建築とは一体何であったのか、という問いと同じである。

 また、年表の裏面には、前川国男(一九八六年逝去)をはじめとする戦後建築を担ってきた建築家の相次ぐ死がある。そうした意味では、戦後建築が終わりを告げた時代が八〇年代である。

  一言でいうと、「ポストモダンの建築が全面開花した時代」が八〇年代ということになるのであるが、別の言い方をすると、「近代建築批判の試みがコマーシャリズムに回収されていった時代」が八〇年代である。近代建築批判という課題は先延ばしにされ、宙吊りにされ続けたことになる。それどころか、建築そのものがバブル(泡)化する、そんな事態がクローズアップされたのが八〇年代である。建築は空間を包む包装紙であり、その包装紙のデザインの差異が競われた、そんな時代が八〇年代である。

  建築表現の舞台としての都市のありかたそのものがバブルであった。スクラップ・アンド・ビルドの博覧会都市が日本の都市である。

 そして、そうした日本の都市を舞台として展開された様々な表現ジャンルは、どうやら似たような展開をしてきたらしい。島田雅彦氏は、それを村上春樹的なものという。

 八〇年代に露呈したものは、戦後建築の最も悪しき循環ではないか。そんなことを思いながら、阪神淡路大震災のショックもあって、『戦後建築の終焉』(れんが書房新社)を上梓したのであった。

 


2023年2月13日月曜日

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

ベトナム・カンボジア行,雑木林の世界76,住宅と木材,199512

雑木林の世界76

ベトナム・カンボジア行

布野修司

 

 第3回かしも木匠塾が開かれた(一九九五年一一月二五日 岐阜県加子母村)。という位置づけなのである。アジアを飛び回っているからやりなさいということらしい。

 非西欧の建築史というと、ヨーロッパ、アメリカを除いたアジア、アフリカ、南アメリカの建築史が対象となるが、とりあえずアジアの建築史が中心になる。戦前期までは「東洋建築史」という科目があったのである。しかし、アジアといっても広いし、西欧の建築史のように教科書があるわけではない。新建築学体系の『東洋建築史』の巻は未だに刊行されておらず、新訂建築学体系(Ⅳー2)の『東洋建築史』(村田治郎 一九七二年改訂)があるだけである。それも「第一部 インド建築史」と「第二部 中国建築史」の二部からなるだけで他の地域はほとんど触れられていない。

 もう勝手にしゃべるしかない、というところであるが、幸いに『東洋建築史図集』(一九九五年六月)が刊行された。基本的な最小限の知識は『図集』に委ねることができるので、まあなんとかなるかということで出発した次第である。

 にわか勉強をしながらの四苦八苦であるがなかなか面白い。大変なのは時間が足りないことである。予定を組んでみると、中国建築史が二回か三回、インド建築史も二回か三回ということになる。二、三年試行錯誤して自分なりの見取り図を描きたいなどと不遜にも思い始めたところである。

 講義をするのに実際にものを見ていないと迫力がない。このところ、機会を捉えて、中国、インドへ意識して出かけているのは、実をいうとこの新しい科目のためであるが、今度、日本建築学会のアジア建築交流委員会の一員としてベトナム、カンボジアに行って来た(一〇月二八日~一一月七日 中川武団長)のも、「世界建築史Ⅱ」のためであった。東南アジアにはもう十数年通っているのであるが、ベトナム、カンボジア、ビルマといった社会主義圏には行く機会がなかった。不幸な出来事が続いたせいでもある。この際、見ておきたいということである。

 ハノイから入って、フエ、ダナン(ミーソンなどチャンパの遺跡群)、ホイアン、ホーチミン、プノンペン、シェムリアップ(アンコール・ワット、アンコール・トム)というコースである。行いが悪いのか、ダナンで台風にあってミーソンに行けなかったのは残念だったのであるが(水浸しのダナンを経験できたのであるが)、ベトナム、カンボジアの建築と都市の状況をおよそ把握できたように思う。チャンパ建築、クメール建築についてばっちり勉強できたことはいうまでもない。

 中国の影響の強い北部ベトナムは、木造建築の伝統が生きているのであるが、チャンパ、クメールとなると石の世界が卓越してくる。印象的な建築材料は島嶼部にはないラテライト(紅土)であった。

 今回の研修ツアーで印象に残ったものベストテンをあげてみよう。

 ①バヨン・・・三キロ四方のアンコール・トムの真ん中に建つ中心寺院である。一二世紀末、ジャヤヴァルマン七世によって建てられた。観世音菩薩の顔を四面に持つ塔が林立する世界に類のない建築だ。立体曼陀羅のように思い込んでいたのであるが(確かに大乗仏教の宇宙観を表すのは間違いないが)、増築増築が繰り返されて出来ている。迷路を歩くと実に多様に顔が現れる。不思議な建築である。

 ②アンコール・ワットの夕日あるいはプノン・バケンの夕日・・・他の寺院が東向きでほとんど唯一西向きであるアンコール・ワット(一二世紀前半)が夕日に浮かぶ様は一見の価値有りである。第一回廊にレリーフがピンク色に浮かび上がって来る様は実にすばらしい。また、塔の最上部からみる夕日は絶景であった。プノン・バケン(九世紀末)は第一次アンコールの中心にある山上寺院。

 ③タ・プロム・・・遺跡を熱帯の巨樹が喰っている。ここだけは手を入れず、自然のなすがままに放置されている。考えようによっては最も遺跡らしい遺跡(一二世紀末)。ベスト・スリーにいずれもアンコールの遺跡が入るのはそれだけ印象が強烈だったということか。

 ④金蓮寺・・・ホータイ湖に面して絶景の地に建つ木造の仏教寺院。ベトナムの建築についてはほとんど予備知識がなかったのであるが、独特の木組みである。南宋の影響と言うがベトナム風の木組みがありそうである。下屋は登り梁の上に直接母屋を載せ、垂木が横使いである。

 ⑤フエの王宮・・・北京の故宮を模した阮王朝(         )の王宮。スケールは及ぶべくもないけれど、こじんまりと佇まいがいい。そして、都市計画の原理が面白い。南北軸が四五度ずれて北西ー南東軸になっている。天壇は真南にあるのであるが、ソン・ホン川とヌイ・ング・ビン山に引きずられている。風水の原理がミックスされているのである。

 ⑥ミマン廟・・・阮王朝の歴代皇帝の廟の内、ソン・ホン川の中之島にあって堂々たる軸線の上に展開する第二代の廟がいい。他には、トゥ・ドック廟がいい。

 ⑦ハノイ  通り・・・町を歩く時間がなかったのは残念。ショップ・ハウスが密集するハノイの通称ハノイ  通りは圧巻。建築として面白いのは、プノンペンの中央市場。

 ⑧ホイアンの日本人町・・・日本の昭和女子大を中心とするチームが調査。保存的開発を展開中。かなりの観光地になりつつある。

 ⑨ダナンの洪水・・・膝上まで浸水するのは都市の下水が整備されていないから。しかし、巨木が倒れるのにはびっくり。熱帯の樹木は育つのは早いけれど根を張っていないらしい。しかし、ハノイにしても、フエにしても、シェムリアップにしても、東南アジアの都市は水の中の都市である。

 ⑩プノンペンの戦争犯罪博物館(トゥオル・ソン・監獄博物館)・・・サイゴン陥落から二〇周年。プノンペン陥落は一週間早かったという。しかし、一九七五年からの四年間は、ポルポトの地獄であった。博物館には正視に耐えない展示がなされている。





 



2023年2月10日金曜日

エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

 エコハウス イン スラバヤ,雑木林の世界75,住宅と木材,199511

雑木林の世界75 

エコハウス イン スラバヤ

           

布野修司

 

 このところ毎年休みになると出かけるのであるが(休みにしか時間がとれないということだ)、この九月は(九日~三〇日)いささか忙しい旅になった。インドネシアのスラバヤでのスケジュールを終えたところで、この原稿を書き始めたところである。

 最近は、ノートパソコンとファックスのおかげで、ほとんど日本にいるのと変わらない。環境が変わって緊張感があるから、規則正しい生活をすればかえって仕事ははかどる。これからシンガポールへ向かい、アジア都市計画学協会の第三回国際会議で論文発表をした後、ソウルへ向かう。韓国では、植民地化における都市変容に関する研究の一環で、蔚山を中心に調査を行う。

 スラバヤでの最大の仕事は、後になってぞっとするのであるが、スラバヤ工科大学の創立三〇周年記念の同窓会での講演であった。大学院学生への記念講義ということで気楽に出かけて、準備もそこそこで何とかなると思っていたのであるが、二〇〇人を超える人の前での記念講演ということで正直縮みあがってしまった。

 しかし、こんな経験は何度もしているではないか。いきなり学長と学部長の居並ぶ会議に出席させられたこともある。用意した論文を飛ばし飛ばし読んでもなんとかなる、と度胸を決めた。幸い、図版を豊富につけた論文のコピーが全員に配られていたから、関心のある人は読んでもらえばいいと勝手に思う。J.シラス教授がインドネシア語への抄訳を引き受けてくれたのも心強かった。

 演題は、というか論文のタイトルは、「チャクラヌガラーーーインドネシアのユニークなヒンドゥー都市・・・アジアの都市計画におけるグリッドの伝統」である。

 チャクラヌガラについては、本欄(雑木林の世界   一九九二年二月)で触れたけれど、ロンボク島にある実に綺麗な格子状の街路パターンをした都市だ。大袈裟に言うと、僕らが発見した都市である。インドネシアの友人達は、一八世紀にバリのカランガセム王国の植民都市として建設されたチャクラネガラにちてほとんど認識していなかったのである。

 講演というか、論文発表の出来はともかく、内容そのものは、手前味噌かもしれないけれど、好評であった。ワシントン大学の政治学部のレフ教授が同席していて、彼はインドネシアの政策立案に影響を及ぼすほどの高名な政治学者らしいのだが、面白いと誉めてくれた。また、ロンドン大学のジオフリー・ペーン教授は、自分が編集に関係している『ハビタット・インターナショナル』や『オープン。ハウジング』などいくつかの雑誌に掲載を紹介してあげるといってくれた。

 スラバヤ工科大学では、別に日本の建築教育についての講義を頼まれた。大学院教育が始まったばかりで、どのような教育をし、どのようなレヴェルを期待するかについて議論があり、日本の例を参考にしたいという。内情を詳しく説明するのはしんどい話であるが、研究室とそのメンバーが今やっていることを中心に説明することにした。同行していた山本直彦君にも自分のテーマと研究室の活動を話してもらったのであるが、用意していった阪神・淡路大震災の写真の方が関心を集めたようであった。

 スラバヤでは、毎年のように行うカンポン調査、昨年から続けているマドゥリーズに関する島調査、ことしつけ加えたテングル族の調査でめまぐるしかった。僕がいる間に予備的調査を完了し、あと一ヶ月半は山本君に合流した三井所君が泊まり込み調査することになる。イスラーム化されたジャワ島に孤立するようにヒンドゥー教徒が住んでいる。それがテングル族で、西ジャワのバドゥイである。ヒンドゥーとムスリムの棲み分けに関するテーマは広がりそうである。ガジャマダ大学のアルディ・パリミン先生、バンドンのストリスノ氏によれば、チレボンの近くにヒンドゥー教徒の村があることが分かったという。また、バリに一〇〇パーセントムスリムのコミュニティがあるという。

 バリ島を中心にロンボク島を押さえ、マドゥラ島もほぼ様子が分かってきた。スラバヤを拠点にスラウェシ、カリマンタンにも広げていったら、というのがJ.シラスのアドヴァイスである。また、出来たばかりの大学院レヴェルでは、共同研究をやろうということになった。

 ところで、タイトルのエコハウスである。東南アジア(湿潤熱帯)におけるエコハウスについては、小玉祐一郎氏、遠藤和義氏などと研究プロジェクトを組んできたのであるが、具体的なモデル設計をしようということになっていた(雑木林の世界   一九九四年八月)。

 今年は、日本の環境共生住宅に関する資料をもっていって議論しようとしたのであるが、アイディアは用意されていた。J.シラス邸を新築するので、それをモデルにしようというのである。

 敷地を見に行ったのであるが、間口一五メートル、奥行き三〇メートル、日本のことを思うと実にうらやましい。この設計に、色々な知恵を盛り込もうと言うのである。

 三層構成で、コンクリートのボックス(地盤が弱いため)+石・煉瓦+木造の構成にすること。風の道をとること。日照をよく考えること。スラバヤでは、八ヶ月は北から太陽が当たり、残りの四ヶ月は南から当たる。井戸を二カ所掘り、土壌浄化法を試みること。天井輻射冷房をおこない、大型の扇風機のみとすること。雨水利用を考えること(スラバヤでは年に一二パーセントしか、降雨がない)。樹木は、小さいヤシとカリマンタン産のブンキライというジャティ(チーク)より堅い木を中心に植える。その場でアイディアが出てくる。

 バーベキューの出来る庭をつくろう。日本も参加するのだからジャパニーズタッチのテラスもどうだ。最上階はライブラリーにして、学生が自由に利用できるようにしよう。ゲストルームも欲しい。こちらも段々勝手にエスカレートしていく。夢がどんどん脹らむのである。

 議論している内に、プランが一案出来てしまった。J.シラス家の事情としては雨期になるまでに基礎を打ちたいという。ということは一一月には着工である。アイディアを盛り込むためには急ぐ必要がある。予算の問題もあるから、少しづつ実験を積み重ねていくことにはなると思うけれど、いささか忙しい。

    シンガポールにて              

 

2023年2月9日木曜日

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

 第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾,雑木林の世界73,住宅と木材,199509

雑木林の世界73 

第五回インターユニヴァーシティー・サマースクール:かしも木匠塾開塾

           

布野修司

 

 木匠塾の第五回インターユニヴァーシティー・サマースクールは、七月三一日~八月九日の間、岐阜県の高根村および加子母村の二ケ所で行われた。参加団体は、千葉大学、芝浦工業大学、東洋大学、そして茨城ハウジングアカデミーの関東勢に、京都造形大学、成安造形大学、大阪芸術大学、大阪工業技術専門学校、京都大学、奈良女子大学の関西勢を加えて一〇にのぼる。参加者数は、最大集結時で一三六名、延べ人数は優に一五〇名を超え、二〇〇に届かんとした。今年も大盛況、大成功であった。

 しかし、問題が無くもない。こうまで大勢になると施設の限界がはっきりしてくる。また、運営が難しくなる。食事の準備だけでも大事業である。会計だって大変である。かなりの金額を扱うことになる。

 人数が多いとグループ単位で行動することになる。今回から、朝食については、地元の商店の協力を得て、各グループ毎に食材を調達し、作ることにした。昼食は弁当とし、夕食は当番制である。見ていると、なかなか面白い。実に統率のとれたグループもあれば、てんでばらばらのグループもある。幹事役は大変である。各グループから幹事を出して幹事会を構成し、全体を運営する。木匠塾の目的は、自然に恵まれた環境の中で生活をしながら、木について学ぶことにあるのであるが、第一の意義は、集団で生活し、集団で交流するところにある。集団生活のルールを学ぶことも大切である。

 施設については、宿泊スペースが足りない。余裕をもって宿泊するにはせいぜい数十人がいいところであろう。寝袋や車の中や、実習でつくった仮設小屋の中で寝ることになる。それはそれで楽しいらしいのであるが、明け方は相当冷えるから風邪をひいたりする。最も問題なのは風呂である。車で二〇分のところにある旅館、あるいは露天風呂を使わせて頂いているのであるが、大勢で迷惑かけ放しである。時間を決めてグループ毎に利用するのであるが、ルール破りが出てくる。続いて報告するように千葉大学が昨年からシャワールームをつくったのであるが、水が冷たすぎて利用者が少ない。何日か風呂を我慢することも必要になるのであるが、最近の若い学生たちは綺麗好きで、毎日シャワー浴びないとたまらないらしい。

 お酒を飲み、開放的にもなると、いろいろトラブルもおこる・・・等々、山の一〇日間の生活はなかなか大変である。

 ところで、今年のプログラムを見てみよう。

 まず、特筆すべきは東洋大学のゲル(包・パオ)のプロジェクトである。正確にゲルの構造をしているわけではないのであるが、ゲルの形態を模した仮設の移動シェルターを建設するのが今年の東洋大学の実習内容である。高根村から加子母村に移動するのがヒントになったらしい。

 建設資材がユニークだ。垂木と壁材の主要構造部材は直径三センチほどの丸竹であるが、天蓋に使うのはタイヤ部分を除いた自転車の車輪である。また、天蓋部分には、スチール製の灰皿やビニール製の傘を使う。屋根と壁を覆うのはビニールシートである。組立にかかる時間はわずか三〇分足らず。文句無く傑作であった。十人近くが寝れる。おかげで宿泊スペースも少しカヴァーできた。

 同じく、シェルター建設をテーマにしたのが、京都造形大学と成安造形大学である。京都造形大学は、昨年の丸太による原始入母屋造りを発展させた。また、今年初参加の成安造形大学は樹上住居の建設に挑戦である。なかなか楽しい出来映えであった。

 大阪芸術大学は子どもたちのための木製の屋外遊具の制作をテーマとした。六〇センチ立方のキューブを各自がつくって組み合わせようというプログラムである。

 大阪工業技術専門学校は、音の出る階段とか、雛の声を聞く巣箱とか、サウンドスケープに関わる作品群がテーマであった。

 千葉大、芝浦工業大学は、日常施設の整備と修理にかかった。千葉大学は、昨年に続いて、浄化槽つきのシャワールームを組立てた。芝浦工業大学は、床の抜けた部屋の修理や保冷庫の整備を行った。

 また、茨城ハウジングアカデミーは、昨年一昨年に続いて、日本一かがり火祭り(八月五日)の屋台の組立に腕を奮った。

 そして、京都大学・奈良女子大学のグループは、昨年に続いて登り釜と陶芸に挑戦である。昨年は、釜を作るだけであったけれど、今年はいよいよ焼く段取りである。まずは、粘土をこねて、陶芸作品を作るところから始めた。空いた時間に陶芸教室が昨年までに完成した「蜂の巣工房」で開かれ、他のグループも大勢加わった。思い思いの作品をつくるとそれを乾かす。若干乾燥の時間が足りないけれど、火を入れることになった。ほぼ一昼夜、薪を焚いた。うれしかったのは、登り釜がちゃんと機能したことだ。火は登り釜を伝わって煙突まで確実に達したのである。今年は、釉薬を塗らず、素焼きの形にしたのであるが、本格的にやれそうである。来年度以降が楽しみである。製材で余った木片を薪にした陶芸も木匠塾の売り物になるかもしれない。

 ところで、今年は、八月八日には加子母村の渡合(どあい)キャンプ場に移って、第一回のかしも木匠塾の開塾式を行った。今年の一月、五月と続けてきたかしも木匠塾フォーラムの延長で、今後加子母を拠点とした構想をさらに練るためにである。加子母村は、本欄で触れた(雑木林の世界   一九九五年七月)ように、東濃ひのきの里として知られる。神宮備林も営林署の管内にある。また、産直住宅の村として知られる。その加子母村が、木の文化を守り育てる拠点づくりの一環として、木匠塾を誘致したいという。有り難い話である。

 しかし、これまでの木匠塾であるとするといささか荷が重いかもしれない。パワーアップが必要である。それにしても、高根村にまさるとも劣らない自然環境である。しかも、施設用地も提供して下さるという。もちろん、木匠塾のみで利用するのではないにしろ、夢膨らむ話である。具体的には、バンガローを一戸づつつくる話がある。学生参加のコンペにし、優秀作品を実際に作ろうというアイディアも出始めている。また、研修施設としての製品事業所の改造、新たな建設のプログラムもある。一朝一夕には出来ないであろうが、かしも木匠塾も今後具体的な可能性を様々に追求していくことになる。





2023年2月8日水曜日

木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル,雑木林の世界62,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199410

 木匠塾 第四回インタ-ユニヴァ-シティ・サマ-スク-ル,雑木林の世界62,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199410

雑木林の世界62

木匠塾

第四回インターユニヴァーシティー・サマースクール

 

                布野修司

 

 木匠塾(岐阜県高根村)の第四回インターユニヴァーシティー・サマースクールが始まった(8月2日)。2日に先発隊が宿舎整備を行い、3日に開校式。レクチャー等は例年通りであるが、今年は実習のプログラムが盛り沢山である。4日、以下のリストの各プロジェクトが一斉に動きだしたところだ。ワープロを持ち込んだので日誌の形で実況中継しよう。

 8月4日:①太陽熱利用の温水化装置(芝浦工大)は、上家の屋根を利用。ポンプで水を屋根に揚げて、しし脅しの原理で水を流す実験を行う。②涌き水利用のクーリング装置(芝浦工大)は、恒久施設として施工開始。③工房建設計画(大阪芸術大学 茨城ハウジングアカデミー)は、物置小屋の改修計画。④施設周辺測量(京都大学)は、浜崎一志先生(京都大学)指導の最新コンピューター測量である。基準点を固定するためにモルタルを使う。モルタル用に川砂を採集するところから開始である。⑤施設周辺整備:物見の塔建設、上家、下家連絡通路建設(東洋大学)。⑥浄化槽付きシャワー室建設(千葉大学)は、仮設の足場用のシステムを使用、防水シートと組み合わせてシャワー・ルームをつくる。浄化槽は活性炭が高いので木炭を利用して濾過、とりあえず浸透式で考える。⑦原始入母屋実験住宅建設(京都造形芸術大学)は、試行錯誤を開始。皮を剥く作業が初めてなので苦労する。⑧登り釜建設(京都大学)は、焼き物をやろうと計画。耐火レンガ等調達に出かける。⑨高山祭屋台模型製作(京都造形芸術大学 茨城ハウジングアカデミー)は、毎年試行錯誤。今年は十分の一の臥龍台の図面が手に入った。⑩日本一かがり火まつり屋台改修計画(京都大学 茨城ハウジングアカデミー)は、昨年の部材の確認。黴落としから。⑪修了証焼き印製作(奈良女子大学)は、丸太をバウム・クーヘンのように輪切りする。鋸を使う練習である。

 8月5日:①は据え付け開始。②は完成。③は、床に敷く枕木が届いて、どんどん進行。ほぼ完成。設計、準備とも順調。草木染めを開始。夜には完成パーティー。④は、岩風呂計画等今後の施設計画のためのデータつくりに励む。凧を揚げて上空から撮る凧写真は失敗。⑤は、傾いた舞台を元に戻し、番線を締め直す。⑥は3Sシステムの加工は完了。⑦は準備不足で試行錯誤が続く。丸太の皮剥き、緊結用の番線の作り方、シノの使い方から学習。⑧は、て穴を堀出した。⑨は8日以降開始予定。⑩は、今年は親子格子を付け加える。製作開始。⑪は、焼き印を押し出す。ほぼ出来た。

 8月6日:日本一かがり火まつり。昨晩から、その準備で大童。今年のメニューは、焼き鳥、蛸焼き、おでん、ビールに地酒である。焼き鳥は一千本、昨晩、午前一時までかかって串刺しを用意した。かがり火祭りはすごい。地上高く燃え上がる三基の他に、点々と燃える小さなかがり火が効果的に配置されている。最後に打ち上げられる花火も間近に見上げる形で、火の粉が降り懸かってくる迫力だ。今年、飛び入り参加のデンマークからの研究生ハンセン君は、大感激である。みんなで松明をもって行列に参加した。販売の屋台は、もう、戦場である。呼び込みの甲斐もあって、ビールを除けば完売。今年の総売上はどうか。

 8月7日:祭りの興奮醒めやらぬうち、交流スポーツ大会。オケジッタ・グラウンドでの野球大会は、東洋大秋山研究室主体のチームが優勝。広いところで凧写真を再度揚げるも風がなくてまたしても失敗。カメラが少し重い。一方、⑦は、遅れを取り戻すべく、作業続行。夕方までにほぼ完成。夜はバーベキュー・パーティー。桜野功一郎さんの高山祭りについてのレクチャー。後は大宴会。

 8月8日:一日作業。①は、しし脅しの仕掛け完成。完成まで後一歩。③の工房は蜂の巣工房と命名。冬の雪に備えて封鎖。④の測量は施設周辺の測量をほぼ修了。上家と下家の連結部分に集中。コンピュータの威力はすごい。瞬時に三次元の座標を出してくれる。⑥の浄化槽付きシャワー室は木炭が届かないため未完成。千葉大学チームは後を他に託して引き上げる。⑧の登り釜建設が本格的の始まる。穴堀にほぼ一日かける。⑨の高山祭屋台の模型製作も開始。入手した図面を読む。模型材料が足りないか。夜は恒例のロシアン・ルーレットゼミ。誰に当たるか分からない緊張感でゲーム感覚もあるゼミ方式である。

 8月9日:高山へ出かける日。まず、高山祭りの模型(五分の一)を造っているお宅へ行って見せてもらう。その後、飛騨産業で家具の製作工程を見学。高山市内を見て、午後はオークビレッジと森林魁塾の見学。毎年のコースでお世話になっている。京都大学チームは、居残りで、登り窯の製作続行。僕は、京都造形芸術大学の坂本君と屋台模型製作の下準備。午前中に構造部材を揃える。後は、登り窯製作に参加。組積造は、また、柱梁とは全く異なる。耐火煉瓦をレヴェルを合わせながら積んで行くのはなかなか難しい。耐火モルタルを使うのも初めてである。夜は、高根村の荒井さんの「高根村の総合計画」についてのレクチャー。人口八四五人の全国で二七番目の小さな村だとか、色々な悩みを聞く。かがり火祭りにいくらかかっているかなど、色々な質問が飛んだ。

 8月10日:⑧の登り窯チームは、朝五時から作業開始。必死に今年の予定完了を目指す。⑨の高山祭屋台模型製作は、昨晩、チーム編成。一気に完成を目指す。一方で解体作業が進む。①の太陽熱利用の温水化装置は、一応実験成功、シャワーを浴びて、装置分解保存。⑥の浄化槽付きシャワー室建設は、木炭届かず、残念。分解部品保存。⑦の原始入母屋実験住宅は、骨組みだけ残して解体、部品保存。⑧の登り釜は、煙突二五段積みまでついに完成。煙が登る実験ののち越冬のための養生を検討。⑨の高山祭屋台模型製作は、いくつかのパーツは完成するも、組み立てるに至らず、断念。京都造形芸術大学が持ち帰って完成することにする。仕事を終えたチームは、高山へ出かけたり、沢で釣りで楽しんだ。夜はフェアウエル・パーティー。奇想天涯のゲームに楽しく最後の夜を過ごす。灯を消して空を見上げると、満天に無数の星が皆を包むように降り注ぐ感じである。

 8月11日:宿舎後片づけ。修了証書授与。解散式。

 以上、今年も特に大きな事故はなく、ますます充実する木匠塾サマースクールは無事修了したのであった。

    


2023年2月7日火曜日

マスタ-・ア-キテクト制,雑木林の世界61,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199409

 マスタ-・ア-キテクト制,雑木林の世界61,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199409

雑木林の世界61

 マスター・アーキテクト制

 

                布野修司

 

 マスター・アーキテクト制というのを御存知であろうか。耳慣れない造語だから、おそらく一般には知られていないであろう。また、その概念も今のところ明快ではない。

 ところで、その耳慣れないマスター・アーキテクト制についての懇談会が開かれて議論する機会があった。財団法人、建築教育普及センターの主催で講師が磯崎新氏である。建設省住宅局の羽生建築指導課長、青木専門官など少人数の会であり、何故か、僕と芦原太郎氏が加わった(7月13日 於:アークヒルズ)。何故かといっても、多少の理由はある。建築教育普及センターでは、この間、景観をめぐる懇談会をもってきたのであるが、その議論のなかで度々、マスター・アーキテクト制もしくは現行の建築指導システムに変わる新たな仕組みについて議論してきていたからである。

 ところで、マスター・アーキテクト制とは何か。ある建築あるいは都市計画のプロジェクトを、全体デザインを統括するひとりの建築家(マスター・アーキテクト)を指名し、複数の建築家の参加のもとに遂行する。マスター・アーキテクトは、予め、共通のガイドラインを設定し、デザインを方向づけるとともに、各建築家のデザインを指導し、調整する。一般的には以上のように言えばいいであろうか。

 複数の建築家が参加するのであるから、ある程度大規模なプロジェクトであることが前提である。具体的には、住宅都市整備公団の多摩ニュータウン、ベルコリーヌ南大沢で内井昭蔵氏をマスター・アーキテクトとして行われた例がある。また、同じく、内井昭蔵氏をマスター・アーキテクトとする滋賀県立大学のキャンパス計画の例がある。その場合、予め、全体の配置計画と用いる素材や色調などが与えられるといったやり方である。

 こうしたマスター・アーキテクト制は、もう少し一般的に広げて考えてみると、個々の建築と町並みの形成、個々のデザインとアーバン・デザインの関係に適応可能ではないか。先の懇談会は、マスター・アーキテクト制を建築行政の手法として、あるいは都市計画の手法として採用できないか、ということをテーマにしていたのである。

 磯崎新氏は、熊本アートポリスのコミッショナー・システムの提案者である。続いて、富山県でも「町の顔づくり」プロジェクトを仕掛けてきた。また、博多のネクサス・ワールドでは、マスター・アーキテクトに近い役割を果たした。ところで、上で説明したマスター・アーキテクト制と磯崎流のコミッショナーシステムはかなり異なる。懇談会では、マスター・アーキテクトの役割について議論となった。マスター・アーキテクトは何をするのか。

 熊本アートポリスの場合、コミッショナーは、建築家を指名、もしくは選定するのみで、全体をコントロールするマスター・プランを持たない。それに対して、いわゆるマスター・アーキテクト制は、形態や材料、色彩などを規定するガイドラインもしくはマニュアルをもつ。あるいは、マスター・アーキテクトが直接調整の役割をもつ。

 どちらがいいのか。単純には結論がでるわけではない。磯崎の場合、コミッショナーおよび建築家の能力に全幅の信頼がなければ成立しない。下手をすれば、ボス建築家が仕事を配る仕組みとなんらかわりはなくなるのである。その点には大いに危惧がある。一方、マニュアルでデザインのガイドラインを設定する問題点も気になる。懇談会では、デザインの自由、不自由、地(グラウンド)のデザインと図(フィギュア)のデザイン等々をめぐって、議論は大いに広がりを見せた。

 もうひとつの理念として話題になったのが、シティ・アーキテクトあるいはタウン・アーキテクトである。ヨーロッパの場合、各都市にシティ・アーキテクトが居て、強力な権限のもとに建築のデザインをコントロールしている。特に、ドイツにはシュタット・アルキテクトの伝統があるという。磯崎氏の、自らがベルリン、フランクフルト、デュッセルドルフなどで経験した事例は極めて参考になる。ベルリンには、一九世紀のベルリンを理想とするシュタット・アーキテクトがいて、建築家は苦労しているといった事実の一方、B-プラン(地区詳細計画)など極めて厳密に思えるけれど、シュタット・アルキテクトによってはかなりの自由があるのだという。

 シティ・アーキテクトの制度は考えられないか。日本の場合、建築確認に携わる建築主事さんは現在一七〇〇名におよぶという。自治体の数は三千数百であるけれど、どの程度シティ・アーキテクトが存在すればいいのか。大きな自治体では地区毎にマスター・アーキテクトがいるのではないか。任期はどの程度でいいのか。議論はどんどん膨らんでいくのである。

 ひとりの建築家ではなく、デザイン・コミッティのような委員会制の方がいいのではないか。人数が多いと思い切った町の整備ができない恐れがありはしないか。信頼すべき建築にまかした方が面白い町ができるんではないか。しかし、とんでもない町ができた場合だれが責任を取るのか。・・・

 都市計画というのは、実に多様な主体の建築行為によって実践される。その調和を計りながら、個性のある町をつくっていくことは容易なことではない。日本の町の場合、縦割り行政のせいもあって、施策の一貫性がない。

 例えば、ある駅の周辺をとってみる。駅舎は、鉄道会社によってデザインされる。経済性のみで設計されるとすると、どの駅も同じようなデザインになる。駅ビルにデパートが進出すると地元のあるいは駅前の商店街との調整がデザイン的にも要請されるが、調整機構がない。広場や公園、歩道のデザインと駅舎のデザインは無関係に行われる。

 議論は議論として、アーバン・デザインの新たな仕組みを模索しながら、具体的な試みが積み重ねられねばならない。建設省としても、建築教育普及センターを拠点に新しい取り組みを企画中という。

 具体的な地域についてのケーススタディをしたい、そう考えているところで、ささやかなチャンスが得られそうだ。何人かの建築家と一緒に、出雲市の駅前まちづくりを全体的に考え、取り組んでみようというプログラムである。うまく行けば、システムとして、マスター・アーキテクト制を考える大きな手がかりとなる筈である。


2023年2月6日月曜日

東南アジアのエコハウス,雑木林の世界60,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199408

 東南アジアのエコハウス,雑木林の世界60,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199408

雑木林の世界60 

東南アジア(湿潤熱帯)のエコハウス(環境共生住宅)

 

                布野修司

 

 今年の連休(五月二日~一〇日)は、かねてから通っているインドネシア・ロンボク島のチャクラヌガラの町を歩いた。応地利明先生(京都大学東南アジア研究センター教授)と二人で、聞き取り調査を行ったのである。聞き取り調査といっても簡単なもので、各戸のカーストを聞くのである。バリ人のヒンドゥー社会にはカーストが存在するのである。簡単といっても、町の全域になるから、歩いたのは一日八キロから一〇キロになろうか。カーストの分布図を作ることによって都市計画の初期の範囲がおよそ確定できるのではないかというのがねらいである。

 チャクラヌガラというのは、本欄でかって触れた(「ロンボク島調査」雑木林の世界  )ことがあるけれど、バリ・カランガセム王国の植民都市で18世紀に建設された。その極めて整然とした格子状パターンの都市がどうしてできたのか、探ってきたのである。また、イスラーム教徒とバリ人(ヒンドゥー教徒)の棲み分けに興味があった。ロンボクは三度目であったが、ひと区切りついた。今年中には報告書を書くことになる。

 東南アジア研究も長くなったのであるが、今年は「重点領域研究」として「地域発展の固有論理」を考える研究会(原洋之助(東京大学東洋文化研究所)座長)がある。この一五年で、東南アジアの各国は目ざましい発展を遂げた。また、遂げつつある。東南アジア全域に、普遍原理としての市場原理が浸透しつつあるようにみえる。そうした中で、地域発展の固有の論理というのがありうるのであろうか。地域性というのは存続しうるであろうか。地域の生態系はどうなっていくのか、等々がテーマである。

 また、新しいテーマとして、エコハウスについて考察・考案しようというプログラムがある。旭硝子財団から研究助成を頂くことになったのである。その目的、構想は以下の如くである。

 まず、東南アジアにおける伝統的な住宅生産技術の変容の実態とその問題点を明らかにしたい。この間の伝統的民家、集落の変化は極めて激しい。伝統的な住宅生産技術は大きく変容してきた。まずはその実態を把握する必要がある。特に焦点を当てるのは、次に挙げる四つである。

 ①工業材料および工業部品の導入とそのインパクト

 ②空気調和技術の導入とそのインパクト

 ③施工技術の変容とインパクト

 ④住宅生産組織の変容

 伝統的な住居集落については、これまでテーマにしてきたのであるが、「地域の生態系に基づく新たな住居システム」を具体的に考察するためにさらにつっこんで調査したいということである。

 また、様々な試みの中から具体的な要素技術を収集し、評価する。当面焦点は絞らず、あらゆる分野にまたがってみてみたい。計画技術、材料技術、施工、設備・環境工学のそれぞれに関して、可能な限り情報収集したい。この十数年で東南アジアも大きく変わりつつあり、AIT(アジア工科大学)、マレーシア工科大学、タイ工業技術研究所、スラバヤ工科大学、また、インフォーマル・グループのビルディング・トゲザー(バンコク)、フリーダム・トゥー・ビルド(マニラ)等々、それぞれに取り組みが重ねられているはずである。

 地域産材利用のその後はどうか、リサイクル技術はどのように展開されているか、パッシヴ・クーリングなどはどうか、雨水利用やバイオガスについてはどうか、まず、現状を把握したい。

 ジョクジャカルタにディアン・デサというグループというか財団がある。彼らは伝統的なコミュニティーや技術、生活の知恵をベースとすることによって、ハウジング活動のみならずトータルに農村コミュニティーに関わっていこうとしている。具体的に、例えば、バンブー・セメントによる雨水収集、バイオ・ガス利用の新しい料理用ストーブに関してのアセスメントなどを試みている。一〇年前に出会ったのであるが、その後の展開はどうか。是非、再び訪問して、その経験に学びたいものである。

 先進諸国の取り組みや日本の過去現在の取り組みについても事例を収集する必要がある。竹筋コンクリートについては、日本に何本もの論文がそんざいしているのである。そうした様々な事例を検討しながら、最終的には、湿潤熱帯におけるエコ・ハウス・モデルを提案できればと思う。また、実際に実験的につくってみたい。

 今のところ、以上のような構想とプログラムだけである。建設省建築研究所の小玉祐一郎先生と工学院大学の遠藤和義先生と研究会を始めたところだ。小玉先生は、環境共生住宅については第一人者といっていいと思う。湿潤熱帯のエコハウスについては、取り組みが遅れているということである。遠藤先生は、これを契機に東南アジアの住宅生産組織についての研究を開始したいという。十年ほど前に全国十地域で住宅生産組織研究を一緒に開始した経緯があり、若い研究者を加えて組織的に十年計画でやっていきたいという。楽しみである。

 フィリピンについては、ルザレスさん(京都大学森田研究室)がピナツボ火山の被災者の応急ハウジングの調査を行う。地域産材利用、廃棄物の再利用に興味がある。また、牧紀夫君(京都大学小林研究室)も、災害復興応急住宅についての研究を開始しており、それを手伝う。バリ、フローレスに続いて、リアウ地震(南スマトラ)、ジャワ津波の調査を行う。

 また、研究室の田中麻里さんは、タイの建設現場の飯場の居住環境についての研究(AIT修士論文)に続いてタイの農村部の調査を計画中である。また、脇田祥尚君たちはスンダのバドゥイを調査する予定である。また、吉井君は、建材流通の問題を修士論文にする予定である。

 それぞれの研究テーマを展開しながらも、ある程度組織的に情報が収集できるのではないかと期待しているところである。

 エコハウスのモデルになるのは、おそらく、伝統的な住居集落のあり方とそれを支えてきた仕組みである。ヴァナキュラーなハウジング・システムである。それに何をどう学ぶかが一貫して問われているのだと思う。

 


2023年2月5日日曜日

新しい居住環境創造のプロパガンダ,『コミュニティー・アーキテクチャー』,週間エコノミスト,毎日新聞社,19930202

書評

コミュニティー・アーキテクチャー                                                           塩崎賢明訳

 

                布野修司

 

 英王室をめぐるスキャンダルがマスコミを騒がせている。そんな中であるいは忘れられつつあるかもしれないもうひとつのスキャンダルがある。チャールズ皇太子の「近代建築」批判以降の一連の出来事だ。つい先頃も、皇太子自らが理想的な建築家を養成する「建築学校」を開設したことが報じられたばかりである。その確固たる信念はいささかも揺らいではいないようにみえる。

 その主張をもとにしたテレビ番組(BBC制作)は日本でも放映されたし(チャールズ皇太子に対する建築家の反論を基調とするテレビ番組第二弾は、何故か日本では放映されなかった)、それを出版したものが邦訳( 『英国の未来像』 東京書籍 一九九一年)されたからそれなりに知られていよう。チャールズ皇太子は、一方でこの間、英国の、また世界の建築をめぐる大きな論戦の渦の中心にあるのである。

 ところで、チャールズ皇太子が依拠する建築観とは何か、理想とする建築家像とは何か。その主張を具体的に支える活動と背景、その理論、この間の経緯を克明にレポートするのが本書である。

 コミュニティー・アーキテクチャーとは何か。その核心原理は「そこに住み、働き、遊ぶ人々が、その創造や管理に積極的に参加することによって、環境はよりよいものになる」という主張にある。本書には、わかりやすく、「在来の建築」との違いを示す対象表も掲げられているのだが、「住民参加」、「小規模建設」、「ボトムアップ方式」、「プロセス重視」、「相互扶助」、「地域資源利用」、・・・などが基本理念である。

 コミュニティー・アーキテクチャーという言葉は、一九七六年に生まれた。英国王立建築家協会内に、以後この運動をリードし、後にその会長にもなるロッド・ハックニーが、コミュニティー・アーキテクチャー・グループを結成したのが最初なのだという。

 しかし、もちろん、それに遡る前史がある。一九六〇年代のコミュニティー運動に遡って、また、アメリカのソーシャル・アーキテクチャー運動も視野に収めてその運動を位置づけるのであるが、本書には都市計画運動史の趣もある。

 また、主として焦点が当てられているのは英国における都心の居住環境整備あるいは再開発の問題であるが、発展途上国の問題も含みその広がりは大きい。一九七六年といえば、バンクーバーで第一回の国際連合ハビタット国際会議が開かれた(本書では「静かな革命」として言及される)年であるが、その決議に示された理念がコミュニティー・アーキテクチャー運動の支えにもなっているのである。

 本書が上梓された一九八七年、議論はまさに沸騰しつつあった。本書は、その渦中に投げ入れられたものだ。コミュニティー・アーキテクチャーの発展を先導し、新しいルネッサンスを実現することを願う立場から書かれた、ある意味ではプロパガンダの書である。

 時折しもバブルの最中であった。そしていまバブルは弾けた。そうした意味では読む方に緊張感が湧いてこない。その主張はともかく、日本にもひとりのチャールズ皇太子が欲しかったとも思う。しかし、コミュニティー・アーキテクチャーのあり方をじっくり追求するそうした時代はこれからである。その理念と方法をつきつめて考える上で、翻訳はむしろタイムリーなのかもしれない。(京都大学助教授 地域生活空間計画専攻)





 

2023年2月3日金曜日

町全体が「森と木と水の博物館」,雑木林の世界59,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199407

 町全体が「森と木と水の博物館」,雑木林の世界59,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199407

雑木林の世界59

町全体が「森と木と水の博物館」

鳥取県智頭町のHOPE計画始まる

 

                布野修司

 本誌四月号(雑木林の世界  )でも触れたのだけれど、建設省の「HOPE計画」(地域住宅計画 HO           P      E         )は昨年十周年を迎えた。建設省の施策として1983年に開始され、この10年で、200に迫る自治体がこの施策を導入してきた。地域にこだわる建築家やプランナーであれば、おそらく、どこかの計画に関わった経験がある筈である。そのHOPE計画の十年を記念し、各地の試みを振り返る『十町十色 じゅっちょうといろ HOPE計画の十年』が出版された(HOPE計画推進協議会 財団法人 ベターリビング 丸善 1994年3月)。

 『十町十色』をみると、HOPE計画の内容と各市町村の具体的な取り組みは実に多彩だ。「たば風の吹く里づくり」(北海道江差町)、「遠野住宅物語」(岩手県遠野市)、「だてなまち・だてないえー生きた博物館のまちづくりー」(宮城県登米町)、「蔵の里づくり」(福島県喜多方市)、「良寛の道づくり」(新潟県三条市)、「木の文化都市づくり」(静岡県天竜市)、「春かおるまち」(愛知県西春町、「鬼づくしのまちづくり」(京都府大江町)、「ソーヤレ津山・愛しまち」(岡山県津山市)、「なごみともやいの住まいづくり」(熊本県水俣市)等々、思い思いのスローガンが並ぶ。「たば風」とは、冬の厳しい北風のことである。「もやい」とは、地域の伝統的な相互扶助の活動のことである。地域に固有な何かを探り出し出発点とするのがHOPE計画の基本である。

 その『十町十色』に、「地域の味方」と題して一文を寄稿したのであるが、その最後で次のように書いた。

 「HOPE計画を実際にやってみないかという話しがありました。鳥取県は八頭郡の智頭町です。智頭は杉のまちとして知られます。以前、「智頭杉・日本の家」コンテストの審査で関わったことがあるのですが、その後の智頭活性化グループ(CCPT)のめざましい活動にも注目してきました。少し手がけてみようかなという気になりつつあります。十年後を期待して下さい。」。

 「十年後を期待して下さい」といってはみたものの未だに自信はあるわけではない。しかし、この半年の議論でおよそ方向性が見えてきた。以下に、そのイメージについて記してみよう。HOPE計画策定委員会のまとめではなく、全く個人的な見解である。

 「町全体が「森と木と水の博物館」」で「町民全員が学芸員」というのが基本的なコンセプトなのであるが、


2023年2月2日木曜日

ジャイプルのハヴェリ,雑木林の世界58,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199406

 ジャイプルのハヴェリ,雑木林の世界58,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199406

雑木林の世界58

ジャイプールのハヴェリ

 

                布野修司

 

 飛騨高山木匠塾の第4回インターユニヴァーシティ・サマースクールの今年の日程が、八月三日から一一日と決まった。八月六日が日本一かがり火祭りで、今年も屋台を出店することになる。施設計画も進められつつあり、財源についても検討しつつあるところだ。プログラムについては、ほぼ昨年と同じとなることを想定しているが、詳細は未定である。  ●期間 一九九四年八月三日(水曜)~八月一一日(木曜)

  ●場所 岐阜県高根村久々野営林署野麦峠製品事業所

 ●主催 飛騨高山木匠塾(塾長 太田邦夫)

 ●後援 名古屋営林局・久々野営林署/日本住宅木材技術センター/高山市/高根村/AF(建築フォーラム)/サイトスペシャルズフォーラム/日本建築学会/日本建築セミナー/木造建築研究フォーラム(以上 予定)

 ○実習

 1。屋台模型制作実習 1/5および原寸部分/2。家具デザインコンペ /3。家具制作/4。足場組立実習/5。施設全体計画立案/6。野外風呂建設 /7。バイオガス・浄化槽研究/8。竈建設/9。測量実習 /10。型枠実習

  ●参加資格 木造建築に関心をもつ人であれば資格は問わない

 ●参加予定 芝浦工業大学・東洋大学・千葉大学・京都大学・工学院大学・大阪芸術大学・京都造形大学・茨城ハウジングアカデミー

 ●参加費 学生 3000円/日(食事代、宿泊費含む)/一般 5000円/日(食事代、宿泊費含む)/但し、シーツ、毛布、枕カヴァーは各自持参のこと。

●連絡先 芝浦工業大学 藤澤研究室(                )/京都大学  西川・布野研究室(            )/千葉大学 安藤研究室(            )/東洋大学 太田・秋山・浦江研究室(            ) 

 

 さて、この春休みにはタイとインドに出かけてきた(三月二〇日~四月五日)。タイは、AIT(アジア工科大学)でレクチャーを行なう以外は特に目的はなかったのであるが、久しぶりにバンコク、チェンマイ、アユタヤを見ることができた。特に懐かしかったのは、ビルディング・トゥゲザーのプロジェクト・サイトを再訪できたことである。このプロジェクトは、インターロッキング・ブロックとPCの梁を組み合わせるビルディング・システムにより、居住者自ら建設に参加する形をとったユニークな試みであったが、その変貌は驚くほどであった。タイの経済水準は随分と高くなった、という印象である。

 ブロック造のニュー・ヴァージョンは、カナダからのルファブル先生を中心とするAIT(ハビテック・パーク)と協力して続けられているのであるが、供給形態としては建て売りの形である。ビルディング・トゥゲザーも変質を迫られたようである。

 本命は、インドのジャイプールであった。インドは初めてである。デリー、チャンディガール(コルビュジェも迫力あるけれど、ロックガーデンもいい)、アーグラ(タージマハール!!)、ファテプルシークリー(アクバルの建築狂)、マトゥラ(クリシュナの聖地)とムガールの都市建築を見て、ジャイプールへというコースである。ジャイプールには、研究室の荒仁(アラジン)君が二月の初めから滞在しており、同じく研究室の青井哲人君と調査の仕上げに駆けつけたというかたちであった。

 ジャイプールと言えば、例のジャンタル・マンタル(天文台)がある。デリーのものより規模が大きい。建築家毛綱毅曠、写真家藤塚光政が組んで出した『不知詠人読み人知らずのデザイン』(TOTO出版 一九九三年)にも取り上げられている。見るのが楽しみであった。しかし、町の方がさらにすごい。興味は、都市計画と都市住居の方にすぐさま移ったのであった。

 ジャイプールの町を計画したのも、ジャンタル・マンタルをつくったジャイ・シンⅡ世である。一八世紀の前半のことである。実際に都市計画に当たったのは、ビジャダル・ナガルであり、ジャイプールはビジャダル・ナガルの町とも呼ばれる。

 その形態は極めて特徴的である。基本は三ブロック×三ブロックのナイン・スクエアなのであるが、北西部が山によって切りとられ、その分、南東部が一ブロックはみ出している。全体は、ヴァストゥ・プルシャ曼陀羅、あるいは、インド古代から伝わる建築書マナサラのプラスタラ・タイプに基づくという説がある。奇妙なことに正南北に対して都市軸がずれている。諸説あるけれど、ジャイプールがあるコスモロジーに基づいて理念的計画された計画都市であることは明かである。

 一辺が八〇〇メートルの一ブロック(チョウクリ)はかなりのスケールである。城壁で囲まれたピンク・シティ(旧市街:建物は赤い砂岩でつくられ、町全体が赤いことからこう呼ばれる)は想像以上に大きい。しかし、住民にとって、このスケールは極めて適切であるということが、歩き始めてすぐにわかった。ブロックの通りには、ありとあらゆる店が並ぶ。幹線道路が交わる交差点は、チョウパルと呼ばれ、マーケットになっている。また、ブロックの内部では様々なものがつくられている。最大でも四〇〇メートル歩けばたいていのものは手に入る。職住近接である。住工混合である。様々な機能が重層しあっている。

 一階にはショップ、その後ろには事務所スペースが置かれる。三階、四階である。その背後に居住スペース。立体的な断面構成も重層的である。しかし、きちんとした型がある。中心になるのは、ハヴェリと呼ばれる中庭形式の住居である。中庭を囲んで、オフィスや店舗がつくられる場合も多い。

 ハヴェリとは邸宅の意であるが、チョウクと呼ばれる中庭を囲んで三層、四層の構成をとる。グジャラートでは、木造であるが、ジャイプールでは組石造である。何人住んでいるか、と問えば百二十人とか、百三十人とか、答が返ってくる。我々には想像ができないかもしれないのであるが、いわゆるジョイント・ファミリー(合同家族)である。屋上は日が落ちれば実に涼しい空間になる。ハヴェリは、高密度居住が可能になる都市型住居である。調査の分析が楽しみである。

 

 


2023年2月1日水曜日

松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか,否か,雑木林の世界57,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199405

 松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか,否か,雑木林の世界57,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199405


雑木林の世界57

 松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか,否か

 

                布野修司

 前回報告した「地域の住宅生産システムーーこの十年」と題されたシンポジウムに続いて、「文明の地域性」という、とてつもないタイトルのシンポジウムに出席する機会があった。文部省の重点領域研究「総合的地域研究」の一環で3月2日、3日の二日間にわたって、東大の山上会議所で開かれたものだ。「文明と地域性」ではなくて、「文明の地域性」である。文明というのは、諸文明というように複数の存在がありうるのか。文明と文化とはどう違うのか、と次々に疑問が湧いてくるのであるが、「地域と生態環境」、「地域性の形成論理」、「地域発展の固有論理」、「外文明と内世界」、「地域連関の論理」、「外世界から」と個々のセッションの報告はそれぞれ魅力的であった。

 基本的な問いは必ずしも明かにならなかったのであるが、どうも、文明化の地域性、文明の地域化のプロセスが問題らしかった。とにかく、論客を集めて、なかなかに刺激的であった。一応、東南アジア地域が主たる研究対象だから、知的な情報も有り難かった。南米のスリナムがオランダの植民地で、多くのジャワ人が移住していたという歴史的事実など全く知らないことであった。とにかく痛感したのは、地域性の問題がジャンルを超えた大きな問題であり、グローバルな文明史的な課題でもあることである。

 ところで、それはそれとして、近年になく面白いシンポジウムの司会を務めた。以下に紹介しよう。各地で、どんどん行われると面白いと思う。

 「ディベートによるモデル討論会」と主催者は呼ぶのであるが、「ディベートとは、特定の話題に対し、肯定と否定の二組に別れて行なう討論のやり方」で、「活発な議論が期待されるモデル討論会として、肯定と否定の組分けを、参加個人の主張とは無関係に役割として割り当てて行なうことにする」というものである。

 具体的にテーマとされたのは、「松江城周辺の建築物の高さを規制するべきか、否か」というテーマである。「市街地景観セミナー」のワンパートとして企画されたものである(3月12日 於:島根県民会館 松江市)。

 一九九二年度、島根県市街地景観形成マニュアル作成委員会の委員長として、「魅力ある建築景観づくりのためにー市街地景観形成の手引き」と題されたリーフレットを作成した経緯もあって、司会をやれということであった。直感的には面白い、と思ったのであるが、いささかしんどいな、という気もしないではなかった。実を言えば、実際、松江市の城山周辺で八階建てのマンション建設をめぐる「紛争」が昨年秋から続いており、モデル討論とは言え、かなりのリアリティーを持って受けとめられることは明らかだったからである。

 ディベーターは、規制に賛成、反対、それぞれ三人ずつ六人、鬼頭宏一(島根大学法学部)、湯町浩子(島根総合研究所)、原田康行(創美堂)、長谷川真一(長谷川染物店)、石原幸雄(石原建築設計事務所)、足立正智(建築設計事務所飴屋工房)の各氏である。

 ディベートに先だって、塩田洋三(島根女子短期大学)、矢野敏明(島根県建築士事務所協会理事)の両氏から、島根の景観についての講演があった。実は、「魅力ある建築景観づくりのためにー市街地景観形成の手引き」を作成する際に、建築士事務所協会会員たちは、島根県中の景観を撮影する作業を行っており、そのスライドを用いたわかりやすい講演であった。身近な環境を見直す意味でも、その景観を記録する意味でも、貴重な作業であったのであるが、折角の作業をこうしたセミナーの場で活かそうというねらいも面白いと思った。

 ディベートは、規制賛成派の冒頭陳述で始まった。アイデンティティー論が主軸であった。松江らしさ、松江の固有性にとって松江城周辺は極めて重要であること、京都、奈良に続く国際文化観光都市としてのアイデンティティーを保持すべきであるという主張であった。また、美の根源はコントロールにあり、というテーゼも出された。

 それに対して、規制反対派は、すぐさま活性化論を対置した。都心の空洞化をどうするのか、歴史的遺産を保護するのは当然だけれど、都心こそ開発すべきであるという。また、規制ではなく、生きたルールこそ大切だという主張に重点が置かれた。

 高層化は空洞化対策にはならない、地上げによって空洞化がますます進行するだけだという反論がすぐ出された。また、現行の規制は最低基準であって、公共の福祉を業者の利潤追求から守るために松江はもっと強化すべきだという論調が重ねて出された。

 司会は思ったより大変であった。双方に対する反論をメモしながら討論を聞き、噛み合わせるのは容易なことではないのである。

 模擬裁判というのがある。検察官と弁護人がいて論理を闘わせる。そして、裁判官役が判決を下す。しかし、この場合、判決を下すわけにはいかない。あくまで、景観問題の多様な広がりを多角的に考える素材を提供するのが目的である。

 どっちかが明らかに優勢になっても困る。しかし、司会者がどちらかに肩入れしてもまずい。せいぜいできることは、発言の時間が偏らないようにすることぐらいである。また、少しづつ論点をづらして、決着がつかないようにすることも必要かと思われた。しかし、途中から楽になった。ディベーターが充分場を盛り上げてくれたからである。

 市民の意識は高い、規制をする必要はない、という主張に対して、市民の意識は低い、といったかなり思い切った発言も飛び出したのである。

 ディベートに先だって提出された聴衆の意見をみるとそのほとんどが何らかの規制が必要であるという意見であった。しかし、どの程度の高さならいいのか、具体的にどのような地区区分をすればいいのかについては必ずしもはっきりしない。

 規制反対派が、あくまであらゆる規制について反対という以上、規制の中味については具体的な議論に入れなかったのであるが、丁々発止のやりとりは、司会をしながらも、結構楽しむことができたのであった。

 ディベートを終えて、各地区でこうした試みをやったらどうかという話になった。景観問題をめぐってはとにかく議論が必要であると思ってきたのであるが、こうしたディベート形式は問題を掘り下げる上でかなり有効ではないか。

 皆さんの地域でも、こうしたモデル討論を企画してみたら如何だろう。賛成反対の役割はあくまで籤で決める。論理のみ闘わせるのは、地域の訓練としてとてもいいと思う。

 


2023年1月31日火曜日

UK-JAPAN ジョイントセミナ-,雑木林の世界06,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199002

 UK-JAPAN  ジョイントセミナ-,雑木林の世界06,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199002

雑木林の世界6

UK-JAPAN ジョイント・セミナー

                        布野修司

 

 昨年暮れに『住宅戦争』(彰国社)を出版した。野辺公一、大野勝彦に続く「住まいブックス」シリーズ第三弾である。今年は続いて『住まいづくりの仕組み』、『見知らぬ国の見知らぬ住まい』の二冊を予定しているのだけれど、どうだろう。出版記念会(十二月十五日)ではいろいろと批評を頂いて、針のむしろであった。二度とやるもんじゃない、と思うのだけれど、成るほど、そう見えるのか、という点が多々あって大いに勉強になった。

 ロンドンから帰って、すぐさま「家づくりの会」の公開講座第三回(十二月二日)。また茨城県に出かけて、工業高校と産業技術学院を訪問した(十二月六日~七日)。問題の根が次第に実感されてくる。工業高校の学生にもアンケートしてみた。いずれ報告しよう。

 さらに暮れもおしつまった頃、研究室のOBを中心とする「鯨の会」による山本理顕さんの講演会「表現と住宅」が開かれた(十二月二十二日)。建築家が住宅にアプローチする場合の基本的視点をめぐって面白かった。これまたいずれここで考えてみたい。

 

 

 さて、ロンドンである。主目的は、ロンドン大のバートレット・スクール(建築学科)で開かれた「建設産業研究に関する日英ジョイントセミナー」(十一月二十日)に参加することであった。千葉大の安藤正雄先生のオルガナイズで、日本からの参加者が二十名、全体で五十名ほどのセミナーである。正直に言うと、慌ただしくて気乗りがしなかったのであるが、行って大正解であった。セミナーも安藤先生の獅子奮迅の活躍で大成功。短期留学が遊学にしかなっていない先生が多いなかで、特筆すべき成果だと思う。有意義で得ることの多い一週間であった。

 セミナーでは、どんな国際会議でもそうなのであるが、まず意識させられるのが、彼我の違いである。まずは、ディシプリンの違いがある。建設産業を扱う中心は、経済学である。経済学と建築技術をどう問題にするかは共通に問題であった。また、前提となる建設産業のありかたが全く違う。工業化戦略、生産過程と生産技術、建設管理、情報技術という四つのセッションに分かれていたのであるが、内容は相当異なっていた。

 論文発表については、はっきりいうと、日本チームの論文発表がはるかに上だったと思う。少なくとも僕には日本チームの発表の方に学ぶことの方が多かった。それにある見方からすると、日本の建設産業が進んでいる、という印象である。続いていくつかの建築現場をみたのであるが、日本の大手建設会社の現場のほうがはるかにシステム化されているのである。

  しかし一方、イギリスチームの発表は随分と楽しそうであった。スライドで吊りガラス構造のディテールを何枚も見せてくれたアラン・ブルークス氏やビデオを用いて「知的な設計チームがインテリジェント・ビルをデザインする」と、設計のプロセスを構造化してみせたJ.A.パウエル氏なんかがそうである。プレゼンテーションは、やはり、イギリスの方が数段上だ。

 極めて印象的であったのは、イギリスでは、建築に関わる統計データを入手するのが極めて困難だということである。専ら、統計資料を駆使してマクロな押えを行った日本チームの発表に対して、数字だけ集めても意味がない、といった反応があったりしたのだが、聞いてみるとイギリスでは日本と同じような統計はとらないのである。

  当り前のことで書くのをためらうのであるが、イギリスの場合、建設需要の半分は増改築なのである。増改築というのは、統計にはのりにくい。住宅に関する限り、住宅が百年、二百年もつのは当然と考えられている。新築のウエイトは極めて低い。職人の編成も増改築主体に行われることにおいて日本とは全く事情が異なるのだ。

  ところで、折しもロンドンではチャールズ旋風が吹き荒れていた。チャールズをめぐっては「室内室外」(『室内』九〇年一月号)に書いたから繰り返しは避けたいのであるが、セミナーを通じて考えていたのは、チャールズの巻き起こした波紋についてであったような気がしないでもない。あちこちの建物が議論になっているのだから無理もないのだ。

 ロンドンの再開発をめぐって問われているのは広く言えば建築観なのである。チャールズの主張は平たく言えば、ストックとして歴史的な建築遺産を大事にしようということであろう。議論を単純化すれば、伝統か近代か、モダンかポストモダンか、という争点の背後でストックかフローかということも問われているのである。

 セミナーが終って、というより、そのプラグラムの一貫としていくつかの現場を見学した。スティーブン・グロアク先生のセットである。ロンドン大のステイーブン・グロアク先生は、住宅をめぐる国際的な雑誌『ハビタット・インターナショナル』の編集長でもある。セミナーの論文はこの九月出される『ハビタット・インターナショナル』に掲載される予定だ。『群居』編集長として、ずうずうしくも早速提携を申しいれた。もちろん大歓迎である。『群居』もこれを契機に国際的になっていくかもしれない。

 ところで、見学した現場のひとつが「英国図書館」であった。チャールズ皇太子が激しい批判を投げかけている建物だ。チャールズはなかなかの建築理論家なのだけれど、個々の建物の評価になると露骨にその趣味が透けて見えてくる。彼は、建築はこうあるべきだという、具体的なイメージをもっているのである。

 英国図書館は英国最大の図書館なのであるが、ただでかいだけで設計の密度がない、確かに、そんなによくない建物であった。しかし、周辺環境への配慮にしても、地場産材であるルーフタイルやレンガを用いる点にしても、それなりにポリシーをもった建物のように思えた。昨年、チャールズ皇太子に建築家が反論するテレビ番組もつくられ、ヴィデオを見せてもらったのであるが、英国図書館の設計者が朴とつにその主旨を説明するのが印象的であった。

 チャールズ皇太子がいうのは、国家的施設としての風格がないということである。そのイメージにあるのはカール・マルクスが通った大英博物館の閲覧室なのだ。議論は少しくすれ違っている。

  チャールズ皇太子と建築家の論争は当面続きそうなのであるが、その焦点はシティーであり、ドックランズである。シティーは歴史的建造物を残しながらの再開発がテーマであり、概ねチャールズ路線だ。ドックランズは、およそネオモダニストの路線といえるか。前者は、ポストモダン・クラシシズム路線、後者は、ハイテック路線と言っていいかもしれない。

  グロアク先生の案内でドックランズの現場をいくつか見たのであるが、雇用の問題にしろ、地盤の問題にしろ、廃棄物の問題にしろ、余りに問題が多い。シティーとドックランズは実に対比的な問題を僕らに提起しているのだ。