座談会「震災から1年を振り返ってー建築学会の活動」,北原啓司・腰原幹雄・中島正愛・平石久廣・布野修司,建築雑誌「建築年報告2012」,2012年9月号
建築雑誌9月号 建築年報2012 「震災から1年を振り返って-建築学会の活動-」
話し手:
北原啓司 Keiji Kitahara 弘前大学教授、本会復旧・復興支援部会、まちづくり支援建築会議運営委員長/1956年生まれ。東北大学卒業。同大学大学院修了。都市計画、コミュニティデザイン。博士(工学)。著書に『まち育てのススメ』。共著に『東日本大震災からの復興まちづくり』『対話による建築・まち育て』『まちづくり教科書6 まちづくり学習』ほか
腰原幹雄 Mikio
中島正愛 Masayoshi Nakashima 京都大学防災研究所教授、本会研究・提言部会部会長/1952年生まれ。京都大学卒業。米国ペンシルバニア州リーハイ大学大学院修了、Ph.D.。耐震工学・鉄骨構造。1997年日本建築学会賞(論文)、米国土木学会Moisseiff Award、日経BP技術賞ほか多数/本会副会長、米国地震工学会理事、日本地震工学会副会長を歴任。本会構造委員会委員長。Earthquake Engineering &
Structural Dynamicsエディタほか
平石久廣 Hisahiro Hiraishi 明治大学教授、本会東日本大震災調査復興支援本部副本部長、災害委員会委員長/1949年生まれ。九州大学卒業。同大学院博士課程修了。鉄筋コンクリート構造、耐震工学。工学博士。1982年日本コンクリート工学協会賞(論文)、1996年日本建築学会賞(論文)、1997年建設大臣賞(業務功労者表彰)、2000年科学技術庁長官賞(研究功労者)受賞
布野修司 Shuji Funo 滋賀県立大学副学長、理事。本会副会長、本会復旧・復興支援部会部会長(2011.9〜)/1949年生まれ。東京大学卒業。同大学大学院博士課程中途退学。建築計画、地域生活空間計画、環境設計、アジア都市建築史。著書に『戦後建築の終焉』『曼荼羅都市』『建築少年たちの夢』、編著書に『現代建築』『近代世界システムと植民都市』、共著に『韓国近代都市景観の形成』ほか。1991年日本建築学会賞(論文)、2006年日本都市計画学会論文賞受賞ほか
聞き手:
牧紀男 Norio
Maki(京都大学防災研究所准教授/会誌編集委員)
青井哲人Akihito
Aoi (明治大学准教授/会誌編集委員長)
日時:2012年6月10日(日)10:00から11:45 場所:建築会館 記録:菊池薫
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青井 東日本大震災から1年3ヶ月が経ち、発災直後から学会がどう対応し、どのような苦慮があったのか。学会としてこの経験を今後の防災・復旧復興にどういかすべきかを議論できればと思います。
●震災後の学会活動からみえてきた課題
牧 平石先生、災害委員会のこれまでの活動と課題についてお話しください。
平石 発災直後は、電話、インターネットなどが遮断され、関係者とも容易には連絡がとれず、調査体制の確立に苦労しました。当初は大勢の行方不明者の捜索や原発事故のため、津波激災害地、原発影響地区への調査の自制を求めざるをえず、各自治体へのアプローチも原則禁止の措置をとりました。その後、当初の混乱がやや沈静化したため、3月30日には東北地方太平洋沖地震災害調査ガイドラインを作成し、組織的な調査を要請しました。4月になると被災地の復旧が少しずつ進み始め、後世に残すべき貴重な被災資料も撤去される状態となり、津波激災害地の調査禁止等の解除を行いました。解除後は比較的スムーズに調査が進み、本年1月の段階で派遣した調査団は282団体、調査員の延人数は2600人に及びました。また、緊急報告会や速報報告会を各地で開催し、調査報告書(速報)を昨年7月末に出版。その英語版も本年9月にSpringerから刊行予定です。また被災後から構造関係6学会(建築学会、土木学会、地震学会、地盤学会、機械学会、地震工学会)で情報交換し、本年2月には7学会(現在、都市計画学会、原子力学会を加えた8学会)で東日本大震災合同調査報告書作成のための編集委員会を結成し、震災後1年目の3月に国際シンポジウムを開きました。
なお、初動調査は兵庫県南部地震の経験を経て作成した「日本建築学会地震災害調査活動指針」に従い、調査復興支援本部の下、調査の統括と常置委員会・構造委員会の調査団の派遣を当該支部と協議しながら実施しました。結果的にはこの指針は大きな拠り所となりましたが、逆にこれに拘束された面もありました。
情報の収集と発信には、災害委員会のホームページである「災害Wiki」も活用しました。ただし、メインサイトの首都大学の計画停電、バックアップサイトの東北大学の被災等で、ネットワーク機能が停止する可能性が生じ、機能を関西と名古屋に移しました。今後は、今回の経験を踏まえ、種々の事態を想定した体制の構築が課題です。
牧 次に腰原先生、支援本部の活動と課題等お話しください。
腰原 通常、災害調査は各研究者のボランティア活動が建前となっています。その場合、調査地域が限られ、出てきたデータの共有化ができません。今回も、各人が調査に行きたい場所と、学会が調査を求めた場所に違いがありました。調査の重複やもれを避け、被害がなかったという報告も重要です。今後、学会が調査場所を割り振りチーム戦でやるのなら、調査場所の確認やデータの共有が必要になるし、旅費支援があってもいいように思います。
牧 次に復旧・復興支援部会の北原先生、お願いします。
北原 当初、私は住まいまちづくり支援建築会議の調査研究部会長として、佐藤滋前会長発案の「まちづくり展」連続ワークショップの開催を進めていました。最初の段階で、神戸の復興塾の小林郁雄先生にお話をうかがったのですが、東北では神戸の経験をそのまま使えないと感じたし、小林先生もそうおっしゃっていました。なぜなら神戸の震災では「まちづくり協議会」という地域の人が議論しながらまちをつくる参加型のしくみがすでにあり、その後の復興が早かったと思うからです。でも東北には「まち協」もなければ、大学の都市計画の関係者もコンサルタントも少ない。すべてがリセットされ、途方に暮れた方々と全く経験のないまちづくりをスタートしなければなりませんでした。最初は復元力をつけるためのエンパワーメントが課題でした。東北には復旧・復興を担うことのできる大学の数が圧倒的に少なく、主要となる東北大学が被災し、すぐには動けない状況でしたので、まずは少しでも元気な青森や岩手の人間が動き始めました。その後、関西や中越からも増員していただき、きたかみ震災復興ステーションを立ち上げました。
また広範な東北地方を「東北」という括りで言うこと自体、意味がありません。福島と宮城と岩手では非常に違うし、同じ岩手でも各集落、自治体ごとに様相が異なり、一つひとつの個体がばらばらに存在しています。そのため様々なデータを収集する部会と地域のプラットフォームを作る部会のタスクフォースに分かれ活動を始めました。
牧 次に布野先生、復旧・復興支援部会部会長になられてからの活動と課題についてお話しください。
布野 3.11の発災日はたまたま理事会が開かれていて、すぐに佐藤滋前会長が辻本誠副会長を本部長とする東日本大災害調査復興支援本部を設立しました。私が復旧・復興支援部会を小林英嗣先生から引き継いだのは半年後の9.11で、その間、中心でやってこられたのは北原先生です。基本的には、小林部会の4つのミッションを引き継ぎました。A)は一番機能している北上の後方支援のプラットフォームです。できたら福島にも学会として新たなステーションを設けたい。B)はアーキエイドがわかりやすい例ですが、番屋支援など、地域社会の復旧・復興に資するような集会所をつくりました。これは1年間、会員諸氏が様々に活動されてきております。C)は中島先生の提言部会の活動とも絡みますが、直接的に社会に向けての発信。具体的に仮設住宅や災害公営住宅の問題について何らかの提言をすることを考えています。D)は学会として当然の仕事ですが、何が起こって何が問題であったのか正確に記録して分析すること。これは明快に小林部会で出されたものを引き継いできています。
会員諸氏がボランティアで活動するのは基本ですが、学会として何をするかということになると、何らかの支援活動が必要ではないかと主張してきました。幸い国際的災害支援のNGOシビックフォースから300万円ほどいただけたので、気仙沼の6グループに3ヶ月限定でモデル的な支援(会所の建設、仮設住宅の改善、漁村の資料の保存、仮設の商店)をしました。今年度は、学会への寄付金で若手中心に研究助成を行うこととし、15チームにそれぞれ30万円ずつ1年間、支援することにしました。来春にはその活動報告をかねてシンポジウムを開催し、学会の成果としてまとめたいと思っています。その他、各方面の専門家と議論を深めるため、3月末には気鋭の憲法学者を招いてシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」を開催、7月には「復興の原理としてのコミュニティ―オランダからの提言」というタイトルで、土木と建築が垣根を超えてプロジェクトを実施するオランダのケースを紹介して議論します。さらに、11月には、何が出来て何が出来なかったか、これから何が出来るか、展覧会と合わせてシンポジウムを開ければと思います。
牧 最後に、中島先生、提案・提言部会についてお話しください。
中島 私は2011年3月20日過ぎに佐藤前会長から依頼を受け、研究・提言部会の切り盛りを任されました。学術推進委員会傘下の常置委員会を中心に活動するという主旨で、4月中旬には、構造系3名、環境系2名、建築計画系2名、都市計画系2名、歴史・意匠系1名の10名からなる研究・提言部会を発足させました。4月の後半に、震災調査の内容と今後の課題等について、すべての常置委員会に対してアンケート調査を実施、そこで得た結果をもとに部会で議論を重ね提言の骨子をまとめました。9月9日には「建築の原点に立ち返る―暮らしの場の再生と革新―」と題した提言案を理事会で承認いただき、それが第一次提言として採用されました。一次提言では、漢字二文字の5つのキーワード、①津波、②対応、③首都、④原発、⑤継承を軸として、得られた教訓と、それを踏まえた提言と行動を記述しています。一次提言書がまとまるころ、和田会長から二次提言を作るようにとの指令があり、一次提言のために組織した部会を継続発展させることとし、5つのキーワードに沿った提言に対して、より明示的かつ具体的な行動計画を盛り込む予定で、現在活動しています。またこの作業では、新たに組織された特別委員会である「巨大災害の提言と回復力の強いまちづくり」とも協働しつつ、2013年の3月までに二次提言をまとめる計画です。ところで、頻繁に発せられる「この提言は誰に向かってか」という問いに対しては、一義的な対象は建築学会の会員です、と答えています。部会が提言を作り、常置委員会が中心となってそれを実践するのだと割り切りっています。常置委員会を中心に動かそうという先代会長のご指示を現会長も踏襲されていますので、本部会においては終始一貫してことが進んでいると理解しています。二次提言を出した後そのクオリティが問われるときが、われわれの部会にとっての正念場です。
●学会の体制――分権か中央集権か
牧 この超広域災害に対してどのように調査・支援をしていくべきか、平石先生いかがでしょうか。
平石 災害調査はその地域に密着した方々が行うのが一番適していると思います。ただし、支部と本部の動きは、時間の経過とともに随分違ってきます。なぜなら、今度のような大災害の直後は行方不明者の捜索や救助などの緊急を要する活動が優先されるべきで、また物資の枯渇などの切実な問題が生じている状況で、被災地に不案内な調査者が入ることは不適切です。しかし、被災後すぐに撤去されてしまう貴重な資料もあるので、まずは支部が初動調査を行い、ある程度、直後の混乱が収まった後、学会全体として組織的な調査団の派遣体制を組むのが適切です。ただし今回は、調査活動指針に制約され、当初、学会長が現場視察に入りにくい問題も生じました。また行政との対応や、他学会との折衝では学会本部のより主体的な対応の必要性を強く感じました。現在、そのあたりの認識を踏まえ、調査体制や活動に関する指針の具体的な改訂作業を進めています。
牧 では計画系の調査・支援では、支部主導がよいか、本部調整が必要か。現場にいらしたお立場からいかがでしょうか。
北原 きたかみ震災復興ステーションは東北支部で進めているわけではありません。本部から復興支援プラットフォームづくりのミッションを託され、都市計画学会の本部からも支援いただき、その代わり主たるメンバーは東北支部から人選しました。僕がまだ東北大の助手だったころは、支部では月一で会合をもち様々な議論をしましたが、今は平常時に研究者の連携がそれほどありません。もしもう少し活発な活動をしていれば、災害時にどう動けばよいか議論できたはずです。そして大事なのは、計画の場合、これからが本番で支援を必要としていること。これだけの大災害後に5年、10年続く復興計画は、地域の方々にとって相当しんどいものになります。まずは地域や隣県の人が動き、支部では人材を膨らませ、学会が連携してバックアップする体制をたてないと長期戦には勝てません。
布野 宮城大学の竹内泰先生が発災直後から車を飛ばして被災地に赴き、ホームページにレポートをばんばんあげていきました。しくみやマニュアルはなくても、初動で本能的に諸先生が動かれたことは高く評価しています。
牧 ホームページの情報更新についてはこれまでどうだったのでしょうか。
腰原 これまでは、災害委員会の「災害Wiki」が、大災害が起こると、特設のホームページを作成し情報共有をしていました。今回は速報性が求められ、更新やサーバーの管理にも限界があったので、緊急手段としてブログ(投稿形式)を試行しました。やはり、個人名が出てトラブルは多少あったものの、災害委員会のネットワークの中にいる人だけでなく、計画系や歴史系の人、あるいは町の設計事務所の人からの投稿もあって、思わぬ情報が入りました。被災地の状況が見えないなか、人海戦術であげていくのは、一つの取り組みとしてよかったし、学会がこのような形でも協力できるのだと思いました。
中島 学会の体質について、ふだんから土木の連中と仕事をしている私からみると、彼らこそが「The 中央集権」なんですね。彼らは100年間もそうした形でやってきたわけだから、そこで蓄積されたノウハウは相当なもので、われわれが太刀打ちできるものではありません。それを考えると、われわれはあくまでも「草の根」で行くという立場を堅持しておくほうが、自らの存在理由がはっきりしてよいと思います。中央集権がもつ利点もわかりますが、国(行政)とは一線を画すという建築学会が長年保持してきたスタンスを当面は踏襲したほうがよさそうです。
●学会の体制――活動資金について
牧 学会として動くのであれば、活動資金を援助すべきという意見があり、今後は寄付金を原資にすることになりますか。
布野 学会で設置した調査・復興支援活動に対する募金への寄付が第一歩だと思いますが、寄付金総額が本年3月末で370万円では全然足りません。今後のために、災害基金のようなしくみも考えるべきではないでしょうか。ジャパンプラットフォーム傘下のシビックフォースが、今回日本にも臨機応変に対応しています。今後は学会が海外の災害にも支援し、タイアップできるような体制が必要です。それには派遣費用も含めて災害委員会としても対応を考えておく必要があると思います。
北原 北上の活動は学会以外にジャパンプラットフォームとも付き合い、かなりお金を集めています。また北上市役所と信頼関係を結び、連名で岩手県に支援申請し、去年は1000万円近くもらいました。これは北上での各学会の連携活動が保証となっていると思います。そういう意味でも学会は信用度があるのである種の機能を果たします。
中島 120年の歴史をもつ建築学会の人的資源と、東日本大震災後に展開してきた精力的な活動を根拠として、競争的資金を外から取ってくるという態度が大切です。研究・提言部会も会員有志たちが、たとえば緊急系の予算を獲得するために一次提言を利用してくれればありがたい、と考えています。もちろん寄付も大事ですが、会員からの浄財だけで東日本大震災を踏まえた活動のすべてを建築学会が展開できると考えるのはあまりにもナイーブです。
牧 構造系では、調査基金の積み立ては必要とお考えですか。
平石 構造系の災害調査はボランティアという面もあるが、研究材料の収集とその訓練の目的もあるので、学生の分も含めて、今まで手弁当が伝統でした。ただし、今後は政府をはじめとする行政との対応や他学会との調査協力などの関係から、大規模災害では学会本部による緊急的な調査が必須になると思います。そのための旅費等、基金の確保は図っておく必要があります。
腰原 構造系では、海外へ災害調査に行くときは、現地交通費の学会援助がある場合もありますが、基本的には個人としてボランティアで行き、その成果を学会でまとめています。構造系の調査は研究が絡むと言われるためで、それが弱いところでもあり、逆にそれでも、集まるという強みでもあります。
●学会が担うべき社会貢献とは
牧 次に学会の社会貢献について、平石先生いかがでしょうか。
平石 災害委員会としての活動で、一番重要なことは「正確な情報の収集と発信」です。このうち情報の収集については学会としての責務を十分果たしてきたと思っています。しかし、情報の発信については必ずしも十分ではなかったかもしれません。具体的に申しますと、関東大震災では木造住宅の倒壊・火災の発生により、阪神・淡路大震災では木造住宅の倒壊等で多くの人命が失われました。また、震度7地域では中高層のSRC造建築物の多くの建物で中間階が層崩壊、パンケーキ状になり、地震発生が昼間であれば多くの犠牲者が出たと容易に想定されました。われわれはこれらの被害について十分な資料をもちかつ今後の震災における被害の危険性と重大性を十分認識していますが、その被害の甚大さに相当する関心がマスコミをはじめとした社会に高まっていません。学会はこのようなことについて正確な情報を根気強く効果的に発信していくべきです。
腰原 僕もデータを網羅して残すことが重要だと思います。構造系でいうと、研究対象でもあるのでデータを出したがらない人もいますが、やはり社会貢献という意味でいえば、地震被害は国民の負の財産であり、これからどうするべきかという資源なのです。それをいかにオープンにするか。そしてここまで広域災害だった場合に、データを面的に統合するのは、ニュートラルな立場にある学会が本来やるべきことではないでしょうか。そのあたりは学会として、悪い言い方をすれば中央集権的に、データを吸い上げ、整理し発信することを、どこかのタイミングでやる余地があると思います。
牧 計画系についてはいかがですか。
北原 今回の復興の過程で、東北の主だったメンバーは自分の居住地以外で作業監理委員をし、一方で自分が関係する所にはボランティアで入り地域の人たちの相談にのっています。残念ながら、この活動と作業監理委員の仕事が各地域でバラバラなので、僕が作業管理委員をしている石巻市は、あらゆるグループが一緒の場で活動できるように、新しく「復興まちづくり会議」を発足させました。
先程の「正確な情報の収集と発信」でいえば、この3月から出ている復興の計画書は散々議論されて、いろいろなところから積み上げてきたものなのに、前後が全く表現されず、総合計画のような文書でほとんど役にたちません。計画というのは、プロセスで議論したことや表に出てこない苦労をアーカイブに残すことが大事。各自治体がどんなことで困っているのか。何を今、議論しているのか。これらを集めて発信することが僕らの発想です。
腰原 構造系の社会貢献の話に戻ると、被災記録をとるというのは、アカデミックなものですが、実務的なことはないのでしょうか。実際、被災度判定や応急危険度判定などの実務のサポートは建築家協会や事務所協会が行っています。むしろこちらのほうが、実費は入ります。それなら、学会は実務のサポートもしていますとアピールされたらいいのではないでしょうか。
平石 個人的には、行政からの協力依頼等がないかぎり、そのような判定は学会としては主体的にはやらないほうがいいと思っています。こうした行政的な措置には責任が伴い、また裁判などの訴訟問題も生じかねませんので学会としての対応は難しいと思います。
布野 実務の世界は制度的枠組みのなかで、私たちが議論しているのとは違う別のフレームで動いています。現場ではものすごい軋轢が生じてきているという地区もあります。だからこそ学会の出番です。実務ですとその範囲での対応しかできません。国、自治体、地域社会のギャップを埋める作業こそ学会がやれるのではないでしょうか。
北原 実務はアカデミックではない人たちと絡んでいくことで動いていきます。北上の活動が軌道にのっているのは、NPOの人材のお陰です。彼らの情報は大事です。たとえば、北上の菊池広人氏を中心にした活動は、自発的に役所の人たちを呼んできて勉強会を始めて動いています。学会が他の学会と繋がるだけではなく、地域の様々な人たちと繋がっていくことの必要性を今回、特に感じました。
中島 学会において社会貢献は絶対に必要です。ただし、学会内のそれぞれの組織やグループのミッションに照らし合わせて、社会のどこをターゲットにして貢献を果たすか、まずはその相方を決めておくことが大事です。国民の目に直接とまる活動だけを社会貢献と決めてしまうと、なかなかそうはいかないミッションも沢山あるはずです。構造系でいえば、ましてや構造委員会やその傘下の委員会の多くは先端研究に関わっているわけですから、そこでの活動成果を、国民の皆さまに直接わかる形でお届けできるとは考えにくいのです。ただ構造委員会には大学人だけではなく、特に最近は構造技術の実践に深く関与する人材(構造技術者)が少なからず参加していますので、それら人材とのコラボによる成果はやがて実践に反映され、そしてそれは社会貢献以外の何ものでもありません。なぜならそこから先が実際のもの造りに繋がるのですから。社会貢献のターゲットを明示したうえで、それに向けて一生懸命働くことこそが、わかりやすくかつ実効性の高い社会貢献であると考えます。
布野 和田会長から、復旧復興支援部会では社会へ向けて提言をするようにと聞いていて、今のところ、主題を仮設住宅と災害公営住宅にしぼり、発信の対象はそれに関わる設計者等の専門家、UR、被災地の自治体やコミュニティとするつもりです。たとえば、国土交通省の都市局管轄と住宅局管轄の仕事が、ばらばらに動いて全然クロスしていません。また国で枠組みもお金も用意があるのに、首長が全責任を持っているのでうまく繋がらないとか。当然、プロといったなかには、自治体の首長も入ります。そのような状況に向けて提言します。一番危惧するのは戦後復興でつくった団地のようなものをまた建ててもいいのかという問題意識です。どんなメッセージにするか、仮設については、牧さんとも相談しながら何らかのシャープな提言をしたいと思っています。じつは、見なし住宅も含めて、仮設か本設かということは全部連続した話で、復興までのプロセス全体をどうマネジメントするか考える必要があります。
青井 復興の政策やスキームについて今まで学会は公式には発信していないので、重要な提言になると思います。
●問われるのは日常のまちづくりのビジョン
牧 震災の復旧復興はこれからが本番ですし、来るべき大災害もあります。それぞれのお立場から、今後学会の取り組むべき課題についてお話しください。
中島 研究・提言部会は来春までに二次提言案を出すこととし、そこで非常時の体制の一つとして組織された研究・提言部会は解散する予定です。その後は常置委員会が中心となって、より広くて深い調査研究を息長く続けることになります。今回の災害では、多くの新しい調査研究課題が浮かびあがりました。施工関係では、放射能に汚染された建築材料の処理、構造関係では、震度5強以下の揺れにもかかわらず地震直後に首都圏で起きた様々な不都合などです。早晩やってくることが必至とされる南海トラフの巨大地震や、大都市圏を襲う直下地震に対して、今回のような被害が繰り返されないための調査研究は、まさに焦眉の課題です。
平石 災害委員会では、東日本大震災後のトルコの地震、筑波の突風などの災害調査の経験も踏まえて、現在、調査活動指針やガイドラインの見直しを検討しています。しかし、たとえば震度7の首都直下型の地震がきたら、どのような状況になるか容易には想定できません。とはいえ、初動調査は最初の短期間が勝負ですので、できうる限り考えられる状況を想定し、また未知の事態に遭遇する可能性も考慮して、それらの状況にどう対応すべきか、十分に準備しておきたいと思います。
腰原 実際には東日本大震災の前後も多くの災害調査をしてきましたが、今までは構造系だけでの活動でしかありませんでした。今後は学会内外に向けて、調査内容や学会で準備しておくべきことを定常的に発信していきたい。結果的には災害が起きたときに、場当たり的な対応にならざるをえないかもしれないが、予備知識をもっているかどうかで、その後の対策に大きな影響を与えると思います。
阪神の震災以後に災害委員会で作った活動指針が今回、はじめて機能しました。1995年、僕はまだ学生だったので調査をしていません。実は構造グループでも、継続的に組織だった訓練がされていないと、やはり不慣れなことは多い。17年前に神戸で体験した人たちがリーダーシップをとって、次の世代を引き連れて調査を続けているしくみ、この人材育成の持続性は大切です。
布野 学会としては、大体、私のできる範囲で復旧復興支援部会の仕込みは終わったかと思っています。そして、わが支援部会は北原委員会のまちづくり支援建築会議にバトンタッチすることに理事会レベルで決まっています。個人的には、来るべき大災害というセンスはあまりありません。要するに、大災害で問われるのは日常の構造ですので、今の地域のまちづくりの問題として、学会としてもそのしくみを構築できるようなお手伝いをしなければいけないと思います。実態として今、仙台の一人勝ちのバブリーな状況が起こっています。一方、福島県の3割の土地が除染不可能だったり、被災地の子供たちが育つ環境の5000万円以下位の公園などが入札不調です。じつに日本の社会が原発の問題も絡んで相当動きます。今後、建設産業構造の景況を含め、日常の問題としてきちんとウオッチングしていかなくてはならない。
北原 後方支援活動のミッションは4つで、①様々な計画の情報を議論の過程を含め正確に集めて迅速に発信する。②きたかみ震災復興ステーションが5年、10年のスパンで継続できるしくみをお金も含め考えておく。③福島との連携も踏まえ、原発事故により長期避難、居住制限に至った人たちのまちづくりをどう支援するのか考えたい。④いわゆる復興から日常へという話では、住まいまちづくり支援建築会議で、復興支援部会の先生方、住まい側の人たちと議論しながらそのしくみを早急につくることです。
それとは別の文脈で、20世紀後半の都市計画の場面で置いてきてしまった課題があります。たとえば、地域がどんどん衰退化し、てこ入れしたいと思う産業が停滞しています。しかし、その産業構造を変えられずに積み残し、決断をしぶってきたところが、今回、いきなり被害にあい、問題が顕著になりました。だから復興計画で「うちのまちはどうやって食べていくか」を考えるときに、ビジョンがもてません。学会の都市計画の研究者の立場で、第一次産業との関係性も含めて平時のまちづくりの考え方をきちんと言っておくことが大事だと思いました。

































































































