『建築雑誌』編集長日誌 布野修司
2003年3月
慌ただしい年度末?
イラク戦争開戦
2003年3月1日
「渡辺豊和先生の京都市文化功労賞受賞祝賀会 京都からの発信 建築のフラクタル」、京都市国際文化会館において盛大に開催。久々の懐かしい顔に沢山会う。日頃サボっている「京町家再生研究会」の先生方にはひたすらあやまる。広原盛明先生以下京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)の先生方も大勢参加して下さった。そして、東京から名編集長平良敬一先生、わざわざいらっしゃる。『群居』の仲間からは松村秀一先生が日帰り参加。日刊建設工業新聞の神子さんも取材にかけつけられた。なんと、駄目だと聞いていた安藤忠雄大先生現れる。この三月で東京大学定年だとか。この人の義理がたさはかわらない。会は最初から盛り上がった。明日ニューヨークということで、18:30の開宴前に挨拶を頂く。スピーチも実に卒がなくなった。司会を務めさせて頂いたのだが、大勢の人にスピーチを頂いた。気持ちのいい、すばらしい祝賀会だったと思う。渡辺豊和先生上機嫌。賞は、人を勇気づけます。二次会はIWAKI。
6月号の座談会「建築の新しさはどこから生まれるか」(仮)の草稿が上がってくる。これから出席者の手が入るが、ちょっと内容が難しいか?
2003年3月3日
第21回編集委員会。上京の友は、前川健一『旅行記でめぐる世界』(文藝春秋)、串田久治『儒教の知恵』(中公新書)、浅野和生『イスタンブールの大聖堂』(中公新書)、小林英夫『産業空洞化の克服 産業転換期の日本とアジア』(中公新書)。前川さんとは一度だけお会いしたことがある。タイを始めとする東南アジアを随分歩かれている。この本によって戦後日本がどのように世界を歩いてきたが解る。いずれもパラパラと頁をめくるけれど頭に入らない。
会議の概要は以下の通り。
8月号「日常環境の建築環境学」の最終決定、9月号「建築年報」、10月号「高齢社会のデザイン」、11月号「21世紀の初頭、構造技術に期待する」、12月号「建築学の行方」の議論が中心であ世る。
まずは進行状況の確認。どうせ重なるから、議事録の確認はいつも省略である。
6月号「建築の新しさはどこから生まれるか」については、特集タイトルをもう少し魅力的にできないかと思って、そう発言。7月号「建築形態の数理」については、もうOKである。ただ、鼎談の原先生に連絡が取れない。8月号「日常環境の心理と行動-実験室からフィールドへ」(小特集)については、ほぼ固まっており、若干の修正案を了承。
9月号「建築年報2003」について、執筆者を確認。1)視 点 五十嵐太郎、2)デザイン界総括座談会 安藤忠雄氏、伊東豊雄氏、ほか、まだ迷う。
10月号「高齢社会のデザイン」については、随分作業をして頂く案になった。取材編を「取材」2頁+「寄稿」2頁で構成し、1頁を上下半々で分ける誌面構成案が松山さんから提案された。
さて問題は11月号構造特集である。「社会ニーズに応える構造技術」(八坂)案について議論したが、本人の欠席もあってまとまらない。皆勝手に意見を言って大崎感じを中心にまとめて頂くことにする。ただ、構造学の「憂い」か「夢」かという議論は面白かった。
困るのが12月号「建築学の行方」(仮)。何となく編集委員長がとりまとめることになっているけれど、松山さんにSOS。「各大学では教育的な実験がいろいろあるのでは。それに対する反応を含めて、取り上げられないか。いま建築を学ぶ学生に何を教えたらいいのか、どんな希望を持たせるかが見える特集になると良い」というのだが企画まで至らず。
懇親会の場に、他の委員会に出席であった神戸大学の重村力先生登場。「一緒に帰ろう」とおっしゃるので京都までご一緒する。重村先生は前編集委員であるが、最近の『建築雑誌』をほめて頂いた。お世辞かもしれない。
2003年3月5日
三重県に呼ばれて津へ。「タウンアーキテクトの役割と可能性」と題して講演。京都CDLの取り組みなど紹介する。
同じく講演者であった静岡の木村精治さんに「地域の眼」の執筆を依頼する。静岡の担当者が決まっていなかったのが頭にあったのである。なんと、小生の講演が終わると、福和先生の「ぶるる」の実演。なるほどうまくできている。口上もちゃんとついていて面白い。
改革派知事のお膝元ということであろうか、以下のように活発な取り組みがなされているのに感心する。
2003年3月6日
早速、木村さんにメール。
木村 精治 様
前略
昨日は、途中退席して、失礼しました。
口頭でお願いした件ですが、日本建築学会の建築雑誌に寄稿願えないでしょうか?
建築士会の地域貢献ということで結構ですが、落下物調査など防災関連の事例があれば集中的にとりあげて紹介いただければありがたいのですが・・・・・・・
そして、福和先生にも報告。
「昨日は、福和先生の「ぶるる」の実演見ました。」
2003年3月7日
福和先生から返事。
福和です
「あらあら、「ぶるる」を見られてしまいましたか。
ちゃんとうまく動かしていたでしょうか? あれは、バナナの叩き売り風の 言葉がついていないと面白くないのですが。」
布野
「シナリオがあってだじゃれ?もありましたが、福和先生に及ばず、どじってばかりで、それでも爆笑をさそっていました。」
福和
「それはなかなかの話術の持ち主ですね。来週の火曜に三重の建築の方々向けにお話をする機会があり、元祖の私も「ぶるる」を操作しますので、負けないように頑張ってきます。」
2003年3月9日
「地域の眼」でトラブル発生。このコラム欄、可能な限り、地域の生の情報を!書いて頂く、ということで、オリジナルの写真を重視し、また原稿にも注文をつけさせて頂いてきた。そして、さらに手を加えて頂いたり、場合によって書き直して頂くこともやってきた。数人の担当が眼を通した上での注文である。
注文をつけて書き直して頂いたのであるが、前の原稿とそう変わっていない。そこでさらにお願いしたのであるが、「来週は、すべて埋まっており,対応できません。原稿をボツにしてください」という返事である。「来週中で結構ですので、よろしく御対応いただきますようお願いいたします。」とすぐ応答したけれど埒があかない。
原稿に注文をつけられるのは愉快なものではない。小生も何度も経験している。特に一般紙や単行本の場合、今でも度々ある。文章修行と思って書き直すのであるが、このケース、とりなしようがない。
再度やりとりしたけれど断念。はじめてのケースである。
2003年3月18日
東洋大学時代の教え子、遠藤弘貴君からメール。
布野さん、ご無沙汰しております。遠藤です。
3月1日より2週間にわたり、台灣・南投縣信義郷潭南村 Laidazuan 部落(布農族)にて行われている「2003 協力造屋國際合作工作營」(http://www.atelier-3.com/)に参加してきました。バックアップは日月潭ほとりでの伊達邵部落の住宅群を設計した謝英俊事務所および第三工作室(Atelier3)が行っています。
今回総数で5件の木造住宅を建てていますが、うち一つをチェルノブイリ事故の後の難民にセルフビルドによる住宅建設を指導したドイツ人が担当し、結局、私は彼の手元をしていました。すべて「手挽き」鋸とノミでの材の加工は、材料の悪さもあり閉口したこともありましたが、日本では面倒臭くて参加しないだろうと確信できることもあり、私自身にとって意味はありました。
今回びっくりしたのは、生木(間伐材)を切り出して製材・おおよそ軽く機械乾燥させてそのまま使用していたことでしょうか。(上記ページから「工作紀實」を辿ると写真があります)ものによってはずぶずぶの生木(重い!)のままでした。こんな材料ではやはり木造住宅は台湾では成り立たないだろうな、というのが個人的な感想でした。地域住民を含めた台灣人の木造住宅に対する興味はかなり高いだけにかなり残念な気持ちです。
"TaiwanNews"
(第71期・3/6~3/19)に記事が出ています。また、3月1日以降の新聞にいくつか記事が出たようです(未確認)。第三国人は私一人だったので、まわりは大変だったと思いますが、私自身はさっさと個別に関係を作れたので、ミーティング(北京語とドイツ語)を除いて不都合はありませんでした。参加者の9割は英語を話せましたし(層がわかりますね)。
こうした活動に「日本人」として参加することにあまり気を使ったことは無かったのですが、今回は色々と考えさせられました。地域住民からの途切れない住宅の耐震診断依頼および相談や日本語教室開設依頼などなど... たった2週間の滞在でしたがずいぶんと小さな村が動いてしまいました。ただしそれに対してこちら側の覚悟が無かったので結局「また来ます」という曖昧な返答で応えることしかできませんでした。
まだ4週のうち2週を残しており流動的ですが、将来的にはもう少し拡大した形で「木造によるセルフビルド住宅ワークキャンプ」をと言う話も出ています。その時は布野さんの力を借りる必要があると思っています。取り急ぎ報告まで。
やれることがあればやります、と返事。
2003年3月10日
山本理顕+山本理顕設計工場、『つくりながら考える/使いながらつくる』、TOTO出版が送られてくる。さっと読める。
松山さんから『建築批評』(西田書店、2003年3月3日刊)が送られてくる。東京芸術大学美術学部建築学科大学院で松山さんが行った講義「特論第6・建築計画Ⅱ」の成果である。石橋伸介君以下宮沢宏平君まで11名の最終論文が収まっている。A6サイズと出版としてはユニーク。ISBN4-88866-365-3と出版コードもある。
12月号特集のイメージはこういうことか、と直感的に思う。ただ、丹念に読んで書評する時間がない。しかし、これは義務として、次回編集委員会までには読まないといけないし、ここでも近いうちに必ずや紹介したい。大崎、石田幹事にも読んで欲しいと送られてきたので、即、届けた。
神戸大学の梅宮弘光先生から送って頂いた『モダニズム/ナショナリズム』(せりか書房、2003年2月)も気になっている。論文「透明な機能主義と反美学 川喜多煉七郎の一九三〇年代」についてもコメントしたいと思うけれどじっくり読む時間がとれない。いずれ眼を通して、ここでも紹介したい。
新居委員から、科学技術社会論学会誌に寄稿したという原稿送付。吉野川第十堰の活動については頭が下がる。
科学技術社会論学会誌「科学技術社会論研究」寄稿 2003年3月10日
科学技術への市民参加/市民科学の活動について
吉野川第十堰・脱可動堰の住民案づくり運動
吉野川みんなの会 新居照和
長良川の河口堰、諫早湾の干拓事業、川辺川ダム、吉野川第十堰可動堰改築計画、長野県脱ダム宣言など、公共事業のあり方が各地で厳しく問われてきた。合目的性が欠如する内容や財政・経済構造の行き詰まりがさらけ出されてきただけではない。不透明・非民主主義的な事業決定システム、専門家の社会的責任や独立性、計画や技術の思想が問われている。
吉野川においても、自然の営みに計り知れない影響を与えてしまうと、日々の暮らしにとどまらず、人の生存まで脅かしてしまう。自らの地域は自らが守らなければという住民の危機感が状況を突き動かしてきたと言えるだろう。事業計画への疑義が生じたとき、国や県からの説明、事業者が担う審議委員会等で説明される科学は、事業を成立させるための道具としか住民には映らなかった。公聴会の開催が実現しても、住民からの意見は「聞き置くだけ」ということに終始していた。政・官・業、そして学の見えない強いつながりを否応なく感じさせられた住民は少なくないだろう。
吉野川第十堰住民投票
四国三郎の異名をもつ吉野川。この大河に250年間立派に機能(分流と塩止め)し、地元で敬い親しまれてきた第十堰(だいじゅうのせき)と呼ばれる洗い堰がある。(写真1)この堰を取り壊し長良川河口堰より大きい巨大可動堰を建設する国土交通省(旧建設省)の計画が出された。住民は計画内容の公開を求め続けた。150年に1回の大洪水が起きると、この堰上流4キロの区間で堤防の計画高水位(安全水位ライン)より最大で42cm上回ること、堰の老朽化、斜め堰であるため異常深掘れを起こし堤防の安全性を脅かすということが理由である。この計画に対し、種々の見学会、シンポジウム、地域集会所など、様々な場で住民が学びあう中で関心は拡がり、多くの必要性の疑問が出され、計画の杜撰さが指摘されてきた。(参考:建設省の水位計算に対する見解及び指摘に関する見解/1998年5月吉野川シンポジウム、第十堰老朽化問題に対する見解/1998年5月吉野川シンポジウム)(参考資料1:「信じていいの?」/吉野川シンポジウム発行)
吉野川第十堰の運動は可動堰反対運動ではなかった。様々な住民が計画内容を問いかけ、学びあい、吉野川のことと将来の地域の暮らしを真剣に考え、行動することから始まった。反対運動になると、本来の課題から離れてしまう恐れがあるからである。活動を組織に頼ることやつくるのではなく、あくまでも様々な自発的な住民・市民の個人が担い、関心と共感の環が拡がることであった。市民の科学へと向かうための大切な姿勢であるともいえよう。
2000年1月、徳島市で住民投票が様々な住民の勇気と連帯によって実現し、可動堰計画推進に対して、圧倒的多数の反対の意志が示された。可動堰によって大洪水から住民の命と財産を守るという国の大義が否定された。国土交通省は新たな可動堰を選択肢に入れた白紙と言う表現に変えたが、住民が求める治水計画の根本的な見直しは示していない。
可動堰NOから第十堰YESへ
第十堰は、1250mの上堰と550mの下堰からなる弓状二段になった洗い堰である。蛇行する川の瀬の位置に瀬のように、川幅いっぱい斜に築かれている。吉野川の様々な変化に250年間対応しつつ出来上がった形態である。長い年月をかけて信頼度が高められたもので、さらにしっかりと持続していく構造だと住民・市民は考えるようになる。上堰では、先人が松杭と蛇籠を基礎に地場の青石で築き上げてきた美しい石組みを見ることができる。限られた人力と身近な自然素材に頼らざるを得なかったからこそ、川と共に暮らす中でとことん川の動きや洪水の力を読み込み、自然の力を生かし、長い時間をかけて住民の知恵と汗で築かれてきた。水量が多い時は堰をこえ、少ない時でも堰を適度に漏水(透過)して下流に湧き出て、真水と塩水が絶妙に混じりあう。伏流水や地下水の自由な流れを遮らなく、堰は川底の一部となる。堰周辺は常に猛禽類が生息できる多様な環境を維持している。魚貝類など自然の豊かな幸に鳥ばかりか人も容易にありつける。春の節句の座や渇水期の補修、魚取りや水泳など四季折々の多様な生活のかかわりと楽しみを与えてきた。誰もが自然の大きさを感じ、地元の人は心のふるさとを実感する場所になる。
しなやかに洪水の勢いを剥ぎ、自然の営みを壊さず、その恵みを得、持続できていく技術は、第十堰だけに限らない。吉野川は今なお両岸に270haに及ぶ竹林の水害防備林が残る。規模は日本最大だと言われる。川の中には、東西6キロ、南北1.2キロの竹林に囲まれた広大な畑が拡がる遊水地、善入寺島がある。洪水の勢いをゆるやかな流れに変え、上流から運ばれる栄養分を田畑に運び、豊かな緑をつくる知恵の技術だ。緑や生物が豊かに棲息できる場所は、浄化能力も高い。川岸には、その侵食を防ぐために流心に向かって突き出た空石積みの水制がいたる所にある。そこは魚たちの休息場であり、鳥や昆虫たちが集まる場となる。
こうした見解は、近代的な便利な生活を確保してくれた一方で、人の都合のよいように巨大な力で自然の変動を押さえ込む近代技術の限界性を露呈させる。多くの住民が長良川河口堰を訪れ、官側の科学的につくろった説明とは裏腹に、現実の悲惨な川の変貌を目にする。日常の風景、生活の移り変わりからくる疑問が一層確信したものになっていった。自然の物質循環を遮断し、生態系を破壊してしまったこと。大規模施設では維持管理が高度・高額になり、専門技術者しか管理できない。基本的に人を川に寄せつけないものにする。地域の技術体系と、それを担う人々の存在を消滅させたこと。洪水はあふれないことを前提としており、あふれることに対する対策がないまま開発が進み、被害ポテンシャルが高まる。(参考:大熊孝「人と自然の関係を豊かにする第十堰を求めて」)
流域へと意識の拡がり
住民・市民の間での論議は単に大洪水時の災害、水質などの環境に与える影響と可動堰建設の是非に留まらなかった。本来川は地域にとってどういう存在であるか意識し始めた。海から山へ、山から海へと、水を介して様々な物質が運ばれ、生命が巡り育まれている。吉野川は、物質循環の大動脈であり、その恵みは地域の自然と密接な関係を築きながらもたらされ、多彩な暮らしや文化が生まれたことが浮かび上がった。自らの暮らしと吉野川流域を見つめ、第十堰を再評価し、第十堰と吉野川流域の実現させるべき将来像をつくる作業が、市民の手で始めた。
時代を変える提案
吉野川の第十堰を可動堰に改築する計画は、白紙になったものの国交省は「それでも必要だ」と言ったきり黙ったままの状態が続く。可動堰化完全中止を公約した大田正新知事は国交省に対して消極姿勢になり、公約が棚上げになっている。従来の圧倒的な議会野党勢力に、様々な公約や施策が反故にされ、知事の姿勢はぶれている。多くの県民には失望感でとどまらず、もっと深い地殻変動が求められているように、今映っているのではないだろうか。
一方で国交省内においても、淀川水系5ダム計画見直しのようにダム建設の是非のせめぎあいが起きている。地域住民から変革のための説得力のある根拠や新しい価値観に基づく具体的提案が準備しているかどうか、試される時代を迎えているともいえる。
吉野川みんなの会
9割が可動堰反対という住民投票結果を実現させようとNPO法人「吉野川みんなの会」が生まれた。マスコミ報道も減り、吉野川の情報が伝わりにくくなっているが、脱可動堰の住民案をつくり、川と人の豊かな関係を取り戻そうとする役割を、市民一人一人の支えによって担おうとする。会は三つの活動を柱にもつ。
一つは住民案の根幹となる「緑のダム」と「第十堰保全の千年技術」の研究である。異分野13名の学者で構成する吉野川流域ビジョン21委員会と連携する。市民による計画作りの一環として、その趣旨に賛同し様々な専門学者が集まった会である。研究費3000万円は市民の寄付によって賄われる。縦割り行政の弊害などによって不当になされなかった森林の洪水防御機能を科学的に検証する作業を支える。降雨が土壌へ浸透するスピードは、自然林が荒れた人工林の2.5倍も早いという緑のダム中間報告書が、昨年9月にビジョン21委員会から出された。緑のダムの効果を生かし、洪水流量を減らすことを科学的に立証し、森を豊かにする。
これまでのダムや堤防のみに頼ってきた河道主義治水から、本来の川を取り戻し、より安全を高める流域主義の総合治水に転換するための不可欠のテーマである。川辺川ダム問題や長野の脱ダム宣言の熾烈な論争に対して、有力な科学的根拠を提供することにもなるだろう。さらに多くの様々な専門家に支援されることを期待している。
二つ目は、将来を担う子供達への吉野川の環境教育活動である。未来の川の守り手となる子供達が、本ものの川とつきあう知恵と感動を知らなければいい川になりえないと、毎月1回水辺の学校が催されている。小学4年生から6年生を対象にした連続講座で、先生は川と強い関りをもった様々な地元住民である。将来的には小中学校と連携した「総合学習」の場へと拡がることを目指している。
三つ目は、吉野川を通した交流活動である。吉野川と第十堰のガイドを行ったり、流域間交流を働きかけている。地域の川を守ることが、豊かな流域をつくるという共通認識が拡がることを願っている。日本の河川行政が直面している流域で考える治水へと転換する課題に大きな応援になるはずである。
千年技術の第十堰
昨年12月8日、みんなの会とビジョン21委員会主催で、「21世紀の河川技術はどうあるべきか」をテーマにして、第十堰生誕250周年記念講演&シンポが催されたことを紹介する。短い広報期間であったにもかかわらず、東京や大阪など県外からも多くの参加者が駆けつけ、会場は150人の熱気でいっぱいとなった。第十堰保全の技術的裏づけを打ち出すために、近自然工法第一人者の福留脩文氏の講演で始まった。人間が傷めた自然の活力を取り戻すために、ヨーロッパの近自然工法と日本の伝統工法を大切な思想として捉え、現代の文脈に生かし、様々な場所に応じた各地の実践例が紹介された。「柔能く、剛を制す」「水は水をもって制す」「相討ちのこと、勝たず負けず」とことわざを引用し、水の法則や石の動きを説明しながら、自然のメカニズムの深い洞察に基づいた技法が案内された。続いて大熊孝氏、坂本紘二氏、今本博健氏という各分野第一線の研究者が、シンポに加わり、充実した議論を展開した。
住民の案内で昔のままの青石が残っている上堰に訪れとても感動された今本氏は、現在の河川計画は100年経っても実現できそうもなく、行き詰まっている。これからは環境の中に治水と利水があることが前提でなければならないと主張された。大熊氏は、第十堰の素材や構造に、形態と河道の関係性に、地域住民と豊かな関係性をつくってきたことに、千年技術の知恵を見出す。日本の近代土木技術の歩みを総括しながら、これからの河川技術は洪水があふれないことを前提にするのは不可能、むしろ住民の意識と共に被害を抑える手立てをしていくことが重要であると語った。坂本氏は、第十堰は人間と自然の応答作用で出来上がってきたプロセスの宝物で、いろいろな経験が蓄積されている。人は吉野川とどんなに関ってきたのだろうか、私たちはどれくらい読み取っているのだろうかという問いかけが印象深く残った。
そして、今回も異なった背景や立場をもつ専門家が参加された。その意義は大きく心強い。
行政に依存するのではなく、地域個々の自立した住民と専門家が連携して行政の方向性をつくり出そうとする。ここに、日本を蔓延する閉塞感を打開する可能性があるのではないだろうか。
市民の科学とは
以上、吉野川第十堰の運動を概観すると、市民の科学とは何かは経緯の様々な場面で語っている。市民にとっての科学は、生活の危機感と必要から生まれるともいえる。暮らしや住民とのかかわりに根ざし、地域で生きることと一体である。とてもリアルなものから出発して、普遍的な真理の獲得をめざすベクトルへと向かうものだと考える。そのエネルギーと明快さに多くの住民の信頼と共感が寄せられると思う。問題解決への様々な市民との輪をつなげて行く力にもなる。さらに民主主義や地域を豊かにすることにつながっていくだろう。
第十堰にかかわる運動は、多くの様々な住民・市民が参加し、支えあっている。多彩な人々の個人が主役となり、様々な個性や専門性が発揮され、しかも緩やかなつながりをもっていると言えよう。一方で、姫野雅義氏の存在を抜きにしては語れない。市民科学の活動の困難さについては、穏やかな姫野氏の人柄から一見感じさせないが、運動の足跡をたどればあらゆる大きな壁に面してきたことは容易に想像できる。資金、労力、行政から情報を得ること、決して容易でない情報公開の壁、人間関係、個人の生活の犠牲等、多岐にわたる。特に暮らしを脅かされる矛盾に面し問題を解こうとしていくと、弱者の側とは相対する生々しい利権・利害と絡む社会と直面せざるをえない場合が多くなるはずだ。場合によっては命をかけることを自覚させられることになる。市民の科学が社会の中で信頼され、力をもつということは、そういうことであるかもしれない。主題への信念や社会性、未来への視座をもった歴史性が問われると同時に、冷静な科学的アプローチを担保することが必要な基本的姿勢であるように思う。現実を直視すると、市民科学の課題はあちこちにあるはずだ。自戒を込めて言うなら、専門家は閉じた世界に安住するのではなく、現実の中で闘わなければならない。自立でき、勇気をだせる専門家の存在と、そうした能力を支えあうことができる社会の第三の力が求められている。(吉野川みんなの会HP:http//www.daiju.ne.jp)
2003年3月11日
塚本委員から珍しくメール。
> 3/3編集委員会で、「6月号特集タイトルにもう少しインパクトがほしい」という指示が布野委員長から出されました。
座談会のほうは「建築の新しさはどこから生まれるか」で宜しいと思いますが、 特集タイトルについて、可能であれば今一度再考頂けませんでしょうか?よろしくお願いします。建築学会 小野寺
> 追伸;勝山さんの執筆原稿も、魅力的なタイトルを期待しております。
への返事である。
塚本です。
建築に新しさはあるのか? 建築の新しさの現在 建築の新しさの変容 建築の新しさ再考
とりあえず。
八坂委員と京都で、11月号構造特集について打合せ。その後、半分庵そしてIWAKI。
2003年3月12日
理事会。アジアの建築交流委員会の件で竹下先生に会いたかったのであるが欠席で残念。
学会の真木さんからメール。中国民族建築研究会からシンポジウムの案内である
The Asian Symposium on Conservation and Development of National Architecture
The First Announcement and Call for Papers
The Asian Symposium on Conservation and
Development of National Architecture is an international symposium, especially
for Asian countries, to be held on July 28, 2003. The aim of the symposium is to exchange
experience on how to improve the architectural culture and explore the issues
on conservation and development of national architecture in Asia. Asia’s unique
architectural culture is a world treasure.
The challenges of modern society include large-scale construction and globalization.
We are committed to enhancing the conservation and development of national
architecture via improvements to science and technology. The National Architecture Institute of China
welcomes planners, architects, professors, engineers, landscapers, researchers
and managers in conservation and management in national ancient architecture in
Asia and other parts of the world to attend this important symposium.
Organizer : National Architecture Institute of China
Sponsors :
United Nations Development Program
The Architectural Society of China
The Southwest Architecture Design Institute
Chongqing University
Supported by: The Ministry of Construction
of PRC
The State Nationalities Affairs Commission
of PRC
Time & Contents :
The Symposium Program: July 28 - August 4
The Symposium will take place in Chengdu
and Kangding County of Ganzi Tibetan Autonomous Region in the Southwest of
China.
1.Invited paper presentations as key speakers
from UNDP or presentations in sessions.
2. Issue of the first, second and third
awards for outstanding papers on national architecture in 2003.
3. Exhibition of engineering products and
technology.
4. Discussion on conservation and
development of vernacular dwellings in the Ganzi Tibetan Autonomous Region
.
5. Professional visit to vernacular
dwellings, temples and bridges in Ganzi Tibetan Autonomous Region.
Invitation and call for papers:
You are
cordially invited to present papers and participate in the Asian Symposium on Conservation
and Development of National Architecture. It has been designed to be widely
inclusive, open to all those with an interest in conservation and development
of Asian national architecture. It will encourage global networking especially
in the Asia region. Please look for details of abstract and paper submission
and publication on the website (www..naic.org.cn).
Main
Theme: Conservation, utilization and sustainable development of national
ancient architecture including vernacular dwellings.
Theme
1. The laws and regulations of conservation
of national architecture.
-Advanced management measures and methods
of ancient national architecture.
2. The artistic styles and features of
Asian ancient national architecture.
-The cultural and economic value of
national architecture in modern society.
-The relationship between inheritance of
Asian ancient architecture and learning from Western architecture.
3. The relationship between conservation of
Asian ancient architecture and the development of large-scale modern buildings.
-The improvement of residential living
quality and the conservation of ancient architecture.
-The conservation of ancient architecture
and the development of tourist attraction.
4.
The research and application into technology, technique, and materials used in
building and renovation of traditional dwellings.
-How to create modern residential areas and
historic sites with both ecologically friendly environments and traditional
national features.
Hotel Reservation: If you need a hotel
reservation, please contact the Secretariat of the National Architecture
Institute of China.
Registration : Please fill in the
Registration Form and send by mail, facsimile or email to the Secretariat of
the National Architecture Institute of China.
Registration fee
* 200
US dollars (may vary with exchange rates) for each participant including
reception and banquet for 2 days of symposium and one copy of proceedings.
* 300
US dollars for each participant for 6 days including presentation and
discussion of symposium, the architectural tour on vernacular dwellings,
temples and bridges in Ganzi Tibetan Autonomous Region, banquet and one copy of
proceedings. You can pay the registration fee on your arrival in Chengdu (it is
suggested that you pay the fees in cash on arrival).
The official languages for the paper and
presentation are Chinese and English. The length of the paper is recommended to
be about 4 pages of A4 size. Figures and
tables can be part of the paper body, or placed in appendices.
The deadline for submission of papers is
June 10, 2003, please send your paper in one printed copy with a disk or email
your paper to the symposium secretariat or by airmail or EMS.
All papers will be reviewed and selected by
the National Architecture Institute of China. The selected papers will be awarded
or published during the proceedings and part of the selected papers will be
presented at the symposium. The authors will be informed before June 20, 2003.
Typing introduction: The manuscript should
be arranged as follows:
(1) Title of the Paper
(2) Name of the Author
(3) Affiliation of the Author
(4) Abstract of the Paper, maximum 300
words in English and Chinese if possible.
(5) Main Text including Figures and
Tables
(6) References
Please use plain white A4 paper and leave a
25mm margin at top and bottom, leave a 20mm margin on the left and right sides;
the full type area is 170mmX245. All measurements should use the metric system.
General Enquiries: We shall have the
announcement further for the details. For information on registration,
submission of papers or the symposium program, please contact Mrs. Ji Xuming,
the Secretariat of the National Architecture Institute of China. Please return
the registration form before April 28 and the deadline is June 20.
Email: xuminginst@163.com
http: www.naic.org.cn
Tel:010-88384626 Fax:010-88386610
Add: 100044 National Architecture Institute
of China, 8th floor, No.54 Beilishi Road, Xicheng District, Beijing
China
Registration
Form |
The Asian Symposium on Conservation and
Development of National Architecture July 28-August 4,2003
Sichuan,China |
|
Full Name: |
Title: |
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Organization: |
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Address: |
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Tel: |
Fax: |
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E-mail: |
Passport No: |
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Hotel
Reservation: Single
Double |
||
I wish to obtain my visa at Chinese Embassy/Consulate in the City of
( ), in the country of ( ) |
||
Please fill in this form and return it by
fax to : 86-010-88386610 |
Please
return the form before April 28. Please
also pass it to the related.
2003年3月13日
地域の眼、代役みつかる。ほっとする。
ライデン大学国際アジア研究所へ送った原稿の受領メール。おそらく注文がついて手を入れることになる。タイトルは、Mega-urbanization in
Asia IIAS Newsletter :The
2003 Problem of Tokyo。
Dear Dr Shuji Funo,
Kind thanks for sending your article on Tokyo and accompanying photo. Please note that this message merely confirms
receipt of your contribution. Petyer Nas and myself will discuss your article and Peter may then contact
you with some questions
and/or comments regarding your contribution.
Warm regards,
Maurice Sistermans
IIAS Newsletter
2003年3月14日
昨日、中国取材の相談に研究室に見えた日経アーキテクチャーの畠中さんからメール。ジャーナリストはやることが早い。
布野修司様
昨日は弊誌の取材に貴重なお時間を割いてくださいましてありがとうございました。
中国の現地取材の希望をとりまとめてお知らせします。ご協力いただけると幸いです。
北京で希望する取材先と取材内容
・伊東豊雄建築設計事務所OBの松原氏(中国での仕事ぶり,中国に渡った理由)
・大成建設OB(中国での仕事ぶり,中国に渡った理由)
・清華大学の王路教授(中国建築界の最新事情,清華大学の設計院,建築専門誌について)
・孫躍新氏(中国建築界の最新事情)
・鄧蛮氏(中国建築界の最新事情)
北京での取材期間
・3月31日~4月5日(できれば3月31日~4月2日に取材させていただきたい)
担当者
・畠中克弘 ・宮沢洋
以上,お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします。
補足すべきことがあればいつでも声をかけてください。
中国へメール二本。孫躍新、鄧蛮君即OKの返事。建築雑誌も日中韓をまたにかけた取材ができるといい。
2003年3月15日
共同通信の井出さんに頼まれた、というより頼み込んだ連載原稿一気に送る。800字+写真一枚×15回である。シリーズタイトルは「都市再生のゆくえ」(仮)である。都市再生のかけ声が気になっている。世界の様々な事例を一気に書いた。
2003年3月17日
以前この欄でも紹介した左官修行の建築家森田一弥君からメール。
お元気でいらっしゃいますか。
SSFの時にちらっとお話しした、全国の左官屋が集まって「大津磨き」の壁に挑戦する講習会(交流会)のようなものが今年の秋に滋賀県で予定されています。これは近年良くテレビで取り上げられている、大工さんの腕試しの大会「削ろう会」に匹敵する左官会のイベントだといえるものですが、特に一般に公開するわけでもない、本当に左官好きの職人が集まる会です。
大工さんの「削ろう会」は単に薄く削れた度合いを競う大会ですが、この「磨こう会」(仮)はよく光った壁が良いのは良いのですが、それよりもむしろ全国の職人さんが持ち寄った、地方それぞれの土を磨き上げるという、ひとつの目的のために競い合いながらその中でどれだけの多様性が展開されるかということがテーマとされている感があります。グローバルな技術を目指しながら(交流)、多様性を生む可能性に満ちているわけです。
作業の内容はとてもシビアかつマニアックな世界で、一般の人が自由に出入りして見てもらうような会ではありません。ただ、左官業界のためにはこの会を閉じた会で終わらせずに、ぜひテレビでみっちり取材してもらって、紹介してもらえたらと思っています。NHK等でご存知の方がおられましたらご紹介いただきたく、メールした次第です。
その他にも、布野先生にこの会を上手く広報するアイデアがありましたら、ご教示下さい。この会にはもちろん僕も、職人として参加する予定です。お忙しい中とは存じますが、お力添えをお願いいたします。
森田一弥
一級建築士事務所 森田一弥建築工房 建築集団 神楽岡工作公司
〒606-8417 京都市左京区浄土寺西田町11番地
tel 075-752-4333 fax 075-751-5599
moritakazuya@nifty.com http://www.kaguraoka.info/
どなたかいい方法ないでしょうか?
職人問題は『建築雑誌』で特集したかったけれど、余裕はなさそうである。
2003年3月20日
イラク戦争開戦。Deadline
passes for Hussein exit. Time’s up for
Saddam. 午前中からCNNにかじりつく。知らない単語がどんどん出てくる。恥を忍んで列挙してみる。Artillery 大砲、defiance 無視、反抗の態度、martyrdom 殉教、 alert 警戒態勢、subatom 原子、cripple 身体障害者、infantry 歩兵、calvalry 騎兵隊、機甲隊、brigate 隊、組、旅団、demilitarized zone 非武装地帯、bunker 壕、plunge 突っ込む、POW 捕虜(prisoner of war)、ambush 待ち伏せ、・・・・・・・・・・
Iraqi officials vowed martyrdom. Baghdad streets deserted.
パックス・アメリカーナPart2。しかし、人類史はこれで半世紀遅れたことは間違いない。
2003年3月21日~31日
CNNにかじりつきっぱなし。仕事が手に着かない。いつのまにか米英軍側に立っているのに気づく。メディアはおそろしい。
チグリス、ユーフラテス、都市文明の発祥の地の地理が脳髄に刻み込まれる。人類の遺産を傷つけないこと、それ以前に無辜の民の命を奪わないことを祈る。
2003年3月24日
11月号案が大崎幹事から届く。
タイトル:建築構造学の夢と憂い(仮題)
(あるいは,「夢と不安」,「夢と現実」)
主旨:
建築構造学は,戦後の社会基盤を支え,超高層ビルや大スパン構造の実現のために重要な役割を果たしてきた。しかし,現在は,建築構造学は十分に熟成してしまったとも考えられ,将来への希望を見出すのが難しい状態にある。事実,若者の構造離れ,ゼネコン離れが進み,将来の建設産業を支える優秀な人材の確保も難しくなってきている。それにも関わらず,我々の生活はまだ地震などの災害から十分に開放されたとはいえない。本特集では,建築構造学の夢を語るため,まず過去を反省し,現状を分析して,構造学のブレイクスルーを模索する。
座談会(8ページ)
·
建築構造学の夢と憂い
Ø
出席者: 構造界の長老,若手,デザイナー,技術者など
Ø
主旨: 特集の主旨と同じ。
第1部:憂い
·
高層ビルは安全か ?(3ページ)
霞ヶ関ビルが建設されてから,震災は各地で発生し,それにともなって設計基準も移り変わってきた。超高層ビルは基準とは無関係に設計されるともいえるが,当時は予想できなかったことが明らかになってきているのも事実である。一般人の疑問に答えるため,とくに初期の高層ビルについて,本当の耐力を予測する。
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解析はどこまで信用できるか? ⇒ 解析は信用できない(2ページ)
コンクリートなど,材料特性の不明確な構造物の終局耐力を予測することは極めて困難である。それにも関わらず,原子力関係や大規模構造物などの実大実験で検定できない構造物は,詳細な解析によって設計されている。地震動の不確定性は除外するにしても,解析そのものはどの程度信頼できるのであろうか。コンクリート関係の研究者に,negativeな意見を語ってもらう。
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構造設計技術の開発は終わった?(3ページ)
制振,免震技術などは活発に研究されているが,機械等,他分野からの技術導入とも考えられる。高層ビルや大スパン構造物の構造形式などの本質的な研究は70年代に終わっており,最近は単なる要素技術に終始しているのではないか。このような状況において,ゼネコンの技研は,いかなる方向の研究開発を推進しようとしているのか。
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技術革新を妨げるものは何か(4ページ)
技術革新の必要性は誰もが認めるが,それが容易に実現できないのはなぜか。法律,大臣認定,コスト,工期,特許などが考えられる。とくに,大臣認定の問題について,詳細に議論する。(「基準法改正で何が変わったか」という座談会でも良い。)
第2部:夢
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21世紀の技術開発(3ページ)
仮に,日本では建築構造技術は成熟してしまったとしても世界的見地からは課題は山積している。また,今後の高層ビルや居住環境は,これまでとまったく異なるものとなるかもしれない。このような状況をふまえて,建築構造界の長老あるいは若手に,21世紀の建築構造の方向について,展望を述べてもらう。
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高層ビルは安全である(2ページ)
「安全か?」に対する反対意見を述べる。それに付随して,高層ビルに関する将来の展望を述べる。
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解析はどこまで信用できるか? ⇒ 信用できる(2ページ)
超大規模非線形有限要素解析の分野の計算至上主義の研究者にpositiveな意見を語ってもらう。
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構造設計を支える要素技術・工法等(1ページ×6)
免震・制振装置,センサー,情報システム,材料などの最新の技術を紹介し,将来の展望を述べる。
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構造家の将来(2ページ)
建築構造学を専門とする若者がまず目指すのは「構造家」である。しかし,その役割については十分に理解されていないように思われる。最前線で活躍する構造家に,業務内容,社会的役割,将来への夢などを語ってもらう。
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建築構造学への期待(1ページ×2)
デザイナーなど他分野からの構造設計者,技術者,研究者への期待。
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構造教育(2ページ)
優秀な構造技術者を育てるためには,大学での教育改革から始めなければならない。情報機器の利用,実験などを通じて,力学的感覚を養成するための各大学でのユニークな試みを紹介する。
その他の話題
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社会構造からの悩み(2ページ)
デザイン事務所・構造事務所・ゼネコン・サブコンという階層構造に起因して,構造設計者の思想や細部の設計はどこまで実現されているのであろうか。いくら細かい計算をしても,それが反映されているか疑問である。
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地震災害軽減のための構造技術者の責任(4ページ)
構造設計者が,震災軽減にいかに主導的役割を果たすか,社会的責任,社会からの要請を列挙し,構造設計者の社会的地位を確認する。
2003年3月25日
宇治市都市計画審議会都市マスタープラン部会(岡田憲夫部会長)。1月19日のワークショップは自治体職員にとっても相当刺激的であった様子。来年度に向けて活発な議論。
2003年3月26日
新潟大学の黒野委員から10月号の途中経過。かなりにつまりつつある。
お忙しい中お返事ありがとうございます。
私が自分の取材を加えたいと申しましたために、ページ数の関係でご迷惑をおかけするかもしれないこと、たいへんに申し訳ありません。 私案は以下の通りです。いかがでしょうか。私としては、できるだけ他の方への変更が少なくなるように、自分の担当ページで考えたいと思います。とはいえ、もともと私の持ち分が2ページでしたので、関連寄稿と合わせると2頁超過してしまいます。その際には、井上さんの関連寄稿を「鷹の巣村の取材」の関連寄稿に戻していただき、私の2頁は取材だけとしていただいても結構です。私のもともとのエポックについては、「高齢者研究の展開」の注で補えると思います。なお、4/2の編集委員会には出席します。よろしくお願いします。
-1. 高齢者研究の展開 (横国大大原研) 2頁
○前振り済み;大原さんに再度お願い確認
-2. 高齢者のための建築 (東北大建築計画研(小野田)) 2頁
◎○プレ作業中
D. 取材編(24頁)
-1. 震災復興と高齢者の住まい
震災コレクティブ住宅の取材(神戸大室崎研?)
2頁
関連寄稿 石東直子 2頁
●●これはどこにお願いできますでしょうか
●●まだ動いていないので確認の必要があると思います
-2. グループハウスという住まい方
グループハウスの取材(京都大三浦+旧外山研)
2頁
関連寄稿 石井敏(東北工大)
2頁
◎了承済み◎了承済み;但し調整必要
-3. 福祉の地域づくり;超高齢化は福祉優良自治体をどう変えるのか
秋田県鷹の巣村の取材(東北大学建築計画研+秋田県立大)
2頁
関連寄稿 園田真理子(明治大) 2頁
-4. 集落のコミュニティにおける空家改修型デイサービスセンター
介護保険の導入後、各地域で軌道に乗り始めた民家再生型デイサービスの取材(黒野) 2頁
関連寄稿 「施設がコミュニティとともにある高齢者居住への移り変わる可能性」 井上由起子
(国立保健医療科学院) 2頁◎了承済み
-5. 急増する単身高齢者
超高齢化した公営住宅の取材(早稲田大佐藤滋研) 2頁
関連寄稿 社会政策学者? 2頁
●小野田確認中 ●関連寄稿はまだ未定
-6. 高齢者の居場所
公共スペースにおける高齢者の取材(大阪大鈴木研) 2頁
関連寄稿 山本多喜司(早稲田大・心理学) 2頁 ◎了承済み
●関連寄稿はまだ未定
2003年3月27日
共同通信の井出さんから以下のようなメール。ありがたい。
次のようなものを書いてみたのですが、遅すぎなければ出そうかと思います。間違い、ピントはずれなどチェックして頂いて、最後にコメントをいただければ幸いです。お忙しいのに次々にいろんなことをお願いしてすみません。
共同通信 井手和子
日本建築学会が刊行する月刊誌「建築雑誌」が創刊千五百号を迎えた。一九六八年八月の千号記念のときの日本は高度成長の真っ只中。大阪万国博を前に、建築には輝かしい未来があるように見えた。その一方、各地で学生たちが戦後システムの変革を訴え、「ノン」が炸裂していた。
記念特集のテーマは「アジアのなかの日本建築」。編集委員会委員長の布野修司京大助教授は「1000号と1500号との間には、近代建築批判の以前と以後という明確な違いがある」。同時に、戦後、欧米一辺倒だった日本にアジアとの緊密な関係が生まれたのが、この四半世紀だったと企画意図を語っている。
実際、日本の大学にはアジアから多くの留学生が訪れ、中国、韓国、日本の三建築学会が国際シンポジウムを共同開催するなど交流は盛んになった。英文による論文集も刊行されるようになった。それより何より中国ではいま、黒川紀章、山本理顕ら多くの日本人建築家が都市計画や超高層ビル群などを手掛けている。北京につくられた山本理顕の超高層マンションは、メイド室付きのぜいたくさにもかかわらず大人気だそうである。
記念特集で面白かったのは磯崎新、藤森照信、松山巖によるてい談だ。中国で大規模なプロジェクトを進行中の建築家磯崎は、その設計、建設のスピードの速さを挙げて「細部や素材開発などを含めて、新たなものを造り出すなんでまどろっこしいことはやってられない」と語り、評論家の松山は「工業化が進めば、建築は退屈にならざるをえない。といって退屈が悪いわけではない」と話す。
市販カタログや雑誌の情報を恣意的に選択するだけで建築が造られていく時代を憂えている。一番楽観的なのは建築史家の藤森で「二十一世紀のの大きな枠組みは、世界対個人」。ビルバオ・グッゲンハイム美術館のようなだれも学びようがない個人様式がゴロゴロ出てくる、と言う。2000号の時代はどんな時代になっているのか。
布野委員長は「」と話している。
さて、「・・・・・・・・・・・」とすればいいか?
2003年3月28日
公務員宿舎の建て替え整備事業の選定事業者審査委員会で大阪へ。さすがに大阪城も花見には早い。どなたからのたっての指名ということであり、PFI(民間資金活用)による事業コンペの審査は初めてでもあるので、色々勉強になると思っての参加である。1月号で「設計入札反対?!」を特集した経緯もある。問題点の把握も目的である。根拠法は会計法の第29条の6予算決算及び会計令(昭和22年4月30日勅令第165号)、いわゆる「総合評価一般競争入札」による選定である。第一回ということで、概要の説明があったが、直感的に問題は少なくない。特に評価基準、落札者の決定の方法がいささかプリミティブである。本格的議論は次回であるが、建築の質と価格をめぐって悩みは大きい。これは4月号特集「建築コストと市場」のテーマでもある。
2003年3月29日~31日
ほぼ寝たきりとなった親父の見舞いに松江に帰郷。往路、中井清美『介護保険 地域格差を考える』(岩波新書)を読むも、心に響かない。肺がやられていて人工呼吸器をつけっぱなし。しゃべれないから筆談である。手のひらに「ボロボロノジンセイヤニナッタ」などと書かれるとどう返していいかわからない。介護の問題は大変である。在宅看護はとても無理ということで、受け入れ先を探す。なんとか目処がつく。高齢者の問題は11月号の予定である。