『都市計画』 201104 まちづくり一期一会
カンポンの世界―ジョハン・シラスと仲間たち―
布野修司
アジアを歩き始めて30年になる。1979年1月,初めてジャカルタの地を踏み、すぐさまコタのグロドック地区を歩き回って「カンポンの世界」と出会った。カンポンkampungとはインドネシア(マレーシア)語で「ムラ」を意味する。「カンポンガン」とは「イナカモン」のことである。都市なのにカンポン(ムラ)という。このカンポンについて学位論文(『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学),1987年
日本建築学会賞受賞(1991年))を書き、『カンポンの世界』(パルコ出版,1991年)を上梓することになる。
最初のアジアへの旅で、資料を求めてバンドンの建築研究所のD.スミンタルジャを尋ね、偶然研究室に来ていたスラバヤ工科大学(ITS)のジョハン・シラスに会った。痩せてガリガリで、眼はするどく、ビビッと来るものがあった。運命の出会いになった。後年、同じような体形であった僕はまるで兄弟のようだ言われるようになる。
東洋大学の研究プロジェクト「東南アジアの居住問題に関する理論的実証的研究」の初年度のことであったが、1982年、シラスのホーム・グラウンドであるスラバヤを一人で訪ねた。カンポンを自ら運転する車で案内してもらったが、発展途上国の住宅問題の深刻さ、それに対して自分がどう戦っているかを熱く語るのに心底感動を覚えたことを今でも鮮明に覚えている。以降、スラバヤには毎年のように通うことになった。スラバヤは僕にとって第二の故郷である。
京都大学に異動して、まず赴いたのもスラバヤである。シラスの若い仲間たちの交流は常に刺激的である。スラバヤでの調査活動は、カンポン・ススン(積層カンポン)と呼ばれる集合住宅モデル(インドネシア版コレクティブハウス)の建設につながり、実験住宅「スラバヤ・エコハウス」の建設(1998年)に結びついた。京都大学に客員教授として1年招いたり、ライデン大学の国際会議で会ったり、尊敬する先輩との交流は今日まで途切れることなく続いている。
この間、シラスはインドネシアの人間居住(ヒューマン・セトゥルメント)、ハウジングの分野の第一人者として活躍してきた。インド洋大津波の際には復興住宅供給の陣頭指揮をとった。スラバヤ工科大学は定年退職ということであるが、まだまだ第一線で活躍中である。
布野修司(Shuji Funo)
1949年島根県生まれ。東京大学助手,東洋大学助教授,京都大学助教授を経て,2005年より滋賀県立大学環境科学部教授。日本建築学会賞論文賞(1991年)、日本都市計画学会論文賞(2006年)。『韓国近代都市景観の形成―日本人移住漁村と鉄道町―』(共著、京都大学学術出版会、2010年)他。
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