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2021年4月9日金曜日

現代建築家批評26  機能から様相へ 原広司の建築理論

 現代建築家批評26 『建築ジャーナル』20102月号

現代建築家批評26 メディアの中の建築家たち


機能から様相へ 

原広司の建築理論

 

原広司の建築理論は一般的に言えば難解である。抽象度が高く、その理論は、必ずしも直接建築の手法に結びつかないように見える。決して多くはない著作は、理論書と作品集に分けられるが、理論と作品の間に距離がある。具体的には、やたらに数式、数理的言語が出てくる。一方、作品の解説に用いられる言葉はしばしば詩的である。数理的な概念が頻繁に用いられる一方でメタフォリカルな言い回しも好んで用いられる。

一貫するのは、<部分と全体>をめぐる考察である。「BE(ビルディング・エレメント)論」「有孔体の理論」「住居集合論」「ディスクリート・シティ論」は、部分と全体をめぐる論理を一貫して追及するものである。この点は、共に「住居集合論」を展開してきた山本理顕の住居論(「領域論」「閾論」「ルーフ論」)が、建築論、都市論へとそのまま接続される同相の構造を持っているのと同様である。ただ、山本理顕の方が、家族のかたちと住居のかたち、あるいは社会的な制度と空間をめぐって、具体的な作品を直接呈示することにおいてわかりやすい。既に指摘したが、原広司の場合、住居集合の配列をより原理的に理解すること、例えば数学的モデルや数理的言語によって解釈することに、より関心があるように見える。そして、発見した言葉を直接作品に結びつける閉じた思考回路をもっているように思われる。

原広司には、しかし、もうひとつの柱として「空間(空間概念)」論がある。もちろん、それも<部分と全体>をめぐる思考に根底的に関わるけれど、「均質空間論」が中心に置かれ、「均質空間」をどう超えるかが論考の主軸になる。空間論は、<機能から様相へ>と、「様相論」に導かれていくことになる。

「有孔体の理論」は、ある意味で単純でわかりやすい。「世界集落調査」(集落への旅)を基にした「住居集合論」になると、理論はより深化される。そして、<全体と部分>をめぐる考察は、次第に複雑になり、豊富化していくように見える。思考は、曖昧なもの、多義的なもの、不定型なるものへ向かう。

一枚のスケッチを予告する「均質空間」に対する根源的批判の理論は未完である。

 

 BE論の限界

最初の理論は、学位請求論文である「ビルディング・エレメント(BE)論」である。僕が東洋大学に赴任したとき、研究室にオレンジの表紙のガリ版刷りの論文が沢山置かれていたことを思い出す。『建築に何が可能か』にそのエッセンスとともに総括がなされているから、一般にその内容を知ることができる。

ビルディング・エレメントの構成を建築の方法に据えた内田祥哉のBE論の展開は、平面計画、すなわち平面の型、を思考の中心に置いてきた建築計画に対して、構法計画と呼ばれる分野を切り拓き、その基礎を築くことになるのであるが、その初期の理論構築に寄与したのが原広司である。

建築は、作用因子(光・音・熱等)を遮断、透過させる性質をもつ、空間を仕切る物質としてのBEと空間を仕切る働きはもたず専ら物質やエネルギーを伝達するパイピングとから構成されるとするのがBE論であるが、原広司が取り組んだのは、その構成の合理的分析と総合の方法である。そして、「すぐさま座礁した」と原広司はいう。「障害のひとつは、計量化であり、もうひとつは「ずれ」であった。このふたつの障害は、近代合理主義が体験する一般的な障害である。」そして「研究においては、秩序化されるのは数学的な表現であって、物質そのものと人間の意図とはうまく融合しない」[i]のである。学位論文はある意味では数学的なモデルにとどまった。そして、研究なるものの限界が、決定的に意識されたようにみえる。

しかも、BE論そのものの限界も意識された。全体を決定するのは別の要因であり、BE論は部分を処理するデザインの手法に過ぎない。BEが明快に置かれたとしても空間は必ずしも豊かにならないのである[ii]

 

 有孔体の理論

 そこで考えられたのが「有孔体の理論」[iii]である。これは、原広司の「原」理論であり、1960年代に展開された都市構成理論の中で大谷幸夫のUrbanics試論とともにもっとも徹底した理論のひとつである。

 理論は、個としての「閉じた空間単位」から組み立てられる。有孔体とは、その空間単位であり、「作用因子の制御装置」である。有孔体の外形(被覆)は内部空間の反映であり(a)、物質、エネルギーの運動を視覚的に表現する(b)。また、内部空間に方向性を与え制御する(c)。有孔体は内と外、また他の有孔体と結合する孔を持っている(e)。有孔体の孔(開口部分)は作用因子の運動の制御意図に最も適したかたちあるいはメカニズムをもたねばならない(d)。有孔体は生産単位となりうる、また、孔だけでも生産単位となりうる(f)。

 空間単位(Σ1,Σ2、・・・Σn)があって、ΣiとΣjの間に人の行き来の頻度aijが記述されれば、マトリックス(aij)から適当な制約条件のもとに最適配置計画がなされる、というのは、極めて機能主義的である。しかし、原広司のこの定式化は建築を科学的に思考することの可能性を示すのが目的ではなく、合理的思考の限界を示すものであった。要素(個)としてBEではなく空間単位を採ることが必要であり、空間単位を決定すれば、それ以下のスケールではBEの概念によってかなり合理的に追求できる、と考えるのである。

 そして、空間単位としての有孔体は以上のa fのように形態を予告するかたちで設定される。すなわち、有孔体の建築理論は形態生成理論として、いちじるしく建築的イメージのもとに組み立てられている。その前提は、被覆を制御体として、作用因子の、すなわち物質、エネルギーの授受関係を視覚的に表現すべきだ、という美学である[iv]

 

 集団の理論

 そしてさらに、個から集団への展開、有孔体の集団の理論が展開される。有孔体は、孔の数によって一孔体、二孔体、多孔体などに分けられるが、それが集合化する際には、結合の要因が問題となる。機能的、構造的、生産的、空間―領域的、象徴的、形態的、発見的・意図的、時間的諸要因が検討されるが、第一に引き出されているのは、「有孔体の集団はそれ自体有孔体を構成する」というテーゼ、命題である。すなわち、有孔体の集団もまた「作用因子の制御装置」としての「閉じた空間単位」と見なすことで有孔体化するのである。入れ子の構造である。「住居に都市を埋蔵する」という方法意識には有孔体理論の集団理論があったのである。

 都市的スケールの有孔体は、有孔体間を結ぶパイピング類によって必然的に集団化されるし(a 機能的結合因)、集団化するときに生じる余った空間(あき)を有孔体化することによって(b 空間―領域的結合因)生じる。そして、有孔体の集団は、形態的な統一の美学を排除する(c 形態的結合院)。有孔体は生産単位であるから時間的変化に備えて取り替えられるが、取り替えのための一般理論はもたない(d 時間的変化に基づく結合因)。

 以上に見るように、有孔体の理論は、諸装置のビルトインしたカプセルとカプセルによって構成される都市メタポリスを構想したメタボリズムの理論に極めて近いといっていい。ただ、このc、dにおいて原広司は一線を画す。さらに、構造的あるいは生産的要請は有孔体の不連続的結合を危うくするのであって、生産的要請を優先する態度は排除されねばならない(e)という。結合因の一元化、すなわち生産要因の重視について極めて警戒的である。また、有孔体は発見的に探求されるといいながら発見の原動力は調整(コントロール)の概念であるとし、調整は最適値問題によって計量的に解析する方法が存在する(f)という。

 建築の集団、都市の計画にあたっては、<運動するもの>を把握し、それらの調整をはかるという手続きが最大の決め手である、といいながら、このプログラミングが全体性の決定力をもつかどうかは疑わしい、という。アンヴィヴァレントである。理論の内部に「自由な領域」、「計画者の主観的な判断」の介入がなければならない、という思いがある。有孔体の理論を補完するのが「浮遊の思想」であった。

 

 住居集合論

 有孔体の集団理論がそのまま住居集合論に結びつくことは容易に理解できる。しかし、有孔体の理論はあくまで抽象化された理論であるが、住居集合論の対象となるのは実際に存在してきた住居集合としての集落である。そして、集落のほうがはるかに多様であり、事物の属性は多様に現れてくる

 「世界集落調査」(集落への旅)によって、部分と全体をめぐる理論的考察は深化され、豊富化されていく。その考察は、「<部分と全体の論理>についてのブリコラージュ」[v]といった論文にまとめられるが、並行して書かれた「紀行文」[vi]は『集落への旅』としてまとめられる。

 何故、集落なのか。

 地域に根ざした僻地の多様な生活を明らかにすること、文化そのものを見ること、自然と建築の和合をみること、今日の町づくりや都市計画の示唆をうること、とわかりやすい。近代化された都市生活、あるいは歴史を支配してきた古典や様式ではなく、集落にこそ学ぶべきものがある。

ただ、専ら焦点を当てるのは、住居とその他の共同施設からなる集落の形態であり、その形式である。また、住居形式であり、そのヴァリエーションである。ほんの一瞬「通り過ぎる者」の眼でかいまみるだけの、その調査の方法をめぐっては限界があると自らいう。また議論がある[vii]。また、設計者の眼でみるのだ、という。一方で、専ら数学的モデル、集合論、位相空間論によって、また、それを組み立てる概念によってその集合の論理を解き明かそうとする。

 はっきりしているのは、集落をあれこれ調べ上げ、結局は多様な集落があるのだという語り口を避けることである。関心は原理にあり、空間的な仕組みの構図を描くことである。

 原広司の集落論が他のそれと鮮明に異なるのは、集落の地域性や伝統をその場所の固有性に結びつけて捉えないことである。最後に見よう。

 

 均質空間論

全体と部分に関わる思考と理論展開の大きな背景となるのが「空間概念論」であり、「均質空間論」[viii]である。「空間概念論」については、大学院の授業で直接聞いたのであるが、空間に関わる本を片端から読んでつくったカードをめくりながら、毎回、古今東西さまざまな思想家、哲学者の「空間論」「空間」概念が紹介されたのを覚えている。M.ヤンマーの『空間の概念』[ix]は今でも印象に残っている。

「容器として空間」概念は「均質空間」(三次元ユークリッド空間)にいきつく。近代建築が目指すのは、均質空間であり、それをヴィジュアルな表現として完成したのがミースである。わかりやすいテーゼである。

原広司が問題にしたのは単に建築のかたちの問題ではない。また単なる建築の形式でもない。近代建築とは「ガラスの箱の中のロンシャン」[x]であって、問題はガラスの箱であり座標の方なのである。

そして、数学や物理学でいう空間にとどまるものでもない。建築を成立させる社会や思考を含めた枠組み全てを空間と呼ぶことにおいて、「均質空間論」はラディカルであった。「文化としての空間」が問題なのであり、インタージャンルにもわかりやすい提起がそこにある。日本における最もシャープなポストモダン建築論であったといっていい。

 「空間概念論」は、当然のように、世界地図の歴史と系譜を問う。世界了解としてのコスモロジーの表現であった中世のTO図などと「大航海時代」のポルトラーノ図、そしてメルカトールの地図などとの間には断絶がある[xi]。近代に成立した世界地図は、測定によって成り立つ容器、すなわち、等方等質の座標軸なかに描かれる。この前提としての究極の容器が均質空間をどう超えるのか、どう逃れるのか、原広司が提起し、自ら引き受けようとするのがこの世界大の問いである。

 これに対して、均質空間が成立する過程で排除してきたアリストテレスの場所の概念(「場所に力がある」)などが掘り起こされ、相対論に基づく非ユークリッド空間や多様な位相空間の在り方が展望される。

 しかし、例え、新たな空間のイメージが提出されるとしても、原が自らいうように、それらが「日常生活的なレヴェルで計画の理論に転化され、物象化されることとは別問題である」。

 

 様相論

 1968年を頂点とする文化運動を背景とした現状認識であるという「均質空間論」によって、現代を支配する均質空間の概念とそれを成立させる強力な「道具だて」の確認した上で、それを批判し、乗り越えるために、さらに様々な理論的展開が試みられる。そして、「多層構造論」「境界論」「空間図式論」・・・など数多くの「論」が書かれている。それぞれを要約し、批評することはとてもよくするところではない。少なくとも限られた紙数では不可能である。ただ、原広司自ら諸論考をまとめてみせてくれている。キーワードは<様相>である。

『建築に何が可能か』(1967)を出して以来、その言葉を探してきた。それが<様相>であると気づくのにほぼ20年かかってしまったのである、と原広司はいう。『空間<機能から様相へ>』(1987)は、すなわち、第二の建築理論書であり、20年にわたる思索のまとめでもある。

6つの論文からなるが、ごく端的に現代建築の方向づけを行うのが「機能から様相へ」[xii]であり、その具体的展開となるのが「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」[xiii]である。<様相>という概念が提出される背景には、具体的なプロジェクトとしてグラーツ・モデルなどがあり、密接に関連する建築モデルとして「多層構造」がある。後に具体的に見るが、多層構造モデルあるいは装置とは、「境界をあいまいにする」ために、図像を複雑に重ね合わせる装置である。

 「機能から様相へ」は、まず、機能論的世界観の系譜、そして非機能論者としてのロシア・フォルマリストやシュールリアリストの異化、非日常化の概念を総括しながら、ポスト・モダニズムの建築の評価をもとに<様相modality>という概念に至っている。原広司がポスト・モダニズム建築の基盤と考えるのは、ごく単純に、古典的、様式的建築とヴァナキュラー建築、集落のふたつであるが、このふたつを見直すなかで抽出される、例えば、前者における、様式、装飾の意味、範例、手法の伝達可能性、後者における場所性、地域性、制度の可視化など、事物や空間の状態の見えがかり、外見、あらわれ、表情、記号、雰囲気、たたずまいなどと表現される空間の現象を<様相>と呼ぶのである。

 建築の「表層」、あるいは「街並み」「景観」に関する関心など、<様相>が現代的関心を包括する概念であることを確認した上で、その論理的基礎が考察される。<様相>は、「経験」によって捕らえられるものであり、その要素は「感覚」の要素(マッハ)である。すなわち、それは「意識」の空間に現れるものであり、意識現象のひとつの形態である。 

様相論のひとつの基礎に置かれているのは記号学である。そして、記号のひとつのあり方として、様相論と並行して提出されるのが「空間図式論」である。経験あるいは意識現象としての空間の<様相>を説明するために必要とされる概念装置が「空間図式」であり、「情景図式」である。

 「容器としての空間」「概念としての空間」から「生きられた空間」「経験として空間」へ、空間概念論から空間現象学へ、その思考は移行していく。

こうした乱暴な要約はその粘り強い思考の厚みを蔑ろにするのであるが、「有孔体の理論」から「様相論」へ、その大きな流れははっきりしている。そして、<様相>の多様性をめぐってその思考と理論は反芻を繰り返し続けているようにみえる。




[i] 「歴史も喚問する」(『建築家に何が可能か』)

[ii] ひとつの閉じた空間Σは有限個のBEの集合(be1,be2・・・ben)からなる。BEに作用して空間の性質を決定する因子は(θ1,θ2・・・θk)である。各BEは作用因子に対する性質(a,a2・・・ak)をもつ。空間を計量する性質が作用因子に対応して記述されるならば(Σα,Σβ・・・Σω)となる。空間の質はBEの質によって記述される。すなわち、空間の性質は、BEの性質の集合であるマトリックス(a11, ・・・a1k/a21, ・・・a2k/・・・・・・・・・・・・/ an1, ・・・ank)で表現される。しかし、このマトリックスは、一定のかたちと一定の大きさをあらかじめ与えた空間を想定しない限り実際に活用できない。

[iii] この「有孔体の理論」は、もともと『国際建築』(19666月号)に「有孔体の理論とデザイン」として発表されたものであるが、「浮遊の思想」とともに『住居に都市を埋蔵する ことばの発見』に採録され、若干手が加えられている。

[iv] 有孔体の理論においては予め空間構成と表現論が一体化しているといっていい。伊藤邸、そして慶松幼稚園という実作に結び付けられ、模型や図面によってヴィジュアルに発表されることにおいてインパクトがあった。

[v] 『空間<機能から様相へ>』(1987年)所収

[vi] 「集落への旅」(『展望』19745月号)「翳りの中の集落」(『展望』19748月号)「周縁がみえる集落」(『展望』19773月号)「形象をこばむ集落」(『展望』19784月号)「集落のある<世界風景>」(『世界』197911月号)。

[vii] 住居集落研究の方法と課題 異文化の理解をめぐって(主査 布野修司),協議会資料, 建築計画委員会,1988住居集落研究の方法と課題 異文化研究のプロブレマティーク(主査 布野修司),協議会記録,建築計画委員会, 1989

[viii] 「空間概念論のための草稿」(『SD』19719月号)で構想され、「文化としての空間 均質空間論」(『思想』19768、9月号)が書かれた。『空間<機能から様相へ>』岩波書店、1987年の巻頭に収められている。

[ix] M.Jammer,””, Harvard University Press, 1954.『空間の概念』高橋毅・大槻義彦訳、講談社、1980。講義の段階では、邦訳はなかった。

[x] 近代建築が行ったことの総体は、ミースが座標を描き、コルビュジェがその様々な関数のグラフ描いたという図式で説明される、という。

[xi]「日本」という空間を歴史的に問うた『絵地図の世界像』(岩波新書)で知られる応地利明の近著に『「世界地図」の誕生』(日本経済新聞出版社、2007年)があるが、中世世界図である法隆寺蔵五天竺図、ヘレフォード図、イドリースィー図などを確認した上で、カンティーノ図の画期性を詳述している。

[xii] <様相>という概念が初めて用いられるのは、「様相の建築」(『二〇〇一年の様式』新建築社、1985年)である。

[xiii] 「ふたつの涌点」(『建築文化』19782月号)をもとにしている。

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