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2021年4月6日火曜日

現代建築家批評23 現場(フィールド)から  象設計集団の7つの原則

 現代建築家批評23 『建築ジャーナル』200911月号

現代建築家批評23 メディアの中の建築家たち


現場(フィールド)から 

象設計集団の7つの原則

 

 象設計集団の著作は極めて少ない。作品集として編まれた『象設計集団』(鹿島出版会,1987)と『空間に恋して』(工作舎,2004年),そして,富田玲子の自分史といっていい『小さな建築』(みすず書房,2007)がほとんど全てである[i]。「メディアの中の建築家たち」というにはふさわしくないのが象設計集団である。

 そして,言葉だけの理論とか方法論,体系化から遠いのも象設計集団である。

 建築は理屈ではない!建築は言葉だけではない!

 「方法論を場所にもち込むのではなく,場所がもつ初源的な力を発見し,それらを収斂させること」[ii]が重要である。

確かにそうだ。

もちろん、建築設計に言語は不可欠であるし,その建築思想を伝え広げていくためにはメディアが必要である。ただ、設立メンバーであるTHOには,そうしたメディア戦略が希薄であったといえるかもしれない。裏返せば,そうした戦略など必要としない,恵まれたネットワークが象設計集団を支え続けたということであろう。象設計集団のすごいところは,沖縄から北海道までフィールドに収めて,チーム・ズー(動物園)という組織(ネットワーク)を一気に創り上げたことである。まちづくりと建築,地域おこし(再生)と建築を逸早く鮮明につなげて見せてくれたのが象設計集団である。

一方,これはまさにメディアの問題と言っていいのであるが,象が北海道(十勝・帯広)へ移転してから,地域をベースに活動する建築家のあり方が建築ジャーナリズムから消えていったように思う。重村さんが「俺は象のスポークスマンだ(った)」というのを何度か耳にしたような気がするけれど,象設計集団の方法をより拡大していく批評家なり理論家なり、メディア戦略がさらに必要だったかもしれない。もしかすると,日本のまちづくりの四半世紀の後退に繋がったのかもしれないのである。しかし、象設計集団が早すぎたと言ってもいい。まちづくりと建築,地域おこし(再生)と建築が本気で追及されだすのは、阪神淡路大震災(1995年)以降であり、地球環境時代が意識され出すのは今世紀に入ってからなのである。

チーム・ズー(動物園)というかたちの鮮やかな集団ネットワークもその継承が問題となる。そのときに必要なひとつが塾やワークショップを含めた持続的な教育機関であり,理論,方法,体系ということかもしれない。しかし,現場(フィールド)でしか伝えようのないものが「建築」である。

 

 小さな建築

「小さな建築」と富田玲子はいう。「小さな建築」というのは,均質で画一的な空間をただ積み重ねただけの超高層ビルの林立する都市,地下に閉鎖的な空間がアメーバのように広がる都市への批判である。しかし,「小さな建築」は,もちろん,「小さな」建築ということではない。もちろん,人間や樹木の大きさに基づくヒューマン・スケールは極めて大切である。しかし,ただ単純に規模が小さければいいというのではない。だから,「小さな建築」という言葉だけではいささか弱い。超高層建築が最も効率的で経済的であるというのが現実を支配する圧倒的な価値観なのである。「空間に恋して」というのがぴったりするのであるが,この「空間」というのが一般に伝わらないもどかしさがある。そこで象が掲げるのが7つの原則である。

 

 生き方の指針

7つの原則とは,1場所の表現,2 住居とは何だろう?学校とは?道とは?,3 多様性(多様であること),4五感に訴える,6 あいまいもこ,7 自力建設の7つである。

何故,この7つの原則なのか。極めて具体的な項目もあれば,抽象的な項目もある。この7つの原則の全体性や体系を詮索するのは意味がないかもしれない。何しろ,「あいまいもこは,限定されないで,どっちつかずで,はっきりしないことです。建築か庭か街か,内部空間か外部空間か,建物か衣服か,遊びか仕事か,今か昔か未来か,完成か未完成か,株序があるのかないのか,部分か全体か,本気か冗談か,生徒か先生か,誰がデザインしたのか,‥‥‥私たちはこのようなことがらについて,あいまいもこな世界に住み続けていきたいのです。」(「6 あいまいもこ」)を原則としているのである。

経済論理が支配するなかで,また,ますます管理社会化が進行する中で,こうした曖昧模糊に耐えるのは容易ではない。象の7原則は,われわれの生き方そのものに関わっているのであって,しかも,誰もが遵守できるとは限らないのである。 富田玲子の『小さな建築』には,7つの原則を含めて,その生き方そのものが活き活きと表現されている。

 

 場所の表現

 原則の第一に挙げられるのは「1.場所の表現」である。

私たちは,建築がその建つ場所を映し出すことを望んでいます。デザインが場所や地域の固有性を表現するよう努めます。村を歩きまわり,景観を調査して,土地が培ってきた表情を学びます。人々の暮らしを見つめ,土地の歴史を調べます。このようにして,デザインのなかにその場所らしさを表現するための鍵やきっかけを掘り起こしてゆきます。

われわれが既に共有してきたはずの指針がここに簡潔に示されている。問題は,地域の固有性とは何かである。象設計集団は,作品を通じて,その問いに解答し続けてきた。作品に即してわれわれは象設計集団の「場所の表現」を問うことになる。地域を超えるものとは何か,地域をつなぐものとは何か,も同時に問われることになる。地域を通じて,あるいは,地域を超えて一貫する「象らしさ」というものは,おそらく拒否されている。それが「あいまいもこ」の原則であり,協働設計の原則でもある。そして「3.多様であること」という原則でもある。

問題は,歩き回り,土地の景観や表情,歴史,場所らしさを表現するための鍵やきっかけを掘り起こす方法,吉阪隆正のいう「発見的方法」である。

 

 制度と空間

続いて,「2 住居とは何だろう?学校とは?道とは?」という原則が疑問形で書かれていて,いささかとまどう。しかし,全くもってオーソドックスな原則であることが理解できる。

「コミュニティー,学校,家族の基本的な生活のありさまをよく観察して,人々がつくろうとしているものの根本的な要求を知ることが出発点になります。時に人々は,自分たちの欲求や希望をはっきりとは自覚していないことがあります。そこで,人々と共に考え,新しい生活のしかたを提案していくことが,象の仕事の重要な部分となります。私たちの目標は,人々の今日の要求を満たす空間を創り出すこと,と同時に,その人たちの生活の地平を広げるための新たな機会を提供することです。」

後段[iii],「1.場所の表現」とダブっているから省略するが,この原則は,第一に,われわれの生活の拠点としての住居,学校,コミュニティ(近隣社会)を原点に置くということである。この原則は,大都市であれ地方都市であり,過疎の農山村漁村であれ,共通な指針となりうる。

象設計集団のホーム・ページを覗くと「象の住宅」「象の学校」「象の福祉施設」という3つの「営業分野」として立てられている。

この原則の平易な文章を読みながら,否応なく「建築計画学」の原点を思い起こす。また,先に触れたが,象設計集団の設立者である富田玲子がわずかの期間吉武泰水研究室に所属して,丹下健三研究室に移籍したエピソードを思い出す。「基本的な生活のありさまをよく観察して」,「人々がつくろうとしているものの根本的な要求を知ること」は,「建築計画学」に限らず,全ての建築家にとって基本的な姿勢である筈である。しかし,そうしたアプローチが次第に受け入れられなくなる状況がある。そしてそれ以前に,公共住宅,学校,病院,図書館・・・という施設=制度(インスティチューション)毎の空間体系に社会空間を編成する役割を「建築計画学」が担ったことは否定できないように思えるのである。

 

 自力建設

 具体的は建設方法として,7原則の最後に自力建設がうたわれる。確かに,象は,「名護市庁舎」にしても,用賀プロムナード」「冬山河親水公園」にしても,市民,住民など建築の使用者に建築の施工に直接参加を求めている。十勝に移っても,「まいまい井戸」をみんなでつくったり,雪でドーム建築や野天風呂をつくるワークショップを開いたり,廃材を用いて自力建設(「ひかり保育所」)をしたりしている。

C.アレグザンダーの「アーキテクト・ビルダー」論や石山修武の「セルフビルド論」に通底する,建築の設計施工の密接なつながりに関する象の基本的な構えが「7.自力建設」の原則である。しかし,全ての建築を自力建設することが可能なわけではない。「自力建設」が大切だから,超高層建築や大規模建築ではなくて「小さな建築」なのだ,というわけでもない。

「自力建設とは,・・・自らの地域を,自らの手でつくり上げてゆく哲学です。近代の制度を超え,地域を超える生命の叫びです」

地域を自らの手でつくり上げながら地域を超える,実に困難な課題である。そして,「機械よりは多くの雑多な人々,知識よりは知恵,速さよりは持続力,理性よりは情熱,狂気,妥当よりは過剰,規範よりは埓外のものごと,結論よりは終わりのない問いかけ」と続いて,「形姿に求められるものは魔力」,そして「最後に,空間の緑化がもっとも大切です。」とくる。制度あるいは秩序からあくまで逸脱,逃走しながら「空間の形姿」の力そして「緑化」に賭けるということか。

 

 自然と身体

「自力建設」という原則は,すなわち,直接建築の施工過程に直接参加するという指針として,「4.五感に訴える」という原則と関連するものとして理解できる。また,「5.自然を受けとめ,自然を楽しむ」という原則とも密接に関連する。この2つの原則はわかりやすい。

地球環境時代といいながら,ますます人工環境化しつつあるのが,われわれが生きている空間である。雨が降ろうが風が吹こうが気候を自由にコントロールできるドーム球場のような空間がその象徴である。そして,そうした空間をつくり続けているのが一般の建築家たちである。

象は,そうした建築を拒否して,「風,水,太陽,星,そして遠くに見える山を直接的に導入」しようとする。「気候を楽しむためには,厳しい暑さや寒さや,湿気を和らげるための工夫が必要となります。深い庇,土に覆われた屋根,風の道,防風林,パーゴラ,木陰などは,私たちがよく用いる装置です。」これはわかりやすい。もっと単純な指針が「緑化」である。

人工環境化によって,われわれの身体感覚も衰えていく。象が目指すのは,「人々の情感に強く訴える環境」である。「人々が,光と影,音,香り,手ざわりや足ざわり,運動感覚を通じて空間の特性を感じ取り,さらにその外の世界とのつながりに心を向ける」建築である。「建物の中で暑さや寒さを感じたり,季節の移り変りを感じたりできることは,大切な要素です。自然と共に暮らしてきた永い時間の中で,人間の身体は体内で時間の流れを感じるように進化してきました。私たちは,体内時計のリズムを守りながら,季節の移ろいに対する感受性を高めるような空間をデザインしたいのです。」

そのために,象は自然素材,,,,雪にこだわる。また,自然の要素の表現にこだわる。それ故,身体を基礎にした技能,手作りの技術が基本に置かれるのである。

 

 多様性

 原則の3番目「多様であること」は,以下のようである。

「建築とは人々の出会いです。多様な空間特性が総合的に組み立てられた環境の中では,その環境を媒介にしてさまざまな出会い人と人の,あるいは人と物のが生まれます。私たちは計画する空間の中に形態,素材,スケールの多様性とそれらを結び付ける秩序を用意します。そこにやってくる個々の人が,強く引きつけられる部分や全体を発見し,それを共有する人の存在に気づき,そして共に平和を信じることができるよう願っているのです。これは均質で画一的な空間の中では期待できないことです。」

「建築とは人々の出会いです」。しかし,人々が出会えば建築になるとは限らない。象設計集団が目指すのは,単なる形式的な,コミュニティ・ベイスト・デザイン,住民参加による建築,プロセスとしての建築,いわゆるワークショップ方式,なのではない。コミュニティー派の建築家たちの仕事が往々にして単なる手続きに終始して,凡庸な空間しか生み出さないことである。象設計集団の場合,あくまで多様な人々が出会う媒介としての環境が問題である。「空間の中に形態,素材,スケールの多様性とそれらを結び付ける秩序を用意」することが目指される。象設計集団は,人々の出会いを愛する。そして,人々の出会いを誘起する空間の力,建築の力を信じるのである。

 

 フィールドワーク

 原則は原則である。何をどうすればいいのか。出発はフィールドワークである。象設計集団の原点である1971年の沖縄について樋口裕康は次のように書いている。

 「沖縄は好奇心を激しく刺激した。カッカッ興奮した。闇雲にフィールドワークに走る。持ち物はカメラ,スケッチブック,村の地図,ひもの付いた画板,コンベックス,四色ボールペン。日々,一刻一刻が発見である。こんな面白いことが他にあろうか?フィールドワークは調査ではない,記録することではない。これこそ建築である。身体のダイナミズム,衝動。まぶしく,くそ暑い,ニカワ質の大気の中で,身体が形を捉えていった。言葉が形を生み出していった。」[iv]

 未だにフィールドワークの魅力に取り憑かれてアジアを歩き回っている僕にとって感動的な文章である。

 そして,地域の中で何をやるか。

 「行動:まず行動することーゲリラの段階。情熱:恐いもの知らずの突撃,素人の恐ろしさ。夢:夢は人々を結束させる。楽天家。ねばり:一つの地域でねばること。冷静:暴れた後は頭を冷やして考える。行動の後は整理する。悩む:建築設計をとおして地域を見る。好奇心:好奇心にみちみちて,感動しなければならない。信念:プロとしてではなく,素朴に人間としてみて,いいというものはよいのである。信念を持って,よいものはよいという。闘争心:クビをかけたり,ケンカをしなければならない。」[v]




[i]  『世界建築設計図集 29 宮代町進修館』土井 鷹雄/ 出版:同朋舎/ 発行年月:1984。『冬山河親水公園 建築リフル 009象設計集団/ 出版:TOTO出版』『特集:象設計集団あいまいもこ』建築文化199310月号。

[ii] 象の「7つの原則」 7.自力建設

[iii] 「・・・私たちは,建築がその建つ場所を映し出すことを望んでいます。デザインが場所や地域の固有性を表現するよう努めます。村を歩きまわり,景観を調査して,土地が培ってきた表情を学びます。人々の暮らしを見つめ,土地の歴史を調べます。このようにして,デザインのなかにその場所らしさを表現するための鍵やきっかけを掘り起こしてゆきます。」

[iv] 『空間に恋して』p23

[v] 『空間に恋して』p25

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