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2021年4月23日金曜日

生きられる景観、『都市の営みの地層ー宇治・金沢』文化的景観スタディーズ04,国立文化財機構・奈良文化財研究所,2017年11月30日

 布野修司:生きられる空間,『都市の営みの地層ー宇治・金沢』文化的景観スタディーズ04,国立文化財機構・奈良文化財研究所,20171130

生きられる景観

布野修司

 

宇治は,人生の少なからぬ年月を過ごした街(黄檗・五ヶ庄)である(19912001)。世界文化遺産に登録された平等院と宇治上神社があり,黄檗山萬福寺があり,なによりも宇治川がある。市民であり,建築・都市計画の専門家ということで,都市計画審議会会長を10年(19982008)務めた。また,その間に立ち上げた宇治市都市景観審議会(広原盛明会長)の委員を兼務した(20022005年)。さらに,役職として淀川河川事務所塔の島地区河川整備に関する検討委員会委員(20052007年)および淀川水系宇治川河川利用委員会委員2005年~2015年)を務めた。この宇治での経験を含めて,これまで住んできた街(生まれ育った松江そして東京,京都)で否応なく巻き込まれてきた景観問題をめぐって考えてきたことは『景観の作法―殺風景の日本』(京都大学学術出版会,2015年)に書いた。以下は、宇治の景観に関わる要点である。

 

1 都市計画行政と景観行政

宇治市は,都市計画マスタープランの策定に併せて都市景観条例を制定し(20022月),都市景観形成基本計画の作成にとりかかった。世界文化遺産を抱える自治体としてはいささか遅れていたと思う。しかし,「景観緑三法」(2004年)の施行には先立つ。都市景観形成基本計画の内容は,当然,都市計画マスタープランにも反映されることになった。一般的にはそうはならない。管轄の部署が異なるからである。僕が都市計画審議会会長(19982008)兼任で都市景観審議会の委員(20022005)になったのは密接な連携を図るためである。時は小泉内閣の時代20014月~20069)で,「景観法」施行の一方で,景気対策のための大都市(東京)中心の都市再生施策の一環として規制緩和策(総合設計制度)が全ての地方自治体に自動的に適用されるといった乱暴な方針が出されて慌てて都市計画審議会を開催し,それを拒否する決定した記憶がある。

案の定,景観条例に基づいて景観形成指針を決めた直後の20046月,宇治橋通りに巨大なマンション建設が持ち上がり,大騒動となった。いわゆる「駆け込み」の確認申請である。マンション建設の予定地は歴史的街並みが残るが,鉄筋コンクリートの建物も建ち,また,空家,駐車場も目立ち始めている目抜き通りである。宇治橋の東の袂から平等院へ向かう表参道に比べると街並みは乱れて活気がない。この通りをどう再生,活性化させるかは,宇治市にとって大きなテーマである。「伝統・歴史・観光とくらしが結びつく商店街をめざします」「安心して歩いて買い物ができる商店まちづくりをめざします」「地域一丸となってアイディアを出す商店まちづくりを推進します」という方針が確認された矢先のマンション計画であった。

当初は9階建ての計画であった。しかし,都市景観条例で,高さ20mを超える大型建造物には届出義務が課せられるというので,ぎりぎりの7階建てに変更した計画が提出された。このマンションは,高さもさることながら,奥行きが深く,全体が100m近くにもなるのが大問題であった。第1に,新住民が増えることによって,駐車場問題,騒音問題などが危惧された。そして,第2に,世界文化遺産に登録された平等院からの眺望が大問題であった。住宅地に巨大な壁ができ,街並みの秩序として明らかに異質である。実は,平等院が世界文化遺産に登録される際(1996年)に,宇治市は苦い経験をしている。平等院の背景となる宇治橋通り周辺に巨大な高層マンション2棟が駆け込みで建てられたのである。

そこで,周辺各所からその高さをチェックするために,マンション業者に,建設用地に高さ20メートルのアドバルーンを上げることを求めた(2004727日)。すばやい対応であった。アドバルーンが上がると,その巨大さは一目瞭然となった(図1)。平等院の境内からも見え,眺めを阻害することも明らかであり,この結果をもとに都市景観審議会を中心に議論が積み重ねられた。



法的に許された容積を目一杯使って,できるだけ多くの住戸を建設して分譲したい業者の論理と景観の論理、あるいは,地域の論理,生活の論理,環境の論理との対立である。議論の過程で,工事のために敷地調査によって,平等院が建設された当時の地割りが明らかになった。また,韓式土器も出土した。第3の問題は,こうした土地の歴史をどう評価するかであった。

都市景観審議会は,この遺構を活かすことを市にも業者にも求めた。さらに,開発業者のもとで設計を担当する設計者に,そのデザインの再考を求めた。巨大なヴォリュームも,それを感じさせないデザインの工夫があるのではないか。それが,第4の問題であった。

宇治市の都市計画審議会は,全国でも初めて,ダウンゾーニングすなわち高さ制限を低くする変更を行っていた。また,これも全国でも珍しい,建物の長さについての(50メートルを超える建物)届出義務を加えた。

しかし、宇治橋通りのマンション問題の決着は,階数を減らしたものの予定通りに建ったマンションが示している。景観法の施行以前における景観をめぐる係争(「風景戦争」)は,開発建設行為が建築基準法,都市計画法等関連法令を遵守している限り,反対運動による異議申し立ては裁判になれば敗訴するというのが一般的であった。景観法に基づく地区指定がなければ,おそらく現在でもそうである。開発業者(ディベロッパー)は,反対運動を想定して,高さや容積を減らして一件落着とする計画案を予め用意するのが常套手法である。「景観で飯が食えるか!」と言いながら,「景観」を最大限に利用して飯を食うおかしな構図がそこにある。

 

2 景観規制の基準―法的拘束力と合意形成

景観法の制定によって,法的拘束力を持った地区指定や景観協議会や景観整備機構などの仕組みがオーソライズされることになった。宇治市は,景観法の規定する景観形成団体となり,景観計画を立案するとともに宇治の歴史的地区を核として景観計画区域として保護することとする。景観法が用意した様々な法的道具立ては大いに活用すべきだと思う。しかし,問題はなくはない。景観の規制は,私権や財産権を制限するが故に,地区指定や保存樹木や保存建造物の指定は必ずしも容易ではないからである。問われるのは規制の根拠と基準である。そして,必要なのは基準の共有である。問題は,全国の景観条例や景観マニュアルの驚くべきステレオタイプ化である。基本的な枠組みを規定する景観条例の条文が同じような雛型をもとにして似るのはまだしも,景観マニュアルも全国似たりよったりなのである。そもそも,高さ,ヴォリュームといった規模や形態,色といった基準が限られているのも問題であるが,それぞれの基準についても一概に規定できるものではない。例えば,国立公園や国定公園では曲線は駄目,原色は駄目という。しかし,自然は曲線に満ちているし,お稲荷さんの朱色は緑に映える。勾配屋根にしろというけれど,高層マンションの屋根を勾配屋根にすることがどういう意味があるのか。「周辺の景観と調和すること」とは規定できるけれど,こうしろと全国一律に規定できるわけはないのである。景観がそれぞれの土地の姿に関わる概念であるとすれば,それぞれに基準は異なってしかるべきである。景観法が機能するためには,以下のような原則が前提となると思う。

①景観行政団体(自治体)は,まず,都市形成過程,景観資源の評価などをもとに,市域をいくつかの地区に分ける必要がある。同じ都市でも,地区によって景観特性は異なる。

②全ての地区が「美しく」あるべきである。景観の問題は,景観地区景観計画区域,景観形成地区といった地区に限定されるものではない。景観法などが規定する地区指定に当たって,住民やNPO法人の発意を尊重するのは当然であるが,それ以前に,自治体(景観行政団体)が,景観計画を明らかにし,全市域について地区区分を明確にすべきである。

もちろん,住民参加による景観計画の策定,地区区分の設定も試みられていい。景観整備機構の役割がこの段階に求められることも考えられるが,権限が完全に委譲されることはないのではないか。本来は自治体(景観行政団体)の責任である。

③全ての地区について,望ましい,ありうべき景観が想定されるべきで,全ての建築行為がそうした視点から議論される必要がある。全ての地区が望ましい景観創出のために何らかの規制を受けるという前提でないと,景観地区とそれ以外の地区,指定以前と指定後の権利関係をめぐっての調整が困難を極めることは容易に想定できる。

④景観創出,景観整備は都市(自治体)の全体計画(総合計画,都市計画マスタープラン)の中に位置づけられる必要がある。景観行政と建築行政,都市計画行政との緊密な連携が不可欠である。

⑤それぞれの地区について,その将来イメージとともに景観イメージがまず設定される必要がある。この設定にあたっては,徹底した住民参加によるワークショップの積み重ねが不可欠である。地区の景観についての一定のイメージが共有されることが全ての出発点である。

⑥それぞれの地区の景観イメージの設定以降,地区の景観創出のためのオルガナイザーであり,コーディネーターであり,プロモーターともなりうるのがタウンアーキテクトである。地区毎に景観協議会を自治体(景観行政団体)が直接組織するのは機動性に欠ける。また,行政手間を考えてもきめ細かい対応は難しいだろう。景観整備機構が,各タウンアーキテクトの共同体として機能することが考えられるだろう。

 

3 文化的景観と生きられている景観 

宇治市は,都市区域としては初めて国による重要文化的景観の指定を受ける(2009)。文化的景観といった概念がもう少し共有されていたら,マンションの敷地から出土した平安古道の扱いなども変わっただろうと思う。

都市計画審議会の役割は,首長の諮問によって都市計画法の定める事項を審議して答申するにとどまる。審議事項は,予め事務局で検討されており,法定の情報公開(縦覧)の手続きもあって,審議は短時間で終わる形式的なものとなる場合が多い。宇治市の都市計画審議会に毎年決まって答申されるのが生産緑地の変更であった。生産緑地とは,生産緑地法(1974年)によって規定される市街化区域内の土地(農地,森林)をいう。大都市圏の自治体は,市街化区域内で農業を続けたい地主のために緑地の確保の意義も認めて,宅地並みの課税をしない措置をとる。宇治市の場合,生産緑地はほとんどが茶畑である。

鎌倉末期に始まる宇治茶は,多少の盛衰はあれど,今日も猶,宇治のブランドである。茶畑の景観は宇治にとってかけがえのない景観である。しかし,宇治のアイデンティティになってきたその茶畑が年々減り続けている。事由は,従事者の死亡,もしくは故障(農業を続けることができない身体的傷害)である。高齢化の進行で,従事者は減る一方である。かくして,生産緑地の宅地への転用を承認するというのが都市計画審議会の重要な仕事になっているのである。

全国で農地(例えば棚田)や山林の景観保全が問題となっているけれど,そもそも農業や林業が衰退すればその景観を維持できなくなるのは当たり前である。土地は,維持管理する主体があって,その姿も維持される。宇治の茶畑については,市が買い取るとか,ドイツのクライン・ガルテン(小庭園)あるいは市民農園のような形で緑地を残したらどうか,という意見を毎回出したけれど,有効な手だては必ずしも講じられなかったように思う。

文化的景観という概念の導入は,生活そして生業に焦点を当てることにおいて大きな意義がある。「文化財」の保護(法)という枠にとどまるのだすれば限界がある。景観が生きられていることこそが文化である。地域の生業のかたちが大きく景観を規定するのであって,地域が元気でなければ本末転倒である。

 

4 治水と景観

宇治の歴史的景観の中核,世界文化遺産に登録された宇治の平等院と宇治上神社が向き合う宇治川の中州は塔の島と呼ばれる。その塔の島周辺の景観をめぐって現在も議論が続いている。大きな背景として,淀川水系における治水・利水の問題がある。宇治川は治水対策を行う必要があるが,市街地の迫る塔の島付近は拡幅が難しく,壁のような堤防をつくることもできない。そうであれば河床を掘り下げるしかない。問題となるのは,塔の島がこれまでより浮き上がって見えるようになることである。そこで,塔の島を削って,切り下げたらどうかという提案がなされた。切り下げると塔の島からの景観は随分変化する。また,橋の高さの調整が必要になる。そして,それより問題なのが,右岸,方広寺の坂を下りて来るところにある亀石(図2)である。万葉集にも詠われる亀石であるが,水面が下がると亀に見えなくなるのである。


実際には,塔の島は,年に何度かは冠水し,入場禁止となる。また,亀石も亀に見えない日が少なくない。さらに,塔の島も江戸末期の絵図から現代までの地図を調べてみると,様々に形を変えてきている。むしろ,直線的に整備した現在の形のほうが不自然である。

一方,河床を掘り下げると水生生物に多大な影響が出る。大きな問題は,宇治橋周辺がナカセコカワニナ(図3)の生息域であることである。ナカセコカワニナは琵琶湖の固有種であったが,琵琶湖疎水や天ヶ瀬ダムの建設によってその生息域が大きく変わった。今や絶滅危惧種であるが,宇治橋周辺が数少ない生息域だとすると,その産卵環境を守る必要がある。ナカセコカワニナの生息のためには,2030cmの浅瀬が不可欠という。宇治橋周辺にもかつては砂地があったのだが,現在では宇治川ダムの放流で,砂はすぐさま流されてしまう。


宇治川といえば鵜飼である。1995年,そして1997年と続いた洪水への対応として塔の島の本線側が深く掘り下げた河川改修が行なわれたが,その際鵜鵜飼のための浅場をつくるために本線と支線を分けたところ,夏場に下水が流れ込んで異臭がするという問題が発生していた。

また,かつて宇治川で泳いだ頃のようにもっと水辺を楽しみたい,という声も大きい。景観といっても,実に様々な問題が絡むのである。

その後,僕は宇治を離れることになったが,洪水対策と景観をめぐる議論は淀川河川事務所において続けられてきた。そして,2012813日から14日にかけて大阪,京都,滋賀などを局地的豪雨が襲った。近畿各地で土砂災害,河川の氾濫が発生,建物が流されるなど被害が続出したが,宇治川流域も多大な被害を受けた。この洪水の特徴は大河川である宇治川そのものの氾濫がなかったにもかかわらず一次支流,二次支流の戦川,志津川,弥陀次郎川など中小河川が市街地で多数氾濫したことである。僕がかつて住んでいた地区も多大な被害にあい,犠牲者も出た。

治水と景観,自然環境をめぐる問題は宇治に限らない。景観問題の基底において,人間と自然との関わり方が問われていることを思い知らされる。

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