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2021年5月23日日曜日

 <からまりしろ>の探求―生命論的建築をめざして 「太田市美術館・図書館」 進撃の建築家 開拓者たち 第16回 開拓者17 平田晃久(前編) 

 進撃の建築家 開拓者たち 第16回 開拓者17 平田晃久(前編) <からまりしろ>の探求ー生命論的建築をめざして 「太田市美術館・図書館」 『建築ジャーナル』 201712(『進撃の建築家たち』所収)

開拓者たち第16回 開拓者17 平田晃久前編                   建J  201712

 

 <からまりしろ>の探求―生命論的建築をめざして

「太田市美術館・図書館」

布野修司

 

 




 平田晃久(図⓪)[1]は、渡辺菊真(開拓者01)と森田一弥(開拓者14)の同級生である。すなわち、僕が19919月に京都大学に着任して最初に出会った学生の一人である。彼らを黄金の世代と呼んでいることは既に書いたが[2]、僕の半年後(1992年)に着任した竹山聖の影響が大きいと思う。「鴨川フォリー」という課題(2回生後期)を出したことも書いたが(連載第2回)、当時の京都大学の設計教育は古色蒼然たる状況であった。ロットリングが普及し、インスタントレタリングやカラートーンが使われだしていた時代であったが、ケント紙に鉛筆仕上げが基本で、その他はご法度であった。振り返ればそれもひとつの見識だったと思うけれど、問題は、一人の教師が卒業まで同じ学生を指導するといった体制であった。また、講評がなく、まるでレポートのように採点がなされていることであった。

 僕はこれでも東洋大学時代には、太田邦夫先生の指導の下、山本理顕、毛綱毅綱、元倉真琴といった錚々たる若き建築家と組んで、設計教育をしてきていた。即日設計、翌週徹底講評という設計演習は楽しかった。「都市に寄生せよ」(『住宅戦争』)、パンテオンを核シェルターにするとか、「反住器」(毛綱毅綱)を5倍にして都市施設として活用せよとか、出版しようと思った数十の課題のストックがある。


 MEDIA ROAD

 平田晃久の作品で記憶に残っているのは卒業設計「MEDIA ROAD」(図①abc)である(1994年京都大学最優秀卒業設計(武田五一)賞)。吉田キャンパスの建物群を曲がりくねった四角い空中回廊のようなチューブでつなぐ作品だ。既存の施設に、全く異質の空間を暴力的に貫入させている。本人に依れば「京都大学本部構内の既存建築群に貫入する形で、新しい建築を埋めこむことによって、大学を活性化し、学部学科の枠を超えた情報や人の流れを生み出そうとするプロジェクト」といういかにも学生らしいセッティングであるが、鋭いのは、「既存の建造物を取り壊し、そこに新しく建設するという蜿蜒と繰り返す破壊と建設のサイクルを超えて、既存の建築群をいわば一つの「地形」あるいは「素材」のようにみなすことによる新しい建築について考えた」ことである。




 竹山聖は、卒業設計作品集のための推薦文(『近代建築』『卒業設計』)に「場面、場面でその都度、場当り的に対応を検討 · 調整・決定してゆくという、まさにアンチ全体計画な、微分方法をとっていることが、このプロジェクトのもっとも魅力的な点である。まさにプロセスそのものの建築化といっていい。全体計画という言策に胚胎される思考の硬匝を打ち破る手だてが、 あらゆる表現のジャンルで試みられている現在、ひとり建築のみが   漫然と、 「 全」という夢想を貪り続けている「全体」などというものはないのだ、という若々しい決慈と直観、そして神型なる悪意が、このプロジェクの光彩の源である。」と評している。

 このアンチ全体計画的な、微分的方法は平田に一貫している

 




 ゲント市文化フォーラム

 卒業設計のことを思い出したのは、「太田市美術館・図書館」のなんとも複雑な空間の連なりを体験したからである(図②abcde)。プランを見て欲しい。図面を見慣れた、トレーニングを積んだ建築家でも、容易に空間全体をイメージできないのである。5つの箱からなっていることに気がつくと、全体の流れるような空間が浮かび上がってくるが、中心に置かれた回り階段は、プランで見ると、何らかの生命体、タツノオトシゴの尻尾のようである(図③)。



 大学院を終えると、伊東豊雄建築設計事務所に就職している。「台中国家歌劇院」(2016年)の洞窟のような空間を想起して問うと、在籍したのは19972005年の8年で関わっていないが、原型となる「ゲント市文化フォーラム」は担当したという。「仙台メディアテーク」(2000年竣工)は、1995年のコンペの結果であり、「台中国家歌劇院」のスタートは2005年である。トッズ表参道ビル」(2004年、図④)は担当であった。


 「ゲント市文化フォーラム指名設計競技」のコンペ(2004)について、伊東は、最初のミーティングで、ポルトガルのコインブラでファドのコンサートを見にいった時のことを話した。

 「街の階段の途中でコンサートが行われました。イタリアのスペイン階段みたいな小広場ですが、もっと小規模なものです。踊り場に小さなカフェがあって、石段の途中に歌手がふたり入れ替わり出てきて歌います。それをカフェのテーブルの椅子に座って聴くか、あるいは石段に座り込んで聴くのですが、歌っている間も街の人が脇を通り抜けていったりしています。そういう自由で形式張らないコンサートはいいよなって思っていました。」(「もののもつ力」、2006年東西アスファルト事業講演会講演録)。

 同じことを平田も、「太田市美術館・図書館」の作品発表に合わせて書いている(「生態系としての公共のはじまり 多数の個を巻き込んで建築をつくる」『新建築』20175月号)。伊東は、コンペではイタリアの建築家アンドレア・ブランジ、構造設計家の新谷眞人、それからベルギーの若手建築家ふたりとチームを組んだというが、空間モデルを様々に検討する中で(図⑤)、ある日スタッフのひとりが一晩中考えてきて「こういう構造はどうですか?」と模型を持ってきて、伊東はその構造[3]に深く共感したという。このスタッフが平田であった。

 

 生命論的建築の研究

 しかし比較すると、明らかに「太田市美術館・図書館」の方が武骨である。かたちを作り出すアプローチも異なる。平田は先の文章で、「台中国家歌劇院」の実現を「これまでの建築の歴史の中で実現されてこなかった夢のかたちが、確実にある」といいながら、「それは同時に、ひとつの時代の終わりを画する建築でもあるのではないか」ともいう。すなわち、平田自身は、「ゲント文化フォーラム」を超える展開を目指しているのである。

 その鍵概念となるのが「からまりしろ」であるが、その背後には積み重ねてきた思索がある。修士論文『百科全書的建築と術<アルス>の系譜』(1997年)は、F.A.イエーツの『世界劇場』『記憶術』に触れていた。芝居好きが昂じて劇場史に興味をもち、シェイクスピアの「グローブ座」に絡んでF.A.イエーツの本は読んでいたから興味深かった。修論発表会の時に「切れるな(頭がいいな)」と思った記憶がある。建築史の高橋康夫先生が「こういう人にはドクターに行って欲しい」と言ったことを覚えている。博士課程にはいかなくてよかったけれど、母校に呼び戻されて、学位請求論文 『生命論的建築の研究―<からまりしろ>の概念をとおして』(20161月)を書いた。その「切れ」をいかんなく発揮した論文である。抽象的な概念をこねくり回す建築論とは一線を画す。建築の実践を通じて、すなわち、その実作品[4]の積み重ねを理論化しようとする論文である。

 ただ、京都大学学術情報リポジトリにUPされた「生命論的建築の研究―<からまりしろ>の概念をとおして ―( Abstract_要旨 )」の「論文内容の要旨」そして「論文審査の結果の要旨」は難解である。成果は、「2. 「生命論的建築」を設計する手がかりとして、人や出来事とかたちがからまることのできる余地を意味する〈からまりしろ〉の概念を提示し、階層構造をなしながら重層する、生きている世界の秩序に接続するような建築の原理となる〈からまりしろ〉の特性としては、①からまりのニッチ性、②からまりの階層性、③からまりの他者性が重要であることを指摘した。」などと書いてあるが、韜晦というか、他分野を煙に巻くというか、建築の分野でも、エンジニア系の研究者にはわからないであろう。

 論文そのものはもう少しわかりやすく素直である。「生命論的建築(Biological Architecture)」とは、「均質空間的な理念とは原理的に対立するもの」であり、「ポストモダニズムとは反対の方向性から建築にアプローチする」ものであり、「形態表現主義的な建築とも異なる」ものである。

 

 <からまりしろ>

 大論文といっていい。テーマは、近代建築批判そのものなのである。「均質空間」という言葉が示唆するように、意識されているのは原広司の建築論である。その有効体理論、BE(ビルディング・エレメント)論、均質空間論、集落(住居集合)論、様相論に学びながら建築について考えてきた僕らの世代には、その引き受け方は頼もしく思える。建築理論の展開が痩せ細って久しいが、平田には建築理論をリードしていく勢いがある。洞窟あるいはチューブを、太田市美術館・図書館」の空間を読み解くきっかけにしようと考えたのであるが、大変なことになってきた。ことは「均質空間」批判である。論の全体については、ひとまず置こう。

 「生命的建築」の鍵概念となる<からまりしろ>とは何か。英語ではなんというの?などと聞いてしまったけれど、Base for Tanglingだという。Tangleとは、巻き込む、もつれさせる、からませる、関り合わせる、といった意味である。<しろ=Base>は「余地」である。<媒介空間>とか、<中間領域>とか、<セミパブリック・セミプライベート>といった既往の概念をなんとなく想起していたが、もう少し、動的で、複雑な概念である。平田が言うのは、アルプスの山肌にぶつかって生まれる雲、海藻のひだの間に産み落とされる魚卵、の例である。そういう空間、場所というのではなく、そういう場面、情景が産み出されるのが<からまりしろ>である。

 概念そのものはまあわかるとして、具体的な建築はどう実現されるのか。平田が 「建築とは<からまりしろ>をつくることである」((現代建築家コンセプト・シリーズ8)、LIXIL出版社)と宣言するのは2011年であり、<からまりしろ>という概念を考える端緒となったのは桝屋本店(2007)である(図⑥)。

 



<からまりしろ>の幾何学

 学位論文で言えば、第4章「植物」を「育てる」ように設計する建築-単体的原理1がそれにあたるが、当初は、<からまりしろ>を誘発する幾何学に集中したように見える。「ゲント文化フォーラム」の延長である。具体的なプロジェクトとしては、「Csh」という椅子(2008)、「animated knot」(2009)、「prism liquid」(2010)といったインスタレーション作品、そして、「Architecture Farm」(2008)(図⑦)がある。平田は、先の文章で、「私が行った比較的初期の試みは、<からまりしろ>の幾何学的側面にフォーカスしていた。たとえば「Architecture Farm」と名付けた台湾の住宅プロジェクトでは、限られた気積の中で表面積を最大化しようとする時に現れるかたちの原理(ひだの原理)を用いて、建築をつくろうとした」という。そして、それは「伊東事務所時代に関わった「ゲント」の批評的乗り越えを模索したものでもあった」。すなわち、「ゲントや台中では、無限延長する建築のシステムをある領域の境界面で切断する」という「生命的原理と反する外側からの操作」に対して、「内発的な原理が自分自身を成長させるようにして」建築をつくろうとしたものであったという。

 


 箱とリム

 しかし、<からまりしろ>の幾何学が太田市美術館・図書館」に用いられるわけではない。一見複雑に思えた全体構成が単純に思えるから不思議である。構成の単位は、大きさの異なる5つの箱(耐力壁付ラーメン構造のボックス)とそれに絡まる鉄骨造のリムである。リムは、ボックスに直行する鉄骨梁とそれを先端で支える鉄骨柱、そして梁間に架けるデッキ・プレートからなる。このリムでつくられる空間が<からまりしろ>である。公開ワークショップの過程では、36個の箱による4案を用意したというが、5個の案が選ばれた。結果として複雑な形態ができあがるのであるが、ワークショップ参加者は、箱をあれこれ並べ替えればいいから、そう難しくはなかったであろうし、空間の生成を楽しんだに違いない。美術館と図書館を融合するプログラムとして、実に、巧妙な仕掛けであった。第一に評価できるのは、この建築が多彩に屋外空間を取り込むことにおいて、面積で測られる規模以上の豊かな空間をつくりだしていることである。それに<からまりしろ>の部分に様々なアイディア、ディテールを容易に取り込んでいることである(図⑧abcd)。そして、図書館と美術館の複合施設を扱う上で、既往の施設計画論を一挙に超える方法の提示がある。山本理顕さんの邑楽町役場庁舎のケースを思い出したが、平田は、邑楽町の均一なレゴ・システムとは違うという。そして、Architecture Farm」も「台中国家歌劇院」も「ある種のアルゴリズムに基づいた、ひとつの形式によって全体を統合する」という意味では共通しており、「建築の設計は、もっと建築をつくるという出来事が織り込まれたものになっていく気がしている」という。

 




 こうして、洞窟とかチューブあるいはひだなるものが、空間として、幾何学として、あるいは身体感覚として選び取られて、表現されているのではないことはっきりする。あくまで平田は理論的である。そして、その建築理論は、設計プロセスのうちに他者を取り込むことにおいて、新たな展開を始めようとしている。折しも、10年かかって「Tree-ness House」が実現した。



[1] 1971年 大阪府生まれ。1994京都大学工学部建築学科卒業1997年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了1997年~2005年 伊東豊雄建築設計事務所勤務、2005年(株)平田晃久建築設計事務所設立。2008年~2009年 東北大学非常勤講師。2010年~2014東北大学大学院SSD(Sendai School of Design)特任准教授Futureラボ担当)。2015年~京都大学准教授。

[2] この連載は、西川直子編集長から布野の生き様と重ねて欲しいと言われて出発しているから、同級生を何人選んでも問題はないけれど、知ってか知らずか、「太田市美術館・図書館」を見に行きましょう、といったのは西川編集長であった。スケジュールが合わず西川さんは不参加となったが、平田くんが声をかけて、同級生の、妹島和世建築設計事務所を経て独立した桑田豪(桑田豪建築設計事務所)、「アーツ前橋」の水谷俊博(武蔵野大学教授)一家(パートナーの水谷玲子も京大布野研出身)、一年後輩の原広司+アトリエ・ファイ建築研究所出身の吉原美比古(吉原美比古建築設計事務所)、俵山壮史(スティル・リーブル)の面々と一日見学してきた。

[3] グリッド(格子)に分割された二枚の平面に市松に描かれた円を上、下膜で結んでいく、すると三次元の連続面で空間がふたつに分かれます。それをもう一段縦に重ねると不思議な連続体ができます。Bの空間はAの空間の奥で水平に繋がっています。水平にも垂直にも繋がっていく連続体ができるのです。この考え方を応用して、プリミティブなモデルをつくりました。当時はいちばん大きなコンサートホールの空間は真ん中に開けるしかないと考えていたので、真ん中をドーナツのように空けて、その周りを連続体が取り囲んで全体が形成されるというモデルスタディをしました。一方で、ドーナツの中央部を四角いホールで切り取ってみたらどうかという検討もしました。というのもコンペの要項ではホールに対して、ある意味では20世紀的なシステマチックで均質なコンサートホールが要求されていたからです。その要求に沿うには、四角いホールでなくてはならないのではないかという議論があり、スパーンと切られた切断面とアルコーブが一体化されたホールのイメージが提案されました。その提案を見ながら、どうもホールだけが四角で別の空間になったら、当初のコンセプトと外れてくるだろうと思いました。もともと道路が広がっていって、その交叉した広がりの空間がホールだというイメージでしたから。私たちが考えるホールは、要項で求められているシステマチックなホールとはまったく違ったのですが、コンペに勝てなくても面白い方をやろうと割り切りました。

[4] 2004年 House H SDレビュー 2004 朝倉賞2006年 桝屋本店2007年 第19回日本建築家協会JIA新人賞, House S SDレビュー 2006 入賞2007年 sarugaku2008年 イエノイエ, csh(椅子)/2009年 animated knot2010年 alp, one roof apartment, prism liquid2011年 Bloomberg Pavilion, coil2012年 Photosynthesis, Flow-er2013年 Energetic Energies, LEXUS -amazing flow-, MORI TRUST GARDEN TORA42014年 kotoriku2017年 太田市美術館・図書館







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