進撃の建築家 開拓者たち 第19回 開拓者21 芦澤竜一 野生の建築ーオートノマス建築の可能性 「セトレマリーナびわこ」『建築ジャーナル』 2018年3月(『進撃の建築家たち』所収)
開拓者たち第16回 開拓者21 芦澤竜一 建J 20
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野生の建築―オートノマス建築の可能性
「セトレマリーナびわこ」
布野修司
芦澤竜一さん(図⓪)[1]とは、3年間(2012~2015)滋賀県立大学の同僚であった。だから、何べんか飲んだり、話す機会はあり、台風ヨランダ後のタクロバン(レイテ島)に一緒に行く機会もあった(2015年8月)。しかし、その作品をまとめて見る機会は得られなかった。「建築の可能性」と題した「談話室」の講演会(2008年7月28日)のときは参加できず、後で学生に聞くと、「芦澤さんはすごい!」というので、残念な思いをした記憶がある。記録(『雑口罵乱』③、2009年11月)を読み返すと、それまでに手掛けた作品を順に解説するスタイルであるが、最も関心を集めたのは「Grounding House」(2006)(図①)というSDレビューに出展した作品らしかった。
唯一、見たというか、実際に空間を味わって知っていたのは、守山市の琵琶湖岸に建った「セトレマリーナびわこ」(琵琶湖のエコトーンホテル)(2013)(図②)である。僕が四半世紀ぶりに東京に戻るというので「お別れの会」をここで開いて頂く機会があり、さらに、東京に移った後、一泊させてもらったのである。もちろん、芦澤さんとは直接は関係ない。今回、新作の淡路島の「Spiral Garden」(2017)(図③)をはじめ、自宅、事務所まで、我が相棒と川井操・美和絵里奈夫妻と一緒に、気になる作品を一気に見せてもらった。美和さんは、芦澤事務所のスタッフの一員として西宮の「八光カーショールーム」に関わっている。沖縄の住宅「風の間」(2011)、ジョホールバルーの工場(Factory on the Earth JST)(2010)など、気になる作品はあるけれど、またの機会にしよう。折しも、これまでの仕事を集大成する作品集“Ryuichi Ashizawa Architects & Associates”(Nemo Factory, 2017)(以下、RAA)が上梓された。その作品を振り返り、その行方をうらなう、いい機会である。
安藤・修武・石山・忠雄
早稲田の石山修武研究室を出て(1994)、安藤忠雄建築研究所で建築修業をした(1994~2000)。石山修武と安藤忠雄は、仲がいいことでは知られるが、作風、そして建築へのアプローチは随分異なる[2]。だから、何故石山から安藤であったのか、と問うてみたくなる。芦澤竜一の作品を一覧すると、実に多彩に見える。すなわち、安藤がコンクリートの表現に拘り続けたような、あるいは石山がセルフビルドの直接的な手触りの技術にこだわり続けたような、何かに一貫して拘りがあるようには見えない。言葉を替えると、安藤・石山の両方の要素があるように思える。さらに言うと、随分器用なうまさがある。事務所を立ち上げた頃のインテリアの仕事を見ると特にそう思う。
このセンスは石山にはない。安藤忠雄のところではどういう仕事をしたの?と問えば、ほぼ「淡路夢舞台」(2000年国際園芸・造園博覧会「ジャパンフローラ2000」会場)にかかりきりだったという。安藤からは「建築の基礎的なこと、建築家が社会に対していかに表現するのか、そして常に全身全霊をもって建築に臨む姿勢」をたたき込まれたという(RAA)。独立後、手掛けた作品には安藤の影が濃いように思える。ホテルセトレ神戸(舞子)のチャペル(図④)など、安藤忠雄の「水の教会」(1988)「光の教会」(1989)に対抗する「出来」である。
聞けば、本格的なキックボクサーだったという。だから、早稲田大学に教えに来ていた安藤さんがキックボクサーだったというので迷わず門を叩いたのだ、と笑う。よく考えてみると、キックボクシングと安藤忠雄の建築は関係ないと言えば関係ない。
野生への衝動
みるからにワイルドである。今でもフルマラソンを走る。渡辺菊真を思い起こすが、エネルギーが有り余っている印象がある。風貌も日本人離れしているから外国語が堪能だと思われる、と本人は苦笑する。札つきの「ワル」だったらしい。高校時代は「繁華街で遊び呆ける毎日」で、「遊ぶ資金を稼ぐために」「解体工、鳶、鉄筋工、コンクリート工、ブロック工、大工、塗装工など一通りの現場職を経験した」。そして、「ボクシングに没頭し、音と踊りに陶酔した」(RAA)。
建築との出会いは、12歳の時に小学校で竪穴式住居を建設したことだという。4カ月かけて「校舎の裏山の森から木々、竹、萱などの材料を拾い集め、皆で組み立て」たという。「できた時の喜びは今でも忘れない」。「住居の囲炉裏に火をつけた途端、空間が露になり、皆で芋を焼き食し感動を味わった」(RAA)。これまで何人もの建築家についてみてきたけれど、自ら建てる経験をもつかどうか、身体で空間をつくりあげる喜びを知るかどうかが建築を志す鍵となる。芦澤は、竪穴式住居の建設や畑仕事を通じて、生きる知恵を教え続けてくれた、この小学校教師を石山、安藤とともに特別の師だという。
石山について、芦澤は、「アウトサイダーであったし、今もなお変わらない」と書くが、「アウトロー」的な感性は共振するところがあるのだと思う。その作品の流れは、大きく、「安藤的なるもの」から「石山的なるもの」へ傾斜しつつあるように見える。コンクリートの表面をはつったり(「Setre Residence(2007)」図⑤ab)、階ごとにコンクリートの仕上げを替えたり(「Row House」(2017)図⑥)、「安藤打ち放しコンクリート」を超えることが意識されていることはよくわかる。その閾に位置するのが「Grounding
House」である。以降、作品にやたらに「緑」が増えていく。
しきりの探求
RAAは、いくつかのキーワードにわけて自らの作品を振りかえる。年代順に分けるのでも、作品ごとに分けるのでもない。同じ作品がいくつかのキーワードに登場したりする。冒頭は、「しきりThe Quest For Flexibility」である。「結ばれた一本の紐が空間をつくる」という。続いて「境界Crossing Borders」である。同じような括りでいささか戸惑うが、「曖昧な境界」[3]に第一に興味があることはわかる。「一本の柱が空間を発生させる」「床が、そして壁が空間を規定する」といったコンヴェンショナルな建築空間の本質を問う構えがまずある。芦澤は、安藤忠雄建築研究所に在籍中にSxLの住宅コンペに応募して「ミース・ファンデル・ローエの住宅」で一等賞(2007)を得ている。ミースは、「閉鎖的な壁を分節して配置することによって、空間をゆるやかに隔てながら流動的に連続させていき、古典的な空間の束縛を解放した」、そしてファンスワース邸で「壁を消そうと透明なガラスの壁をつくるが、それも閉じた壁であった」といい、ミースが現代に生きていたら、「壁の探求」は終わっておらず、「現代の新しい技術を用い、空気の流れをつくりながらミースの壁を動かしていく」ことによってひとつの住宅作品を提示するのである。
安藤の「壁の探求」(古山正雄)とミースの「ガラスの箱」の乗り越えがどうやら出発点にありそうだ。曖昧で、柔らかな、フレキシブルな「しきりの探求」である。
都市の森
ところが、「都市の森Urban
Forest」「グラウンディングGrounding」「大地に繋がるGrowing」「循環Endless Cycle」「エネルギー」「森林Forest」とRAAの3分の2近くは「緑」で覆われる。自然の循環、大地、森、樹木などが大きな鍵語になっていく。
安藤の一枚のスケッチ(「大阪駅前プロジェクトⅠ 地上30mの楽園」1969年)(図⑦)、そして、植樹運動の継承と実践的な乗り越えが意識されているように思える。日もすっかり落ちた見学の夜見せてもらったが事務所の屋上は草木が生い茂っていた(「屋上庭園」(図⑧))。また、空き缶をポットにして並べるプロジェクト(2002)を展開してきた。その建築的構想が「Grounding House」であり、一連の「都市の森」プロジェクトである。グラウンディングとは聞きなれない、通常は基礎のことであるが、「大地につながる」という意味であるという。用語や概念は未だ研ぎ澄まされてはいない。しかし、目指していることは理解できる。大地に根差した建築ということであろう。今のところの到達点が「セトレマリーナ琵琶湖」であり、「ジョホールバルーの工場」である。
問題は、平田晃久の「Tree-ness
House」「Tree-ness City」(前号)についても同様の指摘をしたが、単なる表現の問題ではなく、建築を支えるサステイナブルなシステムである。樹木に覆われた超高層ビルは、既に世界中に蔓延しつつあるのである。
傷つけて癒す
芦澤が最初から最後まで携わったという「淡路夢舞台」について、かつて次のように書いた[4]。「自然の再生をうたう会場に溢れる擬石や擬木、造花にいささか辟易しながら、夢舞台ゾーンに向かうと、今を時めく安藤忠雄ワールドである。・・・会場はかつての灘山だ。…その禿げ山に自然を蘇らせるのが花博の真のテーマだ。・・・まずは壮大な実験に敬意を表する。日本中の禿げ山、コンクリートで固めた醜悪な崖面も即刻緑に復元すべきだ。安藤は一貫して自然との共生をうたう。しかし、彼は積極的に緑を取り込むことはしない。むしろ、自然をどう見せるか、自然と人工物である建築とをどう際だたせるかに意が用いられる。コンクリートとガラスと水の絶妙の配列が全体を形作る。圧巻は水面の下に敷かれた煌めく百万枚ものホタテ貝だ。本質的に、自然を傷つけることによって建築は成り立つ。傷つけて癒す、矛盾に充ちた行為だ。だから安易に建築に自然を取り入れればいいというわけではない。安藤は建築の本質を直感的に知っているのである。」
安藤は建築の本質を直感的に知っているのである、と書いたが、実は知っているのであろうか、という反語である。「癒し」の方向は示されているわけではない。芦澤は、直感的に、そして身体的に自然を知っているのだと思う。RAAには、「現象Phenomenon」と題した章(項)「太陽」「水」「風」「音」があって、芦澤の建築へのアプローチの根を窺うことができる。音、熱、光、空気をどう制御するのかは建築の基本である。しかし、今や人工制御が圧倒的に建築を支配しつつある。熱帯地域にアイスリンクやスキー場が建設される、地球全体を人工環境化していく流れの中で、芦澤がまず突破口にしようとしているように見えるのは、風の音である。「セトレマリーナ琵琶湖」のチャペルでは、「エオリアンハープの原理」[5]によって絃を振動させる建築の楽器化を試みる。そして、メゾネットの集合住宅を改造した自宅では、扉のスリットに張られた絃が窓から入り込む風に呼応する仕掛けを試みている(図⑨)。
オートノマス建築
目指す建築モデルは、淀川近くの約9坪の狭小敷地に夫婦二人のために構想された「Grounding House」(図⑩)に示されている。二酸化炭素を吸収し、酸素を排出する光合成を行い、雨を受け、貯め、利用し、太陽光、風力をエネルギーに変え、鳥や昆虫たちと共生する。実に直接的なモデルである。バイオミミクリーなどとは次元が違う。はるかにラディカルではないか。ひとつの建築・街区・都市プロジェクトで完全自給自足、エネルギー・資源が循環可能な建築、オートノマス建築である。一本の木が大地に根差して生きていくような建築と都市、それが「Grounding Project」である。
「セトレマリーナ琵琶湖」では、音、熱、光、空気の制御、土や樹木などの利用を総合的に考慮しながら、均等なラーメン構造を見慣れたものの眼には容易にその構造を把握できない、やたらに斜め線が交錯する不思議な空間が作り出されている。この建築で実際に行われたかどうかは聞きそびれたが、音、熱、光、空気の流れについてのシュミレーション・ツールが芦澤の大きな武器になりつつある。
芦澤の仕事は、大阪下町を創業の地とする電子接続部品の圧着端子製造メーカーとの縁を得て、マレーシアからアメリカ、デトロイトそしてペンシルヴァニアへ、その仕事はグローバルに拡がりつつある。いずれも広大な敷地、森の中の研究所の計画である。モデル・プロジェクトを実現する絶好の機会である。大いに期待したい。
グラウンドのかたち
問題はかたちの論理、生成の原理である。「曖昧な境界」への関心とそれはどう関わるのか。「自然のもの、人工のものいずれにせよ、かたちには必然性がある」(RAA「かたちForm and Structure」)と芦澤はいう。永井拓生が担当したという「Spiral Garden」(2017)、TIS & Partnersとのポートアイランドの工場SHIP(2008)は、それぞれに興味深い取り組みではある。しかし、これまでの作品を眺めてみると、「必然性」なるものは必ずしも見えてこないように思う。与えられた条件の下でひとつひとつ解答を積み上げていくというのは、それはそれでいいと思う。しかし、何か一貫するものをみたいと一方で思う。「Grounding House」というモデルとその方向性は見えているからである。多様な植物があるように、その基本システムと多様なありかたを見極めたいのである。
「図Figure」となる建築と「地Ground」となる建築を分けてはどうか。今回の見学ツアーで最も興味をもったのは「Grotto(2009)」名付けられた芦屋のテナントビルである。どこにでもありそうな店舗・オフィス併用ビルであるが、彫りの深いバルコニーを配することによって多様な空間を生むプロトタイプになっている。工場SHIPも本来はグラウンドを形成する建築類型として構想されるべきではないか。
芦澤竜一の多彩な建築は、とにかく、エネルギーに溢れて、野性味満々である。器用貧乏に陥ることなく、こじんまりと老成していくのではなく、今の馬力で突っ走ってほしいと思う。
[1] 1971年横浜生まれ。1994年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1994~2000年 安藤忠雄建築研究所。2000年URBANFOREST ARCHITECTS 共同設立。2001~芦澤竜一建築設計事務所設立主宰。2006~2012年大阪市立大学生活科学部非常勤講師、2007~2012年近畿大学理工学部非常勤講師、2009~2012年神戸大学大学院工学研究科非常勤講師、2010~2012年京都市立芸術大学美術学部非常勤講師、2011~2012年京都造形大学芸術学部非常勤講師、神戸芸術工科大学デザイン学部非常勤講師、滋賀県立大学環境科学部非常勤講師、2013~2014年滋賀県立大学環境建築デザイン学科准教授、2015年~同教授:受賞:2000年「VAJRA Forest」でインテリアプランニング優秀賞、その他JCDデザイン賞 2002、IP賞2004入選、東京建築士会住宅建築賞、SD Review 2007入選、2009年度グッドデザイン賞受賞、第56回大阪建築コンクール大阪府知事賞、2009年度日本建築家協会優秀建築選200選、第2回関西建築家新人賞など。主な作品:SHARED HOUSE、ghAshiya Grotto、AMBOO FOREST、SgGROUNDING PROJECT -HOUSE01-、ReSETRE/セトレ ハイランドヴィラ SETRE REVER HOTEL+OCEAN、共同住宅「SHH」、CHARIN、East-1、ラティス三宮。
[2] 『建築少年たちの夢』でそれぞれ論じたことがある。「第一章 永遠の建築少年」=安藤忠雄(1 ボクサーから東大教授へ、2 ゲリラという建築少年、3 コンクリートの幾何学と自然)vs「第五章 セルフビルドの世界」=石山修武(1 建築トリックスター、2 形態は生産を刺激する、3 ブリコラージュ、開放系技術、未見のかたち))。
[3] The Quest For Flexibility、Vague Boundary、Crossing Bordersといった訳語は、芦澤の言いたいことを言い当ててはいないように思える。
[4] 「緑再生の巨大な実験 傷つけて癒す・・・建築の本質」 見聞録04,共同通信,2000年10月
[5] 自然の風により絃を鳴らす楽器。音が鳴るのは、弦を通過した空気が絃を震わせ、その振動を共鳴箱で拡大するというシンプルな原理に基ずく。その名はギリシャ神話の風神アイロスに由来するという。
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