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2021年5月24日月曜日

 進撃の建築家 開拓者たち 第17回 平田晃久(後編) 箱とツリーー新たな都市構成理論へ「Treeness House」『建築ジャーナル』 20181(『進撃の建築家たち』所収)


開拓者たち第17回 開拓者17 平田晃久後編                   建J  201801




 箱とツリー―新たな都市構成理論へ

Tree-ness House

布野修司

 

 

 平田晃久(図⓪)は、「生命論的建築」の3つの柱として、「生命概念の拡張」「脱人間中心主義」「「かたち」と「はたらき」の再発見」の3つを挙げる(学位請求論文『生命論的建築の研究―<からまりしろ>の概念をとおして』(2016年)第2章)。「生命概念の拡張」とは、人工物としてつくられる建築を生命あるものとしてとらえる、ということである。「脱人間中心主義」とは、人間もまた生命をもつものの一員として生命圏を構成するのであって特権的に自然界を支配する存在ではない、ということである。「建築にその姿をとらせている働きは、生きている人間の集団の働きが複合することによって生まれている」「建築は、生命体のようには更新されないように見えるかもしれない。しかし観察のタイムスパンを1000年のような長期に設定すれば、建築や都市もまた絶えず更新し変わり続ける動的な存在であることが見えてくるであろう。」と平田はいう。



 全く異議はない。わが意を得たり、という感がある。アジアのフィールドを歩き出してもう40年になる。フィールドワークによって明らかにしようとしてきたのは、人類が長い年月をかけて築き上げてきた都市や集落のかたちであり、その空間構成の仕組み、その組織原理である。目指してきたのは、無数の人生が積み重なってつくりあげられる都市建築のあり方に学ぶことである。

 ただ、「建築」は、本質的に「自然」ではないし「生命」でもない。平田自身も論文の冒頭で「建築は生きものではないし、一般的な意味での自然物でもない。建築はむしろ、ある意味で最も典型的な人工物だといえる」と言う。だから、「人工物を自然と区別しているのは人間の意識に過ぎない」「自然と人工を連続的に捉える考えに可能性がある」といって、ノンシャランに出発するわけにはいかないだろう。「傷つけて癒す」(『楓』、1998年)というエッセイを書いたことがあるけれど、「建築」することは、自然を傷つけることを本質とする。産業革命以降、建築生産の工業化によって、地域の生態系と建築との関係が切り離されて以降、自然と人工との連続的関係が失われてきたことが問題の本質である。しかしもちろん、一個の建築の設計によって、そうした大問題を一挙に解けるわけではない。論の中心は「かたち」の「はたらき」である。「かたち」の理論の中に問題の本質を胚胎しうるかどうかである。

 

 都市組織研究

 僕らの続けてきたフィールドワークを、いつのころからか「都市組織研究」と呼ぶようになった。オリジナルではない。「都市組織 urban tissues, urban fabric」とは,都市を建築物の集合体と考え,集合の単位となる建築の一定の型を明らかにする建築類型学(ティポロジア・エディリツィア)で用いられる概念である[1]。また,さらに建築物をいくつかの要素(部屋,建築部品,・・・)あるいはいくつかのシステム(躯体,内装,設備・・・)からなるものと考え,建築から都市まで一貫して構成するN.J.ハブラーケン[2]らの建築都市構成理論において用いられている。

 都市をひとつの(あるいは複数の)組織体と見なすのが「都市組織」論であり一般的に言えば,国家有機体説,社会有機体説のように,都市を有機体に喩え,遺伝子,細胞,臓器,血管,骨など様々な生体組織からなっているとみる。ただ都市計画・建築学の場合,第一にそのフィジカルな基盤(インフラストラクチャー)としての空間の配列(編成)を問題とし,その配列(編成)を規定する諸要因を明らかにする構えをとる。「都市組織」という時,コミュニティ組織のような社会集団の編成がその規定要因として意識されている。集団内の諸関係,さらに集団と集団の関係によって規定される空間の配列,編成を問題とするのである。

 出発点となるのは、都市住居の型である。戦後日本のプロトタイプとなった「51C」(公営住宅1951C型モデル)を設計した研究室(東京大学吉武研究室)を出自とする筆者の性というべきか。アジアを歩き始めて以降、一貫して考え続けてきたのは、地形(じがた)に規定されて成立する建築(住居)類型であり、それが集合することによって形成される街区の形態である[3]

 

  種として幾何学―「植物」を「育てる」ように設計する

 平田の建築理論に対する以上のような関心は、いささか我田引水がすぎるかもしれない。しかし、「Tree-ness house」をみてまず考えるのは以上の脈絡である。「生命論的建築」の手がかりとして一般的に考えられるのは、生命ある自然、有機体、具体的には植物(あるいは動物)である。近代建築を支える基本理念としての機能主義についても、機械的機能主義に対して有機的機能主義が対置されてきた。また、建築のメタボリズム(グループ)は、建築に「新陳代謝」という動的な概念を導入してきた。そして、現在、バイオミミクリーあるいはバイオミメティックスが関心を集める。平田は、「生命論的建築」という概念をメタファーとして用いるのではないと予めいう。そして、ピーター・アイゼンマンやザハ・ハディドのCADを用いたバイオモルフィックな形態操作とは異なるという。ただ、メタボリズムについては、その考え方を部分的に発展的に引き継ぐが、「同時に全くそれとは異なる有機的な世界観に基づく」という。どういうことか。

 平田は、<からまりしろ>という概念(第3章)を定義した上で、まず、「単体的原理1」として、「「植物」を「育てる」ように設計する建築」(第4章)について論ずる。そこで最初に検討するのが「からまりを誘発する幾何学」である。前号(前編)で触れたように、平田は、「太田美術館・図書館」で既にその乗り超えの方向を示唆するが、「ひだ」にしろ、「ひも」にしろ、「ねじれ」にしろ、「たね」にしろ、平田が拠り所とする概念が産み出されるのは、幾何学の検討による。

 その幾何学を追いかけるのは手に余るが、検討されるのは、限られた拡がりの中で「ひだPleats」の表面積を最大にする「ひだの原理」(図①)、限られた拡がりの中で「ひもString」の長さを最大化する「ひもの原理」?、内外を隔てる境界を「ねじれTwist」を発生させる「「結び目」の幾何学」(図②)、ひとつの点に集まる角度の合計が360度を超える同形の三角形の組み合わせでできる「「ハイプレーン」の幾何学」などであり、それらを用いる幾何学を「種としての幾何学Geometry as the Seed」という。そして、そうした幾何学を 遺伝子のように扱い、植物を「育てるBreed」のように建築を設計できるという。

 


 流れの中でつくられる形

 いくつかのインスタレーション作品とともに、「gallery.sora」(2007)「Architecture Farm」(2008)「Coil」(2011)といったプロジェクトに即して、平田はその設計過程を説明する。近代建築が理念化する均質空間とそれを支える直交座標系の構造システムを超える幾何学の検討はそれ自体興味深いといっていい。新たな空間を生成するヒントが得られる可能性はある。グリッドという概念は、必ずしも、直交座標系に限定されるわけではない。一般的には、多様体や2次元表面を一連の小さなセル(細胞)で充填し,セル単位に識別子を付け,インデックスに利用するひとつのシステムがグリッドである[4]ただ、それが空間全体を覆うシステムとして、ひとつのアルゴリズムに限定されるかどうかが問題である。平田の建築理論のポイントは、幾何学を用いて「育てる」ということである。

 平田は、「単体的原理2」としてさらに「環境とからみ合う建築」(第5章)を検討する。「かたち」の原理としては、「流れの中でつくられる形」が検討される。具体的には、音、熱、光、空気(風)の流れ、人の流れ、地形などと建築の関係が議論される。「釜石復興公営住宅」(2013)や「Long House」(2011)といったプロジェクトに即して説明されることもあってわかりやすい。そして、こうした環境シミュレーションは、既に実際に用いられているものでもある。

 「単体的原理1」が「かたち」の自律的な生成原理に関るとすれば、「単体的原理2」は、「かたち」と外部環境の関係の原理に関わる。しかし、建築は、その2つの原理で成立するわけではない。そこで問うのが「<からまりしろ>の複合的原理」(第6章)であり、そこで扱われるのが「Tree-ness House」(20092017)「Tree-ness City」(2009)「Nakayama Project」(20132017)「Taipei Complex」(2011)「Taipei Complex2」(2015)といった一連の集合住宅・複合建築プロジェクトである。

 

 Tree-ness House

 「Tree-ness House」(図③abcdef)は、その計画から8年近くの時を経て竣工に至った、5階建ての貸しギャラリーと住居の複合建築である。建築類型としては、一般的に言えば、ショップハウス(店舗併用住宅)である。日本に限らず、アジアの諸都市で最も一般的にみられる都市型住宅の形式である。

 この建築を、幹や枝や葉からなる一本の樹木のように設計する。その全体は、A1:ひだに絡む植物,A2:ひだ状の開口,A3:ボックスの積層の3つの組み合わせ[[A1/A2/A3]によって構成される(図③ab)。まず、高さの異なる単純なコンクリートな箱を箱と箱の間の隙間の空間を考慮しながら、また、壁を上下でそろえるなど荷重の伝達を考慮しながら積み重ねる(A3)。そして、箱状の空間に開口をひだ状の出窓のように設ける(A2)。さらに、このひだ状の開口に植物を絡ませる(A1)。





 わかりやすいと言えばわかりやすい。植物の種類はそれぞれの場所の日照条件や内部の要請に適合するように選ばれる。建物全体が一つの空中(立体)庭園となる都市型住居のプロトタイプである。「GAZEBO(雑居ビルの上の住居)」(山本理顕、1986年)を想起した。数層の中庭式住宅であるが、箱の高さの組み合わせで床レヴェルはスキップできる。平田は、A.ロースの「ラウム・プラン」を意識した、という。

 









 Tree-ness City

 「Tree-ness House」を単位とする都市モデルとして提案されたのが、青山病院跡地(東京)を敷地とした架空プロジェクトの構想「Tree-ness City」(2009)(図④ab)である。伊東豊雄を座長とする研究会の成果として『20XX年の建築原理』(伊東豊雄・平田晃久・藤本壮介・佐藤淳著、INAX出版、2009年)にまとめられているが、目的は明快である。「大手ディベロッパーによって行われている再開発手法は、建築の高層化によって地上に緑地や公共用地を生み出そうとするL.コルビュジェの『300万人の現代都市』(1922)あるいは『ヴォアザン計画Plan Voisin』(1925)をモデルとするが、低層住宅群をもっと連続しながら立ち上がる高層建築はないか、巨大な垂直な箱ではなく、十分な光や風や水が内部まで浸透していくようなひだの多い建築はないか、密集し、混沌としながらも複雑で自然環境と深くかかわる濃密な生命体のような高層建築を描くことはできないか」ということである。



 都市あるいは街区への展開として、「Tree-ness House」を単位として、あるいは箱を単位として、その集合システムを提案するという構えが取られているわけではない。都市的規模の単体建築としての提案である。地権者の権利関係を前提にモデル化するのはあまりに複雑という理由からである。全体として、「Tree-ness House」と同様な手法が取られている。すなわち、Volumeを増殖させて樹形をつくり(1)、樹状のVolumeの間にVoidを形成させ(2)、Volumeに開口を設ける(3)という3つのOperationによって構成される。

 「Taipei Complex2」(2015)(図⑤ab)では、ラーメン構造のフレームに諸要素を埋め込んでいく手法が提案される。そして、最近竣工した台湾の「Nakayama Project」(20132017)(図⑥abc)では、集合住宅(マンション)という形式として具体的な実現をみた。




 

 アジアの都市を歩き始めて40年、この23年、かつて調査した街区を再び歩き始めたのだけれど、つくづく思うのは、全ての都市がどんどん似てくる、ということである。人工環境化がますます進行し、熱帯地域にアイスリンクやスキー場がつくられる。大都市には同じような超高層ビルが林立する。そして、居住地は、単純な箱を積み重ねるだけの高層住宅に代わりつつある。考え続けてきたのは、それぞれの都市に固有な都市型住宅の型であり、街区のかたちである。平田の「Tree-ness House」そして「Tree-ness City」の構想は、ひとつの大きなヒントを与えてくれている。今後の展開を、期待を込めて見守りたい。







[1] イタリアの建築家サヴェリオ・ムラトーリ(191073)が創始したとされるが,地形(じがた)(敷地の形)に従って規定される建築類型の歴史的変化をもとに都市の形成過程を明らかにする方法として注目されてきた。建築物(住居)の集合からなる「街区(イゾラートisolato)」を単位として,「地区(セットーレsettore)」が構成され,その集合が「都市(チッタcitta)」となる段階構成を考えるのである。

[2] N.J.ハブラーケンN. John Habraken,オランダの建築家,建築理論家。1928年インドネシア,バンドン生れ。デルフト工科大学(1948-1955)卒業。アイントホーフェン工科大学を経てMIT教授1975-89。オープン・ビルディング・システムの提唱で知られる。

[3] 念頭においてきたのは、1960年代の都市構成理論、メタボリズム・グループの設計方法論、磯崎新のプロセス・プランニング論、原広司の有効体理論、BE論、C.アレグザンダーの「都市はツリーではない」論・パターン・ランゲージ論、とりわけ、大谷幸夫のUrbanics試論である。

[4] 地球全体の表面を覆うようなグリッドはグローバル・グリッドと呼ばれる。要するに,グリッドとは世界を覆う空間システムのことである。すなわち,グリッドについて考えることは世界を覆う空間システムを考えることになる。正方形または矩形のグリッドは,直交座標(緯度と経度)との変換が容易であるためよく使われてきたのである。一般にこれらのグリッドは2種類に分類できる。1つは経線と緯線に沿って分割するもの(等角)で,各領域の面積は等しくない(高緯度ほど面積が小さくなる)。もう1つは面積が一定になるようにするもので(等積),一辺の長さが等しいが,緯度や経度の変化は等しくない。

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