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2021年5月18日火曜日

 洞窟と格子「Shelfーpod / 君府亭」  進撃の建築家 開拓者たち 第13回 開拓者14 森田一弥(後編)

 進撃の建築家 開拓者たち 第13回 開拓者14 森田一弥(後編) 洞窟と格子「Shelfpod / 君府亭」『建築ジャーナル』 20179(『進撃の建築家たち』所収)


開拓者たち第
13回 開拓者14 森田一弥後編                   建J  201709

 

 ポッドと格子―ブリコラージュからシステムへ

Shelf-pod / 君府亭」

 

「我々が空間を構成するのに用いる物質としての素材は、海や陸など地球の表面における生物の活動によって生み出される「有機材料」と、地球内部の活動で生み出される岩石などの「無機材料」に大別される。有機材料の大きさが、樹木や生物の体の大きさという限界を有する「小さな物質」であるのに比べると、地球内部は溶けた巨大な岩石の塊であることからも、無機材料の大きさはほぼ無限であり「大きな物質」ということができる。・・・有機物による空間は原理的には素材と素材の「隙間」のデザインであり、その意味で「格子」であることを逃れられない。また無機物による空間は、継ぎ目のない「面」を形成可能であることが最大の特徴であり、その典型が「洞窟」であるともいえる。この店舗(「篁」)では、地球上に存在する2種類の素材の代表として、それぞれ木と竹による「格子」、土と金属による「洞窟」を用いつつ空間を構成することで、竹という素材の本来の美しさを浮かび上がらせると同時に、地球上の素材による空間の創造行為そのものを象徴的に表現している。」森田一弥「洞窟/格子論」

素材の探求は、土と左官を出発点とした森田の建築の原点である。リノヴェーションの仕事あるいはインテリアの仕事をこなす中で、土、木、金属、そして竹へと素材の特性を見極めつつあるように思える。

森田一弥は、一方で、左官材料の構造材としての可能性を追求してきた。一連の「ポッド」作品がある。しかし、「ポッド」は今のところ「アート作品」として扱われる「工作物」にとどまらざるをえない。カタラン・ヴォールトも、日本の現状では一般化は難しい。いくつかオールタナティブを用意する必要がある。

  

始原のポッド-「コンクリート・ポッドConcrete Pod

左官素材としての土への拘りは、森田一弥の仕事を大きく方向をづけている。soilといっても様々であるが、左官素材で用いられるのは、いわゆる粘土clay、径2ミクロン以下の粒子として定義される土である。水を加えると柔らかくなり、乾くと固まる性質をもつ。また、他に石灰、石膏、そしてセメントを扱う。石灰すなわち漆喰である。石灰岩(すなわち炭酸カルシウムCaCO3炭酸カルシウムCaCO3)を焼くと生石灰(酸化カルシウムCaO)となり、水を加えると粉末状の消石灰(水酸化カルシウムCa(OH)2となる。この消石灰に水を加えて練ると二酸化炭素Co2と結合して炭酸カルシウムとなって固まる。この一連の軟化―固化の化学反応は古来世界中で用いられてきた。石膏は、彫塑やギプスの材料として親しいが、硫酸カルシウムCaSO4で水と化学反応して固まる。セメントは、水や液体によって固化する粒子、粉体一般をいうから、石灰、石膏の他、樹脂や膠、アスファルトも含むが、代表的なのはポルトランドセメント[1]である。セメントはピラミッドの昔から使われてきた。

左官材料は一般的には構造材料としては使えない。土そのものは古来建築の構造材として使われてきた。土を固めて壁をつくる版築の手法、煉瓦のようなピースにしてそれを積む方法はそれこそ世界中に見ることができる。そうした土の建築の伝統を現代に再生することはできないか。渡辺菊真は、N.ハリーリN19362008)のアースバック構法(スーパー・アドベ構法)による土嚢建築の利用を考えたけれど、森田が考えたのが「ポッド」である。そして、注目するのがカタラン・ヴォールトである。

「コンクリート・ポッド」(2005)(図①abc)は、「コンクリートアートミュージアム」に出展するために制作された作品という。厚さ15ミリの超薄型コンクリートによる小さなドーム2005)は、白セメントに軽量骨材とワラの繊維を入れ、鏝で型枠に塗りつけることで製作できる。

いわく、「直径、高さは1700ミリ、「家具」以上「建築」未満の、茶室のようなスケール感を持つ空間、琉球畳を敷いた内部は、ランダムに空けられた穴によって外部とつながりながらもドームによって適度に囲われているため、「室内」の安心感と「室外」の開放感を同時に体験することができる空間である」。

森の中に置かれて、様々な表情を見せる「コンクリート・ポッド」の映像は、実にインパクトがある。Architectural Review AR AWARD (イギリス) 優秀賞(2006年)を受賞したのもよくわかる。

今からでも遅くはない、何とか「建築」にする手はないか。「茶室」でもいいけれど、最小限のシェルターがいいのではないか。「始原のポッド」である。大げさに言えば、空間の原型として「方丈庵」あるいは「ゲル」に匹敵する、プロトタイプになりうるかもしれない。それには「幻庵」のような名前が欲しい。

 





仮設住宅ユニット

「コンクリート・ポッド」(2005)以前、前述した森田一弥・山田協太・柳沢究の三人(神楽岡工作公司)で「SHELL-TER」(2002)という「コンクリートシェル構造のドームによる仮設住宅ユニット」の提案(図②abc)を行っている(13thタキロン国際建築コンペ「仮の恒久住宅」応募作品(2等入賞))。



「コンクリート・ポッド」は、その試作版である。そして、具体的な展開を追求したのが「サカン・シェル構造SAKAN Shell Structure(200607)である。そして、「アート」作品として「 ブリック・ポッドBrick-Pod(2012)を試みている。また、カタラン・ヴォールトもチャンスがあれば使おうという構えである(図③)。



SAKAN Shell Structure」(2007[2](図④abc)は、立命館大学とともに、滋賀県立大学でも試作していたからよく知っている。海外の土の文化圏で、災害時の緊急シェルターとして使うといったセッティングである。仮設であれ、空間全体にしても開口部にしても、住居としての一定の規模が必要である。「コンクリート・ポッド」の型枠手間を考えて、風船(空気膜)を膨らませ、その上に繊維補強セメントを塗って成形することを考えた。セルフビルドによる無筋モルタルシェル構法である。空気膜を使い回すことで、効率的に建設できる。単位ドームを連結する空間システムの提案である。

「コンクリート・ポッド」の行きつくひとつの先は見えたといえるであろうか。ドームを連結させていく方法とその連結の形態は、渡辺菊真の土嚢建築(本連載02)の場合とよく似ている。もちろん、驚くにはあたらない。ドームを連結させる建築は人類が各所で培ってきたものである。「SHELL-TER」の形態にしても、ドーム、ヴォールト、ペンデンティブなど、既にわれわれが知っている建築言語である。



洞窟と格子―架構の原理

 「御所西の町家」のファサードは、木の格子で覆われている。路地の奥に位置するもとの町家には無かった。しかし、路地から室内への視線を制限しつつ通風を確保し、空調や給湯器の室外機を隠すためにファサード全体を覆ったという。それに先立つ「西洞院の町家」(2006)は、通りに面しているが、一階も二階も真新しい格子が付加され、内部の壁、天井にも格子が用いられる。そして「篁」(図⑤ab)は、小さな店舗であるが、床を除いて、全面格子で仕上げられている。竹と木の繊細な格子は、竹製品を扱う店にいかにもふさわしく、美しい。この格子への嗜好は何かに由来するのであろうかと思っていたら、「篁」によせて、冒頭に引いた「洞窟/格子論」なる文章があるのをみつけた。


無機材料と有機材料、「大きな物質」と「小さな物質」、面と隙間という対比に、なるほどと思った。「ポッド」は面で構成され、洞窟をつくる。それと対比的に、隙間のデザインということで格子なのである。しかし、木と竹による「格子」、土と金属による「洞窟」は、果たして「地球上の素材による空間の創造行為そのものを象徴的に表現している」といえるであろうか。

仕上(表面)材としての左官材料はそれだけで建築を構成できるわけではない。格子も、一般的には、風、光、熱、視線・・・の制御に関わる平面要素である。空間の創造のためには、いかに建築を組み立てるかが必要ではないか。インテリアの仕事は建築の組み立てを要しない。リノヴェーションの場合、特に「京町家」の改修の場合、「京町家」という範型がある。そのパラダイムを前提としての再生、再創造である。

 

本棚の家―木造格子壁

 追求すべきは、まずは木である。木造による空間構成システム、柱梁構造、井籠組(ログ)、これも古来いくつかの解答をわれわれは手にしている。そして、森田は、いち早く、これまでにないひとつの解答を提案しているのである。Shelf-pod / 君府亭」(2007)である(大阪建築コンクール新人賞「渡辺節賞」2006)(図⑥abc)。




 クライアントは若きイスラーム研究者澤井一彰(関西大学教授。オスマントルコ史)という。話を聞いて驚いた。僕がよく知る坂本勉、鈴木菫、林佳代子といったイスラーム研究者のお弟子さんという。また、イスラーム建築史の深見奈緒子先生と親しい。世界は狭い。「君府亭」の君府はコンスタンチノープル(イスタンブール)のことだ。本棚の中央に掲げられたカラフルな陶器版にはアラビア語で「コンスタンチノープルの家(君府亭)」と書かれている。わざわざ、イスタンブールの職人に焼いてもらったのだという。

膨大な蔵書を収納したいという要望がその解答を導いたということもあるけれど、ひとつには、「ポッド」シリーズが頭にあったと思う。「シェルフ・ポッドShelf-podという命名がそのことを示している。木材によるポッド・モデルである。

主構造は、厚さ25mm・幅300mmの板を相欠きにして組み合わせた木造格子(H360mmW300mmD300mm)壁である。なるほど、森田にとって「格子」はキーワードである。木造格子には構造用合板の背板が適宜張られ、水平応力に対抗する強度を得る。発想はよくわかる[3]。基本的には、二階吹き抜けの大きなワンルームである。「ポッド」すなわち洞窟空間であるが、屋根まで一体化することは考えなかった。すんなり、方形の屋根をかけた。いささかそっけない。ただ、イスラーム建築のスタラクタイト(鍾乳紋)、ムカルナスを想起させるさりげない意匠がある。

その大空間には、格子の横板の高さを基準にして自在に床レヴェルが設定可能であり、開口も必要に応じて採ることができる。そして、格子の隙間は、本をはじめとして、自在の物が置ける飾り棚でもある。玄関を入ると、「構造」や「内装」、「家具」や「装飾」を一体化する見事なシステムである。

玄関すなわちムカルナスのような覆いの入口の接続空間(下駄箱、物入れなどの棚)を入るとキッチンダイニングで、高さ900mmの作業台、流しが壁周りに走る。右手の居間の床は900mm高い。すなわち、階高180mm5段上がる。床下は大きな収納空間として使う。降りると洗面、トイレ浴室である。居間からさらに右肩周りで900mm上がると居間に開かれた書斎であり、さらに900mm上がると寝室である。玄関の上である。実によくできている。キット販売可能なシステムである。いくつかのヴァリエーションと集合住宅の展開が考えられるのではないか、などと思った。

 

新「京町家モデル」ー門形ラーメン

 しかし、システムはシステムであり街区を構成する型となるとは限らない。格子の棚を持て余すクライアントもいるかもしれない。森田には、五角形の平面をした「津島の家Pentagonal-house(2010)のような作品がある。敷地の形から発想したというけれど、一連の作品なのかでは異質に思える。新築の住宅については、模索中ということだろうか。

「様式」が外にある建築家と内にある建築家がいる、という区分けがある。「様式」というのは、一貫する姿勢、作法、規範などと置換えてもいいけれど、森田一弥は、土への拘りが示すように、何か一貫するもの、原理を追求するタイプだと思う。そうした意味で、もうひとつの解答のように思えるのが「紫竹の町家」(2016)である(図⑦abc)。京都の北辺に建つ地下一階地上二階建ての住宅であるが、魚谷繁礼たちが提案した「京町家モデル」とは別のもうひとつの「現代の町家」のプロトタイプになる可能性がある。



架構は門型ラーメン。中央に吹き抜けをとったスキップ・フロアで、無理のない平面構成である。中庭を設ける余裕がないとすれば、通風、昼光をどう取り入れるかは大きなテーマである。夏には南北に設けた窓から季節風を取り入れ、冬には南の大きなガラスの開口と屋根面から太陽の熱を室内に取り入れる、適格な断面構成である。そして、熱循環のためのチューブが中央の吹き抜けに煙突のように建てられる。屋根面で受ける太陽熱を室内に取り入れ、最上階に集まる暖かい空気を地下室に循環させる新たな装置である。先立って、インドで環境低負荷型の住宅モデルを目指した「マドゥライの住宅Zero Emission House in Madurai」(図⑧)がある。太陽光発電、クールチューブ、雨水利用などエコハウスの技術が組み込まれている。残念ながら実現できなかったが、エコ・サイクル・ハウスは地球環境時代の建築家共通のテーマである。このチューブは「法然院の家」にも用いられている。


 

既に準備完了である。事務所を訪ねた時に、模型を見せてもらった左京区の「資料館」(図⑧)の建設が始まった。合わせ柱、合わせ梁というかダブル格子の興味深い架構方法だ。さらなる公共建築への展開をみたい。

 



[1] ポルトランドセメントを構成する主な物質は、珪酸三カルシウム(エーライト、3CaOSiO2)、珪酸二カルシウム(ビーライト、2CaOSiO2)、カルシウムアルミネート(アルミネート、3CaOAl2O3)、カルシウムアルミノフェライト(フェライト、4CaOAl2O3Fe2O3)、硫酸カルシウム(石膏CaSO42H2O)という。

[2] 構造:小澤雄樹、構法原案・左官工法:森田一弥(森田一弥建築設計事務所)、設計・平面計画:柳沢究、企画・全体統括:山本直彦。施工協力:(株)小川テック、久住鴻輔(久住左官)。

[3] 同じ頃、彦根の宿舎の本棚を、中正巳くんの設計で、中川雄輔くんたちに我が家の本棚をつくってもらったのだけれど考え方は同じである。しかし、それを壁体として空間とする発想は全くなかった。商品化を目指せと、標準の天井高に合わせて、また、本のサイズに合わせたモヂュラー・コーディネーションを考えたのであるが、中途半端だった。一部はまだ使っていて、壁面全体の本棚は川井操君に譲ってきた。

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