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2022年2月23日水曜日

現場に学ぶ 木匠塾の楽しい実験, sylvan no.11,200306 15

現場に学ぶ 木匠塾の楽しい実験 sylvan no.11200306 15 

現場に学ぶ:木匠塾の楽しい実験

布野修司(京都大学大学院)

 

 伝統的な木造建築の職人技の伝承ということは容易なことではない。第1に木造建築そのものが建てられなくなっている。第2に、建築そのものが職人の技を必要としなくなっている。プレファブ住宅を思い浮かべればわかるように、建築は工業製品にますます近くなりつつあるのである。需要がなければ、技は衰える。必要がなければ、技を教え、伝承することも必要ない。大学の建築教育が木造建築を排除したから、すなわち、建築生産の工業化の方向を専ら推進してきたから、木造建築の技術が衰弱したというが、一面の真理でしかない。需要があれば、自ずとそれに必要な職人技は伝承されていくはずである。それが道理である。

 だがしかし、職人技には拘りたいと思う。職人技とは、要するに、現場の知恵だ、と思うからである。建築の場合、現場の軽視は困る。建築は100%工場で生産されるということはないのだから、すなわち、どんなプレファブ建築であれ、現場、具体的な場所に据えられて初めて建築になるのだから、現場の作業は最後まで残る。場所が違えば、建築のあり方も異なるのだとすれば、現場こそ大切である。

 木材という生物材料は、地域の生態系と密接に関わっている。いわば、木は、地域を、現場をよく知っている。棟梁大工をはじめとする職人さんたちは、そのことをよく知っており、木に学ぶことで現場を知ってきた。・・・等々、あとから考えた理屈はあるけれど、とにかく、現場に学ぼう、木のことを学ぼう、と始めたのが、「木匠塾」であり、「サイト・スペシャルズ・フォーラム」である。開始年はいずれも1991年である。後者は、野丁場中心の職人さんたちの集まりである。ここでは「木匠塾」のことを振り返ってみたい。

職人技の伝承などという大それたことではない。だれもが木造なら建てられるという、そんな実践が目標である。

  加子母村研修センター:2002年から木匠塾の拠点となる。

 1991年の1月末、微かな夢を抱いて、飛騨の高山へ向かった。藤澤好一、安藤正雄の両先生と僕の3人だ。新幹線で名古屋へ、高山線に乗り換えて、高山のひとつ手前の久々野で降りた。久々野駅で出迎えてくれたのは、上河(久々野営林署)、桜野(高山市)の両氏。飛騨は厳しい寒さの真只中にあった。暖冬の東京からでいささか虚をつかれたが、高山は例年にない大雪だった。久々野営林署は80周年を迎えたばかりであった。頂いた、久々野営林署80周年記念誌『くぐの 地域と共にあゆんで』(編集 久々野営林署)には、「飛騨の匠はよみがえるか」、「森林の正しい取り扱い方の確立を」、「木を上手に使って緑の再生を」といった記事があった。

 木の文化、森の文化を如何に維持再生するのか。高山行は、大きくはそうした課題に結びつく筈の、ひとつのプログラムを検討するためであった。使わなくなった製品事業所を払い下げるから、セミナーハウスとして買わないか、どうせなら「木」のことを学ぶ場所になるといいんだけど、という話である。

 京都造形大学 2002年度作品

 雪の道は遠かった。寒かった。長靴にはきかえて、登山のような雪中行軍であった。中途で道路が工事中だったのである。野麦峠に近い、抜群のロケーションにその山小屋はあった。印象はそう悪くない。当りを真っ白な雪が覆い隠している中でひときわ輝いているように見えた。

 それから、12年、拠点を加子母村に移して今日まで「木匠塾」の活動は続いている。当初の構想は以下のようであるが、そう変わったわけではない。

 

芝浦工業大学 2001年度作品

飛騨高山木匠塾構想

設立の趣旨:わが国の山林と樹木の維持保全と利用のあり方を学ぶ塾を設立する。生産と消費のシステムがバランス良くつりあい、更新のサイクルが持続されることによって山林の環境をはじめ、地域の生活・経済・文化に豊かさをもたらすシステムの再構築を目指す。

学習の方法:設立に参加した研究者・ゼミ学生と飛騨地域の工業高校生が棟梁をはじめ実務家から木に関する様々な知識と技能を学ぶ。基本的には参加希望者に対してオープンであり、海外との交流も深める。

 京都大学 2000年度作品 農機具置き場兼茶室

 ここでの学習成果は、象徴的な建造物の設計・政策活動に反映させ、長期間にわたり継続させる。例えば、営林署管内の樹木の提供を受け、それの極限の用美として「高山祭り」の屋台を参考に、新しい時代の屋台の設計・製作活動を行うことも考えられる。製作に参加した塾生たちが集い、製作中の屋台曳行を行うなど毎年の定例的な行事とすることも考えられる。また、地元・高根村との協力関係による「施設管理業務委託」やさまざまな「地域おこし」も可能である。

京都大学 2002年度作品  富士見台

  始めてみると何かつくりたくなる。木匠塾の第5回インターユニヴァーシティー・サマースクールは、1995731日~89日に行われたが、各グループがそれぞれ何かをつくった。東洋大学のゲル(包・パオ)のプロジェクトであった。ゲルの形態を模した仮設の移動シェルターである。建設資材がユニークだ。垂木と壁材の主要構造部材は直径3センチほどの丸竹であるが、天蓋に使うのはタイヤ部分を除いた自転車の車輪である。また、天蓋部分には、スチール製の灰皿やビニール製の傘を使う。屋根と壁を覆うのはビニールシートである。組立にかかる時間は わずか30分足らず。同じく、シェルター建設をテーマにしたのが、京都造形大学と成安造形大学である。京都造形大学は、前年の丸太による原始入母屋造りを発展させた。また、成安造形大学は樹上住居の建設に挑戦した。大阪芸術大学は子どもたちのための木製の屋外遊具の制作をテーマとした。大阪工業技術専門学校は、音の出る階段とか、雛の声を聞く巣箱とか、サウンドスケープに関わる作品群がテーマであった。

京都大学 2001年度作品   神社の拝殿

 この年、88日には加子母村の渡合(どあい)キャンプ場に移って、第1回のかしも木匠塾の開塾式を行った。加子母村は、東濃ひのきの里として知られる。神宮備林も営林署の管内にある。また、産直住宅の村として知られる。その加子母村が、木の文化を守り育てる拠点づくりの一環として、木匠塾を誘致したいということであった。以降、加子母村が拠点となって活動が続く。

極めてユニークな仕組みとなったのは、村民のリクエストに各チームが応えるという方式である。村民がクライアントで、各チームは設計施工者になる。そして、素晴らしいことに、村の大工棟梁が技術指導についてくれる。短い期間だけれど、設計から施工まで一通り木造建築の工程を学ぶことができるのである。自力建設が基本だ。バス停、農機具置き場圏茶室、神社の拝殿、富士見台、ゲートボール場ベンチ、家畜小屋など、数多くの実作が村に建っている。

ままごとのような実習だけど、参加者は延べ千人を超える。こういう活動を支えていただいている加子母村の粥川村長以下、村民の皆様、とりわけ、工務店、大工さんのご尽力には頭が下がる。手前味噌だけれど、木造建築や職人技への関心はこうした活動からこそ生まれるのではなかろうか。関心がなければ、何も起こらないだろう。実際、村役場や村の工務店に就職した学生も何人かいるのである。







2022年2月22日火曜日

京(木造)町家再生のための「散水式水幕装置」について、 京町家再生論,シルバン編集委員会,シルバン5,1996春

京町家再生論,シルバン編集委員会,シルバン5,1996春


京(木造)町家再生のための「散水式水幕装置」について

布野修司


 「京町家再生研究会」が設立(一九九二年七月一七日)されて七年目を迎える。そして、この程、実践的に京町家再生を目指す職人集団「京町家作事組」が結成された(一九九九年四月二四日)。京都はなかなか元気である。

 一方、京町家をめぐって今話題になりつつあるのが「水幕式散水装置」である。御承知のように、木造住宅再生の大きな壁となってきたのは法制度(防火規定)である。京都に来る早々「京町家再生研究会」メンバーに加えて頂き、いきなり「京町家再生のための防火手法」について考える機会を得たのであるが、なかなかうまい制度手法はみつからなかった。その時考えられたのが、「散水式水幕装置」である。「散水式水幕装置」とは、簡単に言えば、屋外スプリンクラーのようなものである。実験したら、防火性能は高い。当然である。水をかければ燃えないのは当たり前である。もちろん、どのぐらいの量が必要かが実験の内容であるが、とにかくそういう装置で防火性能を認定することはできないか、という問題提起であった。

 折しも建築基準法が性能規定を旨とするよう改定された(一九九八年六月)。これは追い風ではないか、ということで、祇園祭に山車が出る橋弁慶山の町会所を例にとって具体的な設計を試みた。今年中は、実施してみようとということになっている。もしかすると、「散水式水幕装置」が普及することになるかもしれないのである。

 もちろん、散水式水幕装置の普及に当たっていくつか留意すべき点がある。

 まず第一に、散水式水幕装置の設置は京町家再生という大きな目的のためのひとつの手段であって、その普及そのものが必ずしも目的ではないということである。上述したように、京町家再生のために大きくたちはだかるのが法・制度である。その本質は、この度の建築基準法の改正においても変わらない。いわゆる「その他条例の定めるところによる」という例外規定(建築基準法3条)を一般的に適用するのは難しい。すなわち、既存の法・制度を利用するとしたら町家の「文化財」としての位置づけが必要であり、生活しながら、場合によっては改造を含んで修理維持していく一般の町家についてはミニマム・リクワイアメントとしてなんらかの防火性能をもとめられることに変わりはない。徹底するためには、地方分権を建築行政においても具体的に展開する大きな転換が必要である。現行法で可能なのは、町家街区については防火地域、準防火地域の指定を外す、思い切った都市計画によって対応することである。

 次に考えられるのが個別に性能を保証していく方法である。具体的に旧建築基準法38条に代わる型式適合認定を用いる方法である。「散水式水幕装置」はこの方法として位置づけられる。この装置の設置を担保として防火性能として認定を受けるわけである。散水式水幕の実効性が認められれば、以前より現実性をもった手法となる。

 散水式水幕装置の普及に当たっては、具体的に建築確認が可能かどうか検討が必要である。また、設置のコストが居住者の負担として無理ないかどうかが検討される必要がある。普及によってコストダウンが想定されるとしても、大きな負担になると普及は困難である。 散水式水幕装置は、延焼防止が目的である。内部からの失火や現状の立地条件では、個々の町家への設置のみでは不十分である場合もある。また、立地によっては、様々なタイプの装置が必要となることも考えられる。まず、具体的な改装、贈改築、新築のモデル・ケースを試みる必要がある。また、既存の町家に設置する場合、どのような問題(特に法・制度的)があるかシミュレーションを行うことが必要となる。

 以上を前提として、市民へのアプローチが必要となる。コミュニティをベースとするまちづくりの取組みの一環としても位置づけられる必要がある。散水式水幕装置の設置を梃子にした防災まちづくりの展開がひとつの方向性となる。

 そのためにはまず、京町家再生のための実践的な組織が必要である。京町家の維持管理、修理改善を組織的に積み重ねる中で、その普及が計られる必要がある。それを目的として設立されたのが京町家作事組である。

 装置を普及する上で鍵を握るのは設計者、施工者である。その意義を市民にアピールするためにはその意義を理解する専門家の組織が不可欠である。個々の町家の改修、増改築などのケースに可能な限り装置の設置を行うことが考えられる。もちろん、なんらかのサポートシステムがないと費用の点で普及は必ずしも容易ではない。市民の理解、行政の支持が前提である。

 ひとつの可能性は、上に言うように、まちづくりの一環として普及活動を展開することである。京都市まちづくりセンターなどとの連携が具体的に考えられる。そのイニシアチブをとることが期待されるのが、設計者、施工者を含めたプランナーである。 

 町家再生の課題を共有する都市は少なくない。京都でうまくいけば、各都市にも普及するであろう。「京町家再生研究会」も他の都市、他地域の団体との連携を模索すべき段階に来ているのかもしれない。そして、その手掛かりに「散水式水幕装置」がなるかもしれない。







 

2022年2月21日月曜日