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2021年3月7日日曜日

壁のない住居-タイ系諸族の伝統的住居 House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes

 traverse18 2017 新建築学研究18


House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes
壁のない住居-タイ系諸族の伝統的住居

Shuji Funo

布野修司

 

東南アジアの住居―その起源・伝播・類型・変容

東南アジアを歩き出しておよそ40年、その最初の成果である学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究-ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学,1987年)-そのエッセンスをまとめたのが『カンポンの世界』(パルコ出版,1991年)である-を書いてからも既に30年になる。東南アジアの民家(ヴァナキュラー建築)については、『地域の生態系に基づく住居システムに関する研究』(主査 布野修司) (Ⅰ: 1981年,Ⅱ:1991年,住宅総合研究財団)以降、『アジア都市建築史』(布野修司編、アジア都市建築研究会,昭和堂、2003年:『亜州城市建築史』胡恵琴・沈謡訳,中国建築工業出版社,2009)、『世界住居誌』(布野修司編、昭和堂、2005年:『世界住居』胡恵琴訳,中国建築工業出版社,2010年)などによって概観はしてきたけれど、ようやく独自に、『東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』(布野修司+田中麻里+ナウィット・オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット、京都大学学術出版会、2017年)をまとめることができた。「壁」を念頭に、そのエッセンスを紹介しよう。

 

顔のない家

R.ウォータソンは、その名著『生きている住まい-東南アジア建築人類学』(Waterson, Roxana (1990), 布野修司監訳(1997))で1章を割いて、ヨーロッパ人が、東南アジアの住居を見て如何に嫌悪感に近い違和感を抱いたかについて書いている[1]。住居は暗くて、煙たく、混雑しすぎで、天井や壁はすすで汚れ、隅には蜘蛛の巣がはり、床は鶏の糞やビンロウの実のカスで覆われ、アリやゴキブリやムカデやサソリが這いまわっており、床下には豚や鶏が飼われていて平気で残り物が捨てられ、不潔だ・・・云々は、さもありなんであるが、興味深いのは、住居そのものが死んだようにみえた、ことである。

 タニンバルの住居の「足の上に屋根がかぶさるというというその形態」(Drabbe(1940))が「死んでる」ように思えたというのであるが、建物が「足」を持っていること、すなわち高床であることに違和感があった。そして、足すなわち高床の杭(基礎)柱であるが、それ以外は頭(屋根)だけで、顔と胴体すなわち壁がない、眼(窓)がない、というのが気持ち悪いのである(図①)。

 「彼らの住居は、床と屋根以外なにもないが、とても巧妙な構造をしている…ほとんどすべてのものが、素晴らしい趣味と驚くべき技術でつくりあげられる彫刻によっていかに精巧に覆われているかをみたあと、…彼らが野蛮人であるのか。…野蛮人とは何か」(Forbes(1885))という極めて高い評価もあるけれど、ヨーロッパ人には、東南アジアの住居には壁がなく、従って窓もないことは、実に奇妙に思えたのである。


 

オーストロネシア世界

われわれが人類の地球規模の居住の歴史と世界中のヴァナキュラー建築を総覧することができるのは、P.オリヴァーの『世界ヴァナキュラー建築百科事典EVAW』全3巻(P. Oliver (ed.) 1997))を手にしているからである。一線の研究者・建築家によるA4版で全2384頁にも及ぶこの百科事典は,今のところ世界中の住居についての最も網羅的な資料である[2]

煉瓦造と木造(図②)の分布図をみれば、壁の文化圏は一目瞭然である。大きくみれば、東南アジアは木造の軸組(柱梁)構造の文化圏に属する。そして、高床式住居が一般的である(図③)。高床式住居は、さらに、西はマダガスカルから東はイースター島まで,東南アジア諸島全体,ミクロネシア,ポリネシア,そしてマレー半島の一部,南ヴェトナム,台湾,加えてニューギニアの海岸部にまで分布する。この広大な海域に居住する民族はプロト・オ-ストロネシア語と呼ばれる言語を起源としており、その語彙の復元によって、住居は高床式であり,床レヴェルには梯子を用いて登ること,屋根は切妻型であり,逆ア-チ状に反り返った屋根をしており,ヤシの葉で葺かれていたこと,炉はたき木をその上に乗せる棚と共に床の上につくられていたことなどが明らかになっている。



 東南アジアの住居の起源については,ドンソン銅鼓(図④)と呼ばれる青銅鼓の表面に描かれた家屋紋やアンコール・ワットやボロブドゥールの壁体のレリーフに描かれた家屋図像によって窺うことができる。さらに,中国雲南の石寨山などから発掘された家屋模型や貯貝器(図⑤)がある。日本にも家屋文鏡(図⑥ABCDAは、いわゆる竪穴式住居であるが、屋根だけで壁はない),家屋模型が出土している。 



原始入母屋造

 東南アジアの伝統的住居は、以上のような図像に描かれた住居とよく似ている。木材を用いて空間を組立てる方法は無限にあるわけではない。荷重に耐え,風圧に抗するためには,柱や梁の太さや長さに自ずと制限があり、架構方法や組立方法にも制約がある。歴史的な試行錯誤の結果,いくつかの構造方式が選択されてきた。興味深いのはG.ドメニクの構造発達論[3]である。G.ドメニクによれば,実に多様に見える東南アジアの住居の架構形式を,日本の古代建築の架構形式も含めて,統一的に理解できるのである(図⑦)。


G.ドメニクは,東南アジアと古代日本の建築に共通な特性は「転び破風」屋根(棟は軒より長く,破風が外側に転んでいる切妻屋根)であるという。そして,この「転び破風」屋根は,切妻屋根から発達したのではなく,円錐形小屋から派生した地面に直接伏せ架けた原始入母屋住居とともに発生したとする。この原始入母屋造によれば基本的に(構造)壁は要らない。東南アジアのような熱帯・亜熱帯の気候であれば、断熱のために密封する必要はないのである。北スマトラに居住するバタック諸族の住居の壁は垂木と床の側板で挟んだ板パネル(カーテン・ウォール)にすぎないのである(図⑧)。


 

タイ系諸族の住居

 「東南アジアの住居」というタイトルを冠しているけれど、特に焦点を当てているのは、タイ系諸族の住居であり、都市住居としてのショップハウスである[4]

タイ系諸族の起源については諸説あるが,最も有力なのは長江の南部から雲南にかけての地域を起源とする中国南部起源説である。タイ系諸族はもともと長江南部地域において稲作を生業基盤としていた。中国の史書に「百越」「越人」と記される民族がその先人と考えられている。前漢時代に,福建に「閩越」国,広東,広西,ヴェトナム北部に「南越」国を建てたのが「百越」「越人」である。中国でタイ系諸族が集中的に居住しているのは雲南である。

タイ系諸族は,やがてインドシナ半島へ下り,稲作技術を東南アジアに伝える。このタイ系諸族の移動には,安南山脈の東側を下る流れと,メコン河の渓谷と盆地およびさらに西のサルウィン川に沿って下る流れの二つの大きな流れがあるが(図⑨)稲作が可能な低地を居住地としてきたことから,タイ系諸族は「渓谷移動民」と呼ばれる(Heine-Geldern, Robert1923)13世紀までに,タイ系諸族は,西はインドのアッサムにまで居住域を拡げている[5]


言語のみならず他にも「タイ文化」と呼びうる同じ文化を共有してきた。タイ研究者の所説を合わせると,伝統的なタイ系諸族は,①タイ語を話し,②仏教を信仰し,③一般に姓をもたない,④低地渓谷移動の稲作農耕民で,⑤「封建的」統治形態をもつ人々の集団といった共通の特性をもつ。①~⑤以外にも,⑥伝統的には高床式住居に住むこと,⑦親族名称について祖父母名称が4つあること,両親の兄弟について5つの名称があることなどもタイ系諸族の特色として挙げられる[6]

 このタイ系諸族がそれぞれ居住する住居は同じではない。その起源地における形態と移住していった各地域の形態はそれぞれ異なっている。その環境適応の諸形態、その諸要因についての解明が『東南アジの住居』の主要なテーマのひとつである。

 

西双版納(シプソンパンナー)の住居

タイ系諸族の原型と一般的に考えられるのは,その起源地と考えられている西双版納のタイ・ルー族の住居である。それは入母屋屋根の高床式住居で,一棟で構成され(「版納型」),屋根がある半開放的なヴェランダ(前廊),炉が置かれる居間(堂屋),寝室(臥室),そして高床下の4つの空間から構成される(図⑩)。そして,この4つの空間は,明快な連結関係をもっており,入母屋屋根の1棟を構成している。桁行方向と梁間方向のスパン数によってヴァリエーション (図⑪)があるが,ひとつの型として成立している。しかも,1棟からなる原型に加えて,複数の棟で構成される住居形式(「孟連型」)も西双版納で見られる。住居単位とその組合せのシステムが成立している。

この空間構成システムはタイ系諸族の中でも極めて高度であり,タイ系諸族が,これを原型として,南下していったとは考えられない。「原型Architype」として考えられるのは,もう少しプリミティブな、もともと「竹楼」と呼ばれた簡素なつくりの,炉のある一室空間であった。「原型」に近いのは,ミャンマーのシャン族の住居(図⑫)である。「原型Architype」が1棟の住居のかたちで具体化した住居形式,「基本型Prototype」のひとつが「版納型」そして「孟連型」である。     


シアム族の住居

炉のある11室の「原型」が,寝室が分化することで一定の形式「基本型」が成立すると,様々な「変異型Variant」が派生する。

「基本型」からさらに炉のある居間から厨房が分化していくことになる。一般に見られるのは「基本型」の増築というかたちで厨房部分を分離していくパターンである(V1)。そして,やがて厨房棟として独立することになる。すなわち,厨房棟を別に設けて2棟(母屋棟と厨房棟)からなる住居形式が成立する(V2)。この2棟からなる分棟型は,東北タイのタイ系諸族に見られる。また,寝室の拡張や付加も「基本型」を増築すること一般的に行われる(V3)。そして,さらに多くの住棟で住居を構成するパターンが成立する(V4)。その代表がシアム族の住居形式である。一定の住居類型というのではなく,地域によって様々な住居類型を生み出す一次元上の空間構成システムがシアム族の住居形式である。

シアム族の住居では、高床上の大きなテラスを中心に生活が展開される。基本的に、ルアン・ノーンRuean Non住棟,寝室棟)、ラビァーンRabeang ヴェランダ)、チャーンChan(テラス)、ルアン・クルアRuean Krua(厨房棟)、という4つの空間から構成される(図⑬)。


多くの事例を省略したのでいささか舌足らずであるが,第一に指摘できるのは,炉を居室に置く「原型」に近い住居形式が山間部,5つの大河川の上流部のみに見られることである。また,西双版納においては,現在も炉を置く居室が維持されていることである。そして,丘陵部からデルタ部にかけては,寝室棟と厨房棟を分離する住居形式がみられることである。すなわち,ヴェランダ,テラスが増え,住居がより開放的になることである。言うまでもなく,この変容は寒冷な気候から蒸し暑い気候に対応するためである。第二に指摘できるのは,山間部に比べて,下流部では建築材料として小径木の樹木しか利用できないことである。それ故,1棟の空間単位が小規模で,「基本型」のような住居形式を1棟では実現し得ず,1棟の空間を連結させたり,複合化したりする方法が採られるようになるのである。

タイ系諸族の住居形式の原型,伝播,変容(地域適応),地域類型の成立の過程はおよそ以上のようであるが、「壁」のウエイトは総じて軽い。バンブーマットがしばしば用いられることがそれを示している。ポーラスで大きな気積の住居が成立したのは熱帯・亜熱帯の環境が大きい。精緻な開口部のディテールを発達させる必要はなかったのである。



[1] 2 建築形式の知覚:土着とコロニアル」(布野修司監訳:生きている住まい-東南アジア建築人類学(ロクサ-ナ・ウオ-タソン著,アジア都市建築研究会,The Living House An Anthropology of Architecture in SouthEast Asia,学芸出版社,1997).

[2]『世界ヴァナキュラ建築百科EVAW』全3EVAW(P. Oliver (ed.)1997)))は,地球全体をまず大きく7つに分け,さらに66の地域を下位分している。下敷きにされているのは,スペンサSpencerとジョンソンJohnsonの『文化人類アトラスAnthropological Atlas』,ラッセルRussellとナイフェンKniffenの『文化世界Culture World』,G.P.ドックMurdockの『民族誌アトラスEthnographical Atlas』,そしてD.H.プライスPriceの『世界文化アトラスAtlas of World Culture』である。加えて,ヴァナキュラ建築の共通特性を考慮すべく,地政分と分を重視している。そして,北から南へ,東から西へ,世界から新世界へ,というのが配列方針である。念的には,文化の散,人口移動,世界の張を意識している。地中海南西アジア()を中核域と考え,いわゆるヨロッパ(),そしてアジア大陸部(),島嶼部オセアニア()を別した上で,ラテンアメリカ(),北アメリカ(),サハラ以南アフリカ()を別する構成である

[3] G.ドメニク:構造達論よりみたび破風屋根入母屋造の伏屋と高倉を中心に-」(杉本次編(1984)。

[4] 本書を「東南アジアの住居」と冠することにしたのは,この間一貫してお世話になってきた京都大学学術出版会の鈴木哲也さんの,個別専門分野でのみ通用する議論ではなく、骨太の議論が欲しいという示唆が大きい。また、東南アジアの住居集落に関する著作として今のところ最も優れたと思われる上述のR.ウォータソンの『生きている住まい東南アジア建築人類学』が大陸部についての記述が薄いというのも大きい。

[5] 現在は,主にブラフマプトラBrahmaputra流域(インド),サルウィンSalween流域(ミャンマー),メコン流域(中国・タイ王国・ラオス),紅河流域(ヴェトナム),チャオプラヤChao Phraya流域(タイ王国)5つの流域に居住している。

[6] しかし,以上は必ずしも全てのタイ系諸族にあてはまるわけではない。姓()に関しては,1930年代までのタイ系諸族に関しては妥当であるが,今日,タイ王国やラオス国に住むタイ系諸族は姓を用いている。統治形態()についても,タイ,ラオスのような国家形態をとるタイ系諸族に対してはもはや当てはまらない。仏教()についても,タイ系諸族の中には非仏教徒が多数存在する。ラオスの北部山地,ヴェトナム山脈以東ないしは以北に住むタイ諸族(黒タイー,白タイー,トー,ヌンなど)および中国南部のタイ系諸族のほとんどは仏教徒ではない。南タイのタイ人の多くはムスリムである。

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