[01] 避けられね「第三の開国」? 異質なものの共存原理、外国人労働者問題①、建設通信新聞、1991年4月1日
[02] 身近で見えない「スラム」、拡散する隔離空間、外国人労働者問題②、建設通信新聞、1991年4月2日
[03] 寄場の変容 重層構造のさらなる重層化、外国人労働者問題③、建設通信新聞、1991年4月3日
[04] 差別と排外主義 「不法」というレッテルが生み出すもの、外国人労働者問題④、建設通信新聞、1991年4月4日
横浜寿町。同じ寄せ場でも山谷とはいささか様子が違う。ドヤに外国人の姿が見られ、また、外国人労働者に対する積極的な支援活動が展開されているのである。カラバオの会(「寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯する会」)の活動だ。
「カラバオ」とはタガログ語で「水牛」を意味する。寿では、知合いになる外国人労働者のほとんどがフィリピン人であり、フィリピンの民衆の生活に密着した「カラバオ」を会の愛称に選んだのだという。会の結成のきっかけは、寄せ場での越冬活動の際、ひとりのフィリピン人労働者が助けを求めて来たことである。「仕事がなく困り果てている」というのである。正式発足は一九八七年の五月であった。
カラバオの会の活発な活動は様々な形で公にされているのであるが、外国人労働者の置かれている状況は実に厳しい。いくつかその一端を引いてみよう。
Nさんのケース。来日以来、建設業者の間でたらい回しに合う。千葉の業者のもとで二ケ月働くが賃金は全く受け取れなかった。また、フィリピンへ送金を依頼した約五万円を着服された。下請業者は倒産して行方が知れない。元請業者に抗議することによって、約一八万円を返却してもらうことができた。建設業者は、フィリピン人労働者のことを「マニラ」と隠語で呼ぶ。「マニラの相場は四千円」、食費を引くと手取りが二千五百円という飯場がある。
Rさんのケース。神奈川県の鉄筋業者のもとで二ヶ月働くが、一ヶ月分の給料をもらわず逃げ出す。逃げだしたのは、親方による虐待に耐えかねたからである。親方は宿舎などに三〇万円もの費用がかかっていることを主張、結果的に一〇余万円は戻ってこなかった。「バカヤロー」とか「コノヤロー」といった罵倒や暴力を奮っても当然という雇主も多い。
手配師Yと五人の労働者のケース。手配師Yを通じて東京の基礎工事会社で五人が働いた。しかし、支払い日が過ぎてもYは現れず、五人は業者のもとを離れる。未払金額は、合計六〇万円。五人のうち一人はYに旅費等経費を建て替えてもらっていた。Yの妻はフィリピン人である。結局Yが逃亡、元請業者は責任回避に終始した。
いずれも賃金不払いのケースである。以下は労働災害のケースである。
Jさんのケース。横須賀の解体業者で働く。アパートの一軒にフィリピン人が五~六人が起居し、他に日本人が三人、社長も同じアパートに寝起きする。梁を解体していてパイプを足の甲に落とす。大きく腫れ上がったが会社は病院につれて行かずシップ薬を渡しただけで部屋で休んでいるように指示したのみ。翌日、歩行困難となり寿へタクシーで帰る。交渉において日本人並の休業保障を要求。しかし、「他のフィリピン人全員を解雇する」という恫喝によってJさんが「もういい。やめてくれ」ということになった。結果、三万円の見舞金で手をうつ。
賃金不払い、労働災害など、外国人労働者は極めて不利な条件化に置かれている。飯場の劣悪な環境も大きな問題だ。廃車が寝場所になっていたり、棺桶のような木箱に寝泊まりさせられることがある。食事も御飯に醤油だけというのも実際にあるらしい。カラバオの会の活動の中心は、そうした外国人の人権を擁護し、共に生きていく条件を創り出すことにある。その活動は、就労斡旋、雇用条件の改善、労働環境の改善、医療体制の整備、住宅斡旋、日本語教育、逮捕者への救援活動など多岐にわたっている。その基本的立場は、「単純労働者を含めて第三世界からの出稼ぎ労働者が合法的に働けるように法制度を整えるべきだ」ということである。
寿のドヤにおいてフィリピン人は、三畳ほどのスペースに二~三人が寝泊まりする。一泊八百円から千五百円ほどだ。フィリピン人に限らず外国人労働者の場合、来日にあたって、既に多額のお金を使っている。賃金格差を考えれば、パスポートの取得や航空運賃だけでも相当の額だ。リクルーターによらなくても、旅行代理店に払う金額はフィリピンからでも二〇万円ぐらいになる。それに観光客としての一〇万円ぐらいの見せ金がいる。彼らはまずは借金を返さねばならず、生活は切り詰めざるを得ないのだ。
彼らは共同で自炊する。物価が高く、食費を安くあげる意味もある。不慣れな環境で仲間と暮らすのは当然でもある。ひとりひとりが個室に暮らす日本人とは対比的である。生活習慣、生活スタイルの違いからフィリピン人と日本人の圧礫も時に顕在化する。集まって歓談する、あるいは酒盛りをする。うるさい、と周囲の日本人から苦情が出される。やがて、「騒がしいフィリピン人は追い出せ」ということになり、ドヤ主もフィリピン人の宿泊を拒否するようになる。そんな事態が既に起こっている。
うるさい、というだけであれば日本人同士でもあることである。しかし、生活上の不満が民族差別の感情と結び付くとやっかいだ。外国人がいるから自分達の仕事がなくなるといった利害意識が絡めば敵対的な関係となる。素朴な意識としての排外主義が、警察に通報する、不法就労者を密告する、となると事態は深刻である。ドヤでおこっていることは決してわれわれの日常生活と無縁ではない筈だ。
具体的な事例については、カラバオの会の以下の文献による。
カラバオの会編 『外国人労働者の合法化にむけて』 新地平社
カラバオの会編 『仲間じゃないか外国人労働者』 明石書店
カラバオの会編 『外国人出稼ぎ労働者』
[05] 建設現場の光景 お寺と黒人、外国人労働者問題⑤、建設通信新聞、1991年4月5日
[06] ウサギ小屋文化 非関税障壁としての住まい、外国人労働者問題⑥、建設通信新聞、1991年4月8日
[07] 最底辺 ガストアルバイターの光と影、外国人労働者問題⑦、建設通信新聞、1991年4月10日
[08] 歴史の記憶 朝鮮人と日本の経験、外国人労働者問題⑧、建設通信新聞、1991年4月11日
[09] 貧困の共有 インドネシアのカンポンの世界、外国人労働者問題⑨、建設通信新聞、1991年4月12日
[10] 情報公開われらの内なる国際化 開かれた世界へ、外国人労働者問題⑩、建設通信新聞、1991年4月15日