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2023年7月13日木曜日

安易な設計思想と変更,周縁から55,産経新聞文化欄,産経新聞,19900924

 安易な設計思想と変更,周縁から55,産経新聞文化欄,産経新聞,19900924


55 ファシズムと様式             布野修司

 

 小さな新聞記事が眼にとまった。記事は小さいけれど建築の問題としては極めて大きい。もっと一般に議論されていいと思う。

 あるビール会社が経営する仮設ビアレストランは、一九三六年のベルリン・オリンピックのスタジアムの様式を外装に用いている。それに対して、ナチス時代の建築様式をイメージしているのは問題だと外人女性らから抗議があった。協議の結果、ビール会社は外装の変更を決定した。その記事の要点は以上のようだ。

 まず、双方ともあまりにもイージーである。特に、外装を取り替えればいいという態度は事なかれ主義だ。ビール、ドイツ、ベルリン、オリンピック・スタジアムという安易な連想で、他意はなかったとデザイナーや経営者は言いたいのかもしれないけれど、その連想でナチスを想起しないのはあまりにもうかつである。

 しかし、ナチス時代の建築様式をイメージさせるから駄目だというのも問題ではないか。二流の建築家であったヒトラーは、シュペアーをお抱え建築家として数々の建物を建設し、構想するのであるが、彼が全面的に採用したのは一般的にいえば古典主義建築の様式である。国際様式は否定された。一方、近代建築を採ったのがムッソリーニである。

 古典主義建築一般が駄目だとは、抗議者も言わないだろう。ファシズム建築だって、国によって以上のように違うのである。日本の場合、帝冠様式という様式が問題となった。九段会館や東京帝室博物館(現国立東京博物館)のように、日本古来の神社や寺院の瓦屋根を冠のように載せることが、コンペ(設計協議)などでもとめられたのである。

 ある特定の様式を絶対視する態度こそファッショ的である。しかし、様式というものは、簡単に取り替えられるものではないだろう。単なる装飾や取り替えられるファッションとしてではなく、建築を支える思想やつくる過程は、もう少しじっくり問題にすべきである。



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