このブログを検索

2023年7月19日水曜日

パトロンの意味,周縁から57,産経新聞文化欄,産経新聞,19901022

 パトロンの意味,周縁から57,産経新聞文化欄,産経新聞,19901022

57 建築家とパトロン          布野修司

 

 建築家は、建築の仕事があってはじめて建築家でありうる。建築を全く建てない建築家、図面だけ、絵だけ残すだけの建築家や建築論を著すだけの建築家もありうるけれど、それはあくまで特殊な建築家である。建築家が建築家と呼ばれるためには、時代の技術の水準や社会経済の仕組みの制約のなかで、建物を具体的に建てる過程が必要である。

 従って、建築家は仕事を受注する事業者としての側面をもつ。しかし、大きな建築物の場合、仕事をとるのはそんなに容易ではない。時にうさんくさい様々な努力が必要とされる。

 かっては、建築好きで、建築をよく知った、普請道楽のパトロンがいて、一個の才能を見抜き、建築家として育てるというパターンがあった。しかし、今日、そうしたパトロンは少なくなった。

 確かに建築にお金をかける企業は増えてきた。建築家には好ましい状況なのであるが、金をかけるからいい建築ができるとは限らない。建築を見る眼をもった建築主は、むしろ、少なくなっているのではないか。建設の主体は多くの場合、委員会である。大企業の場合、即決できないということもある。建築家の才能を見抜き、育てるという態度はなく、話題性をねらって、ジャーナリズムなどで既に著名な建築家を使うというセンスが支配的である。

 公共建築の場合、建築好きの首長が建築家を育てたという例は少なくない。しかし、特定の関係がしばしば政治的に問題となるし、実際、首長が変わればがらっと方針が変わるといった事例が多い。持続性、一貫性に乏しいのだ。

 建築家というのは建築主が育てるものである。建築主の建築についての素養に見合った建築家しか育たないといってもいい。金をふんだんに使って自由にやれ、という成金的なパトロンが必要なのではない。建築の楽しさ、面白さを理解するクライアントがいななければ、建築文化の華が開くはずはないのだ。



0 件のコメント:

コメントを投稿