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2023年7月28日金曜日

東京フロンティア,周縁から65,産経新聞文化欄,産経新聞,19910121

 東京フロンティア,周縁から65,産経新聞文化欄,産経新聞,19910121

65 東京フロンティア            布野修司

 

 さしもの不動産マネーブームも終息しつつあるのであろうか。不動産による財テクに走った企業の倒産が目立ちはじめている。しかし、一方、必ずしも予断を許さないという見方も依然として根強い。骨抜きになったかにみえる土地保有税案がなにやら暗示的である。

 そうした中で注目されるのが「東京フロンティア」である。東京湾のまん中、東京テレポートタウンを主会場として、一九九四年に開かれる博覧会である。「世界都市博」として構想されたものだ。

 二一世紀の世界都市にふさわしい開かれた都市像を都民及び国の内外に示すこと、快適性と利便性の高い開発を進め、早急に東京の抱える課題の解決に役立てること、世界の英知を集め、人間と技術と自然が融合した都市フロンティアのモデルを示すこと、その成果を内外の諸都市に発信し、世界の都市問題の解決と未来都市の形成に貢献することを目的にうたう。

 その目的や壮大である。その目的が実現するとすればすばらしいに違いない。しかし、まてよと思う。まず、何故、博覧会なのか。問題は二百日程度の博覧会でお茶を濁してすむようなことではないはずだ。もし、すばらしい未来の都市像が示しうるのであれば、むしろ、東京そのものがモデルとなるようなそうした方向を示すべきではないのか。

 東京フロンティアというのもいささか興味深い。何故なら、東京がその発展のフロンティアを失いつつあることが背景にあるからである。東京のウオーターフロントが主会場とされるのもまさにそうだし、大深度の地下や超々高層の開発が主題になるのもそうだ。未来の都市を語る場合、いつまでも同じようにフロンティアを求める発想で果していいのか。

 しかし、こうした危惧を並べてもはじまらないだろう。新年の夢にもふさわしくない。しかし、もう少し、「東京フロンティア」をめぐって議論が巻き起こっていい。東京問題にはみんなもうしらけっぱなしなのだろうか。



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